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内外行動日記です。blog復帰しました^ ^

自然免疫、獲得免疫を踏まえ、ワクチンを考える。

2023-02-17 14:56:18 | 学問
ワクチンを打ち抗体を作るということは、自然免疫だけではなく、獲得免疫まで発動させる必要があります。
自然免疫と獲得免疫の違いは、自然免疫は好中球やマクロファージがそのまま非特異的に貪食してくれるのに対し、獲得免疫では抗原提示を行いヘルパーT細胞を活性化させ、特異的な免疫を発動させる必要があります。いわゆる犯人の指名手配みたいなものです。
その過程で、ワクチンにはアジュバンドという名目で添加物という異物を必ず加えます。そうしないと生体は異物と判断しないから獲得免疫が発動しないからです。今回のmRNAワクチンはLNP(脂質ナノ粒子)にあたります。
有機水銀やアルミニウム、ホルムアルデヒドなども同じてす。
この異物が万人に良いものであるはずがなく、何百、何千、何万人の中で、時には小さな疾病を引き起こし、人によっては後遺症が残り、人によっては死に至らしめます。

蕎麦を食べて健康になる人もいれば、アレルギーで死に至る人もいるわけです。
酒も小麦粉も同じ、花粉だって同じことです。
ヒトにはそれぞれ体質というものがあり、受けつける受けつけないは人それぞれなんです。

だから当たり前のことを声を大にして言いますけど

『万人に効く薬なんて存在しません。』

だから健康な人は極力医療に関わらないで欲しい
というのが僕の考え方です。

そんな健康な人を巻き込むワクチンを推奨しているのがWHOであり、政府であり、厚生省であり、医師会です。
ワクチン接種と救急車の発動回数と死者増加の全てに相関関係があるのは偶然でしょうか?
接種率を上げることを目標にし、接種証明を必要とすることが如何に矛盾しているのか、理解しなくてはいけないと思う。

何も考えずに4回も5回も接種し、させている人たちはホントに考えて調べることをしたほうがいいと思います。
上からの命令だけで動くなら人間でなく、機械でもできることだと思いますので。

僕は先輩の医師にボロく○言われて、友人からは反ワクチンの陰謀論者なんて言われたこともあったけど、
効果があって、安全性が確立していれば、反対する理由なんてどこにも無いんです。
一定の割合に死者が出て、さらにそれよりも高い割合で後遺症が起こり、人によっては数年後の病気のタネとなり得る。そんな血管(わざと字間違えています。)だらけのワクチンだからボロク○否定しているわけです。

免疫学を1から学び直したいち歯科医師の個人的な意見です。思いのまま記載しました。

このシリーズはあと2回記載する予定です。
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鎌倉殿の13人 第21回、あらすじ、感想、ネタバレ

2022-05-30 01:44:08 | 歴史
奥州藤原氏征伐
藤原泰衡を討ち取った元家臣を源頼朝が弾圧するところから始まります。源頼朝の無情ぶりはここでも健在でした。

梶原景時と他の御家人とのいざこざ
比企能員と北条時政のいざこざの表面化

これらは現時点ではフラグで源頼朝の死後にくっきりと浮かび上がってきます。このフラグの回収はまだまだ先の話です。

後白河法皇と北条時政のやり取りが少々。
まあこのへんはそれっぽくって感じですね。
後白河法皇は源頼朝を征夷大将軍に任命することはありませんでした。色々と官位を用意しましたが、任命されたと同時に全て辞退しています。
しかし、法皇が没した後、後鳥羽天皇の時に征夷大将軍に任命されます。この後鳥羽天皇が上皇となり、承久の乱へと発展するのは大河ドラマのクライマックスに近い回になると思います。ほぼ年末。
いわゆるラスボスってやつです。
まだまだ先の話ですが、ここでもフラグが立つわけです。このへんの話は次回で観れそうですね。


