秀山の俳句写真日記

日々の生活、旅先での出逢い・思いを俳句、写真、文にした徒然日記です

風化さやけき道祖神・・・

2022年10月17日 21時23分38秒 | 日記
願ひ聴きつ 風化さやけき 道祖神
       北千住 安養院 「仲直し地蔵尊と道祖神」
 
 
 安養院も高校同窓会主催の母校歴史探訪で訪れたお寺の一つです。
 お地蔵さんが2体並べられていて「仲直し地蔵尊」と立札に書かれていました。この名前の由来は、おそらく喧嘩などで人と諍(いさか)いを起こした恋人や夫婦、親兄弟、友人などが、この2体のお地蔵さんを前になんとなくな仲直りをお願いしたくなり、いつの間にかこのように呼ばれるようになったのではと勝手に推察しました。
 その足元を見ますとかなり風化した道祖神らしきお二人が刻まれた小さな石が置かれています。私はこの道祖神さんらしき石の方に情緒を感じまして、後日お寺さんに電話してお訊きしたところ、次のようなお話でした。
 大きな2体のお地蔵さんは当初は別々のところに在ったもので、このお寺に運ばれ並べてられて「仲直し地蔵尊」と呼ばれるようになったとのことです。そして、足元の道祖神らしきものも、その後に他所から運ばれてきてそこに置かれたそうです。
 別々のところで拝まれていた三体が何かのご縁で安養院で一緒になったようです。
 道祖神さんはお地蔵さん以上に古く、ご自分自身が風化されながらもいろいろな人の願い、祈りを聴いてこられたことと思うと、澄んだ爽やかさを感じました。
 人は深刻な悩みにある時、「他の人が自分の話を聴いてくれる」と、それが大きな心の救いになるとよく言われます。
 この道祖神さんは数えきれない人々を救われてきたのだろうな、と思いました。

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北千住「解剖人墓」と人の優しさ・・・

2022年10月17日 00時45分01秒 | 日記

解剖されし 囚人墓の 供花(くげ)のさやけし
                北千住 清亮寺 「解剖人墓」

 

 高校同窓会主催の母校歴史探訪で訪れた北千住のお寺の一つに清亮寺があります。そこに「解剖人墓」がありました。このようなお墓に出会うのは初めてです。高校同期のガイドさんの説明によれば、明治3年(1870)に小塚原の刑場で処刑された後、ここで解剖された11人を供養するためのお墓で、明治の外科医学がここから始まったことをも示す貴重な資料とのことです。
 明治当初の墓石は、昭和42年(1967)に新たな作られた碑の後ろにあります。
 私は、日本の外科医学の黎明に貢献してくれた囚人を供養する明治人の心根と、今もなおこのお墓にお花を供える千住の人の清く爽やかな心根に触るる思いがしました。


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