京都の二日目は、朝食前に霜の降りている寂光院に行きました。宿に戻り朝食をいただいてから、三千院、来迎院、天龍寺、二尊院を回り終えた頃は、午後の5時近くになっていました。昼食抜きで日も暮れかかっていましたので、宵もみじが狙いの清水寺近くのお店に入りました。
宵もみじ待ちて日本酒京の店
音羽山清水寺(おとわさんきよみずでら)の開創は今から約1200年前の778年。現在の建築物のほとんどが1633年、三代将軍徳川家光の時代に再建されたとのことです。
日もとっぷり暮れた19時頃、ほろ酔い加減で清水坂を上っていきますと、最初に待ち受けているのが仁王門です。この門の別名は「目隠し門」。「清水の舞台」が造営された時に、この舞台から天皇が御座する御所が見えないように建てられたとのことです。
この経緯を知った時、1974年に竣工した東京駅丸の内側にある東京海上火災保険ビルの話しを思い出しました。あのレンガ色のビルです。皇居を見下ろすようになるこのビル建設計画の是非を巡って論争があり、結局、当初計画の30階建て・高さ127メートルのツインタワーを、1棟だけの25階建て・高さ99.7メートルとすることで決着がつきました。今はもうこれより高いビルが皇居周辺にもたくさん建設されていますが、日本の長い歴史の中で天皇制がどのように受け止められているのかを考える際の参考になるように思えます。
さて、この仁王門の両側にはまさにお二人の仁王さんがおられますが、それぞれのお口は阿形と吽形となっています。ところが、門前の狛犬二頭の口は両方とも大きく開けた阿形となっています。通常は一頭は阿形、他は吽形となっているのですが、清水寺の七不思議の一つになっています。
狛二頭阿形で守る秋の宵
ライトアップされている境内のもみじはこの世離れした感じの時空を醸し出しています。とりわけ、清水の舞台から下を見た時、漆黒の闇とそこから浮かび上がる宵もみじとの取り合わせが、輪島塗の高級蒔絵を見ている感じがしました。
暗闇に蒔絵のごとく宵もみじ
宵もみじ越しに観る月京の町
本堂から張り出した「舞台」にみる日本建築の伝統工法は素晴らしい、と思います。堅固で、それでいて美しい。舞台を下から見上げました時、規模は比べようもなく小さいのですが、日本一危険な国宝と言われている三徳山・三佛寺の投入堂(鳥取県)思い出しました。
お寺のホームページはこの建築方式を概略以下のように説明しています:
舞台の高さは4階建てビルに相当する約13メートル。音羽山の急峻な崖に、「懸造(かけづくり)」と呼ばれる日本古来の伝統工法で作られている。格子状に組まれた木材同士が支え合い、建築が困難な崖などでも耐震性の高い構造をつくり上げることができる。舞台を支えているのは樹齢400年以上の欅の18本の柱で、その縦横には何本もの貫(ぬき)が通され、釘は1本も使用されていない。現在の舞台は1633年に再建され、歴史上、幾度もあった災害にも耐えて今日に至っている。
懸造見事清水宵紅葉
清水の舞台をほぼ同じ高さのところから見ますと、暗闇の中からもみじと本堂・舞台が浮かび上がり、遠くには三重塔も見えます。その上を一本の光のビームが太く横切っています。京都の町の方の暗闇は町明かりでぼんやりと明るくなっています。人が作り上げたものと自然が美しく競演している、そのように見えました。
人の手と自然コラボの宵もみじ
朱色の三重塔もライトアップの中でもみじと競演しています。三重塔は五重塔に比べて優しさを感じます。
浮かび上がる 三重の朱の塔宵もみじ 三重:みえ
清水寺の三重塔は高さ約31メートルで、京都の街からよく望見できるので古くから清水寺のシンボル的存在と言われています。創建は847年、現在の建物は江戸時代の1632年に再建されたものです。ちなみに、日本の木造塔で一番高いと言われている東寺の五重塔の高さは55mです。
ライトアップされた清水寺の建造物ともみじの取り合せを堪能し、そろそろ帰ろうかと思った時は8時を回っていました。放生池(ほうじょうち)の傍を通りました時、ライトアップされている仏像とそれが漆黒の水面に映っているのに気が付きました。人通りもなく、宵もみじを背に静かに座られている仏さまを見つめながら、「静寂・平安」に入る心地がしました。
宵もみじ仏像うつる闇の池