今回は八重が子供を助けて力尽きて川に流されてしまった話がありました。
八重姫は伊東祐親の娘で、源頼朝の最初の妻で子供の千鶴丸を設けています。大河ドラマでは後に北条義時の妻となっています。息子の金剛は後の三代目の執権となり、六波羅探題を設置した北条泰時であることから、史料によると北条泰時の母は阿波局と言われています。ここで阿波局についてですが、北条義時の妹にも阿波局がいます。こちらは源実朝の乳母をし、阿野全成(源頼朝の異母弟)に嫁ぐ。こちらの阿波局とは別の人物のようです。すると金剛の母の阿波局は八重と同一人物となり、色々と矛盾が出ています。このへんはドラマとして割り切って観るしかないのかと思います。
八重姫については生没不明のためこのような演出となったのでしょう。
また、八重と三浦吉村との会話で、『金剛と俺の娘は将来夫婦になればいい』というようなやり取りがあります。
北条泰時は正室に矢部禅尼(三浦吉村の娘)を迎えていたことから、ここでもフラグが発見できたわけです。相変わらず脚本家の演出が上手いと思いました。
生没不明の八重をここで退場させたのは、今後の歴史の流れを見ると納得できるかもしれません。
1192年3月 後白河法皇が崩御
1192年7月 源頼朝、征夷大将軍に任命
1192年9月 北条義時、姫の前を正室に迎える
、、
という流れです。
どうやら北条義時は比企一族の姫の前に恋をし、なかなか振り向いてもらえず、源頼朝が間を受け持ち正室と迎えた経緯があるようです。
このへんのお話は次回見れそうですね。
北条義時はこれからどんどん性格も変わっていく、、はずです。

あと、北条時政が伊豆に願成就院の本堂を奈良の運慶という僧に作らせた話もありました。ちょうど奥州藤原氏の征伐中に建てたそうです。阿弥陀如来の像の設置。薬師如来など、後にここは比企能員と北条時政の今後のやり取りに深く関わってきます。

次回で源頼朝はいよいよ征夷大将軍に任命されます。すると次に退場するのは弟の源範頼。
平家討伐の総大将です。
源頼朝は弟たちをとことん弾圧してしまったので、源氏が三代で滅んでしまう伏線がこういうところに出てくるのだと思います。
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鎌倉殿の13人 第20回のあらすじ、感想

2022-05-23 02:20:18 | 歴史
第20回を観ました。
源義経が京都から落ち延び、奥州藤原氏に匿われ、その生涯を終えるまでが描かれていました。
鎌倉に保護された静御前が鶴岡八幡宮で源頼朝の前で舞を行う話。
産まれた子供が男の子であったため生かしてもらえなかったこと、藤原秀衡が亡くなり泰衡によって義経が滅ぼされるとこらまで、見どころが満載でした。
守護と地頭の話などは割愛されていました。

もともとは、平家を1185年に壇ノ浦で滅ぼすまで、源氏と平家は戦の歴史があります。
厳密に言えば、それは室町時代にも続くのですが、元々は朝廷内の争いに摂関家の藤原氏が関与し、そこに武士による武力が登場したのが保元の乱(1156年)でしたので、約30年に渡り源氏と平家は争っていたことになります。

源義仲が京都に入り、平家を京から追い出した時、安徳天皇と共に三種の神器が持ち出されました。
壇ノ浦の戦いで源氏が勝利するも、三種の神器の剣(天叢雲剣)だけは見つからなかったと言われています。
このことと、源義経が京都で後白河法皇から検非違使の役についたことから鎌倉殿(源頼朝)の逆鱗に触れ、源義経は京都で襲撃に遭ったこともあり、後白河法皇から源頼朝を追討する院宣(法皇の命令)をもらいます。
一方鎌倉方は北条時政を使者に京都に送り、源義経追討の院宣を貰います。

