(二条城 京都に在りて江戸のまま・・・)
コロナ禍での巣籠を活かし、過去の写真と俳句の整理をしようと始めましたヴァーチャル京都もみじ狩も、最終回となりました。初日に正定院、鞍馬寺、二日目に霜ふる大原散策、寂光院、三千院、来迎院、天龍寺、二尊院、清水寺、三日目は嵐山、真如堂、永観堂と回り、今回紹介する二条城で終わりとなります。二日目は朝早くから宵もみじ迄、よう動き回ったものと我ながら感心します。
二条城には、中学校か高校の時の修学旅行で行ったきりで、その時の記憶はほとんどありません。その後、京都には何回か訪れ、お寺、神社、離宮、御所などを観てきました。今回、二条城の境内を散策しながら、そこの風情がこれまで訪れた上記の場所のものとは異なるように感じました。建物や庭などの外形は京風(公家風)ですが、その空間に京都の他所で感じられる「京都らしさ」が私には感じられないような気がしたのです。違和感のようでもありました。このような受け止め方は私だけかもしれません。今、改めてその歴史を振り返えりますと、さもありなん、かな(^_-)?とも思えます。
二条城は1603年(慶長8年)、江戸幕府初代将軍徳川家康が、天皇の住む京都御所の守護と将軍上洛の際の宿泊所とするため築城したものです。将軍不在時の二条城は、江戸から派遣された武士、二条在番によって守られていました。(以上、二条城ホームページより)
一方、平清盛は太政大臣、豊臣秀吉は関白という朝廷での最高官職を求めて就きましたが、徳川家康は武家の棟梁であることを重視して征夷大将軍に就き、朝廷の権力を骨抜きにする政治制度(禁中並公家諸法度)を確立しました。
二条城はいわば、江戸幕府が朝廷と西日本を支配・監視するための象徴的拠点でした。
二条城の時空間は、徳川幕府の「意志」により、幕府創建から大政奉還までの約260年、歴史に学び、「公家化せず」を教訓に、京都の中で最後まで「江戸」で在り続けたのかもしれません。そして、その名残が二条城の中の風情に今もなお紛れているのかもしれません・・・
京に江戸まま二条城十二月
公家化せぬまま二条城十二月
数百年京になじまぬ番所かな
影うすき二条の城の京もみじ
京に江戸まま二条城京もみじ
江戸幕府の始終偲ばる二条城
もみじ狩おへ夕焼けへ飛び立ちぬ
伊丹空港を飛び立ったのは午後五時半でした。