鎌倉は源義経を探すということを名目に全国に守護と地頭を置きます。これによって鎌倉幕府は実質的に成立したと言われています。源義経は源九郎判官義経。
奥州藤原氏へ落ち延びるまで、忠臣の武蔵坊弁慶とのやりとりは有名で、判官贔屓(ほうがんびいき)という言葉はこの頃に出来たとも言われています。

ようやく本編に入るわけですが、
奥州藤原氏の三代目当主の藤原秀衡が亡くなります。
奥州藤原氏は平泉に勢力を持ち三代続く有力な豪族です。
平泉については過去に記事を記載していたのでこちらを参考にされると良いです。
https://blog.goo.ne.jp/hiero8148/e/e16eb9a715d7ed29b8c87a79908d5488
平泉は坂上田村麻呂から始まり、安部氏、奥州藤原氏、伊達氏と引き継がれた歴史ある遺産なのです。

奥州藤原氏の三代目当主の藤原秀衡がこの時期に亡くなったことは源義経にとってはこの上無い不幸だったと言えるでしょう。
鎌倉側は四代目の藤原泰衡に働きかけ、泰衡は源義経を攻め滅ぼします。
この時武蔵坊弁慶は全身に矢を受け立位で死を迎えたなど色々な逸話があります。

その後鎌倉側は頼朝により、奥州追討軍を率いて平泉へと向かいます。
この頼朝による奥州追討軍に常陸入道念西(ひたちにゅうどうねんさい)なる者が参加していました。
この人物こそ、伊達氏の初代、朝宗(ともむね)です。400年後に有名な伊達政宗へ繋がるわけです。

次回かその次くらいでようやく源頼朝は征夷大将軍になると思われますが、これは後白河法皇が崩御された後の話になります。
鎌倉殿の13人は時代がすごく、えげつないくらい人間関係がドロドロしています。
昼ドラなんか比べものにならないくらいです。

源義経が最後に小四郎(義時)に文を渡し、梶原景時がこれを読むシーンは感慨深いものがありました。
梶原景時は源義経追討の総大将、つまり天敵です。こういう演出は流石だなと思って観ていました。
手紙の解説で、三浦氏(息子の三浦吉村)を味方につける話。
これらは全て今後の伏線となっていきます。

最後に義経の首が頼朝のところに届けられそれを見て泣く頼朝のシーンで終わりましたが
義経が自害するシーンは割愛されていました。
義経は落ち延びてチンギスハンになったなんて逸話まであるくらい。死のシーンをカットしたことで色々想像できますね。

そして主人公の北条義時、今のところは綺麗に描かれていますが、徐々に闇が出てきている感じがしました。
個人的には北条義時ほど悪賢い人間はいないと思っています。
初代将軍源頼朝の死後、二代将軍の源頼家。彼を全力で補佐していたのが梶原景時と比企能員、そして畠山重忠です。
彼らが失脚することで頼家は権力を失い失脚せざるを得なくなります。
最終的に鎌倉殿の13人のうち、何人が残っているのか?
その過程がとてもエグいので今後も楽しんで観てみようと思います。


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鎌倉殿の13人を観て(比企尼が出ていました)

2022-01-17 11:40:52 | 日記
昨日の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に
比企尼が出演されていました。
比企尼が時代劇にこうして出てきたのはおそらく初めてではないだろうか。
1979年に同じ時代を扱った大河ドラマ「草燃える」では比企一族こそ出演されていたが、比企尼の出演は無かったと記憶しています。

かつて比企青年会議所に所属していた時、この当時の比企の歴史を詳しく調べたことがありました。今回は記憶の中からほんのちょっとだけ記載してみます。
めっちゃマニアックなので読める人は少ないかと思いますがw。

埼玉県のちょうど真ん中あたり、東松山市を含め、1市7町1村で比企を形成していますが、比企という地名はこの平安時代〜鎌倉時代にあたり、比企一族がこの地を統治していたことが名前の由来と言われています。
比企尼はその比企一族の最初に出てくる方です。当時女性に名前は無かったため、このように呼ばれているのだと思います。
鎌倉殿の13人では頼朝の乳母をしていた比企尼が流罪になった源頼朝を15年間に渡り支援し続けたと紹介されていました。その息子として比企能員(ひきよしかず)が紹介されていましたが、私が調べた限り実際は母親ではなく叔母であったと認識しています。

しかも比企能員の役が佐藤二郎ってwww
完全に今回の大河ドラマは三谷幸喜監督が脚本で、面白おかしくなったコメディに近いものがありますが、比企一族は北条と権力争いができるくらい有力な御家人でした。実際に源頼朝は北条氏と繋がりが強かったですが、息子の二代将軍源頼家は比企能員の娘、若狹局(わかさのつぼね)を側室として迎え、長男の一幡を設けています。
比企能員は北条時政や政子、義時の陰謀で薬師如来のお祓いをするという儀式に呼び出され謀殺され、ついでに比企一族は義時によって滅ぼされています。
非業の死を遂げる比企能員が佐藤二郎さんだとどんな演じ方になるのか、ギャグにしかならないような予感もしますw

こうした記録は「吾妻鏡」という歴史書を見ると記載されています。
今回の大河ドラマ、「鎌倉殿の13人」や以前の「草燃える」はおそらくは
吾妻鏡を原本として脚本を作っていると思われます。
しかし、この歴史書、○月○日、何々が起きた
と日記帳のように書かれているのですが、北条氏が編集した歴史書です。
だから都合の悪いことは曖昧に記載されています。
例を挙げれば二代将軍源頼家が死去した時、ただ、亡くなられたという知らせが届いたという記載に留まっています。
一方で、京都側のこの時代の歴史書「愚管抄(ぐかんしょう)」では頼家は暗殺されたと明確に記載されています。しかもかなり生々しく記載されています。
ここでは書けませんw。

吾妻鏡と愚管抄、二つの歴史書だけでなく、この比企郡にはゆかりのお寺がいくつか存在し、そこからも歴史を学ぶことができます。
東松山市の宗悟寺、岩殿観音
吉見町の吉見観音
川島町の金剛寺
ときがわ町の慈光寺
などこの地を訪れることで歴史書に記載の無かった
比企一族や当時の御家人の記録、動きが記載されています。

吾妻鏡のように歴史書は勝者によって都合よく書き換えられたものでもあり、その歴史書の矛盾点は各地を回ることでなんとなく、ぼんやりですけど垣間見ることができます。
だから歴史は教科書でも漫画でも資料でも、最初は何から入ってもいいと思いますが、詳しく勉強するときは必ず原本を見ることと、現地に向かうこと。
この二つが大切だと思います。

鎌倉殿の13人はコメディとして、
でもどれだけ歴史書や現地の部位を用いているかにも注目して、今後も視聴していこうと思います。
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事実は小説より奇なり(Truth is stranger than fiction.)

2020-06-06 10:25:36 | 日記
事実は小説より奇なり。
英国の詩人、バイロン(George Gordon Byron)のドンジュアンという小説から取ったフレーズ
と言われています。
This is strange, - but true; for truth is always strange; Stranger than fiction.”
「これは奇妙だ。しかし真実だ。なぜなら真実はいつも奇妙だからだ。作り事よりも奇妙だ。」

ここのフレーズで合っているかどうかはわかりませんが、今や日本語の諺として定着しつつあります。
実際にその通りです。真実は、想像の遥か上を行っているように思えます。
誰もこんな作り話は出来ないでしょうね。

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生きた細胞を食す

2020-06-01 18:46:04 | 日記
朝食にニンジンジュースを作ってコップ一杯飲んでいます。
ニンジンは生のものを使用するので、無農薬のものが望ましいです。
ミキサーでなく、ジューサーで絞るようにしています。
ミキサーと違って水を足すことはないので自然の甘さのストレートなジュースとなり、
美味しく頂けます。一方で、ミキサーと違って搾りかすが出るのでこの扱いには四苦八苦します( ̄▽ ̄)
カレーを作る時くらいしか上手に活かせてないような気が。
無農薬の野菜も、今や3%未満と聞いたことがあります。
自然のものを手に入れるのも難しくなってきました。
このストレートなジュースをぜひとも体験して欲しいです。
身体の中に染み込んでいきます。

ジューサーはアイリスオーヤマのを用いました。
他にもPanasonicやクビンスホール、ヒューロムなど
様々あります。クビンスホールのジューサーは口が大きいため、
ニンジンを細かくカットする手間が省けて個人的にはオススメです。

生きた細胞を食すことが身体に活力を与えてくれると信じています。
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センメルヴェイス反射

2020-05-19 14:53:38 | 学問
『センメルヴェイス反射』という言葉がある。
「通説にそぐわない事実を拒否する傾向にあること」です。
一般にはよくあることです。
ウィーンの総合病院の医師、イグナーツ・センメルヴェイスは、1847年に、産褥熱(出産と共に母親が熱を出して死亡する)は当時、妙な病気として、原因がわからなかったのですが、医師が出産に手を出すと母体が死ぬこと、産婆さんが出産に手を出すと死なないことを発見した。
当時は細菌という概念があまり無かったのですが、つまり、医師の手指から何か出ているのではないかとなり、医師の手指消毒を徹底させることで産褥熱が下がったことを発見した。つまりは消毒が不十分であったことが原因ではないか、と述べた。

しかし、当時主流派の医師達は、「長年医師達が素手で多くの母子を殺してしまっていたこと」を受け入れられず、センメルヴェイスの発見した意見を一蹴あるいは無視した。

1850年センメルヴェイスは当然反論しましたが、意見は黙殺され続けることになりました。

1860年センメルヴェイスは著書を発表し、主流派医師達を激しく非難しました。

1865年センメルヴェイスはそれが原因で頭がおかしいとなり、精神科病院に送られてしまい、嫌だと逃亡を図ったら、守衛達に取り押さえられ、暴行され、その時のケガがもとで死亡しました。

つまり、通説にそぐわない事実を主張するとこういう目に合うわけです。かつて、ガリレオガリレイも地動説を唱えましたが、意見が通ることはありませんでした。日本でも『村八分』と言って多数の意見に合わせておかないといじめを受けたりします。まさに「出る杭は打たれる」です。

何が言いたいのかというと、
「世の中を動かすことができる人達が必ずしも考え方が正しいとは限らない」
ということです。
逆に言えば
「考え方は正しくとも、世の中に影響を与えられない人」
が沢山いるということです。
何が正しく何が正しく無いのかは自分の頭でよく考えることだと思います。
自分の頭で考えて行動できる日本人が今どれだけいるのか?です。









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『がん』の話1、悪性腫瘍はなぜ『がん』と表記するか??

2020-01-10 06:00:55 | 学問
『がん』について私の見解を述べてみようと思います。
『がん』は日本人の年間死亡者が37万人を超えるため、1日に約1000人もの尊い命が
失われていることになります。
グラフでは悪性新生物と記載されていますがこれが『がん』です。
学生の頃、疾病は6つに分類され、6大病変として習いました。
6大病変とは
・奇形
・循環障害
・退行性病変
・進行性病変
・炎症
・腫瘍
です。歯科の分野で最も縁があるのは『炎症』ですが、『がん』は腫瘍に分類されます。
腫瘍は
1.良性腫瘍
2.悪性腫瘍
に分類され、悪性腫瘍は上皮性のものを『癌腫』非上皮性のものを『肉腫』と呼びます。
『がん』は漢字で『癌』と書きますが漢字の『癌』だと悪性腫瘍の上皮性の癌腫のみを指すため、
一般的にはわかりやすい表記のため悪性腫瘍全体をひらがなで表記し『がん』と呼んでいるわけです。
だから今回も私は『がん』と表記しています。
がんは治らない病気と思われがちですが、その理由として、正常な細胞とがん細胞では機能の違いがひとつの理由として考えられています。正常な細胞は細胞分裂を繰り返す際にテロメアを消費するため、細胞分裂の回数が決まっていると言われています。しかしがん細胞は、細胞分裂の際にテロメアを消費しますが、テロメアーゼという酵素を出すため、このテロメアーゼは消費したテロメアを復元する効果のある酵素で、がん細胞は細胞分裂を半永久的に繰り返すことが出来ることが、恐れられている理由とのことです。
だから『がん』は遺伝子の疾患である。と学生時代に習ってきました。
しかし、どうやらこの考え方を変えるべき時が来たなと感じています。
だからこそ、久しぶりに悪性腫瘍について私の見解を述べさせて頂きます。
詳しくは次回の『がん』の話2で述べますが、
・糖質制限
・体温を上げる
このたった2つの条件で劇的に変化するとのことです。
ある医師は『がん』は3ヶ月以内に治ると述べられています。
まったくもって眼から鱗です。
この辺りの話は次回述べます。
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スターウォーズエピソード9の感想

2019-12-24 17:50:16 | 映画
スターウォーズエピソード9
〜スカイウォーカーの夜明け〜
観てきました。
エピソード1から映画館で観るようになったけど、
やっぱりオープニングのあの音楽と字幕が出てくるところはテンション上がりましたねー。
エピソード8がかなり斜め路線だったので、9は無理やりな付け焼き刃な設定が多かったけど、映像と音楽は圧巻でした。最後はうまくまとまっていたし、こういうシリーズものは王道でベタなストーリーで良いと思います。
約42年?の歴史もこれで終了。
とりあえずスッキリしました。

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経済における三つの思想

2018-11-15 09:31:46 | 学問
経済って簡単に普段からもちいらている用語だが、その言葉の意味はとても重いものです。
最近では経済は経世済民(けいせいざいみん)を略したものであると色々なところで目にします。
けいせいざいみんとは世をおさめ、民を救うことを言います。
つまり、経済とは民を救うために行う政策のようなものなのです。
そんな経済において、人によって考え方が全く異なる思想が存在しているのをご存知でしょうか。
1.古典派、新古典派
2.ケインズ派、ケインズ主義
3.リフレ派

古典派とは昔からある考え方で、民間の経済が滞っている時、つまりお金が無い時は政府も節約しなさいという考え方です。
ケインズ主義は、民間のお金が滞っている時は政府がお金を使い、民間が潤っている時は政府も節約する考え方です。
リフレ派とは経済とは通過の現象であるという考え方です。
このあたりを理解するにはそもそもお金とは何だろうか?という根本的な部分の理解が必要です。
今回は思想について述べさせて頂くため、割愛させて頂きます。

さて、三つの経済の思想、はたしてどの考え方が正しいのでしょうか?
ここを紐解くためには先ほど述べた経世済民けいせいざいみんという考え方と、インフレ、デフレといった状況、ミクロ視点、マクロ視点といった見方から分析するとわかりやすいかもしれません。
国や自治体のような大きな視点はマクロ視点。個人、家庭のような小さな視点はミクロ視点とします。
例えば現在の日本政府は約2パーセントものインフレ目標を掲げています。日本の現在の経済の状況はデフレです。
1.古典派、新古典派は政府の支出を抑えることで、無駄使いを無くし、財政を補おうとします。
主な政策としては増税です。今回で言うなら消費税の増税がこれにあたります。

2.ケインズ派、ケインズ主義は1とは逆にデフレ化では政府の支出を増やします。
政府の支出を増やすことで民間の支出を促すわけです。増税ではなくむしろ減税を行います。

3.リフレ派は、デフレを通過現象として考えるため、金融緩和を行います。
足りなければどんどん行いデフレ脱却するまで行います。インフレ下では金融緩和を辞め、引き締めていきます。

今現在日本政府が行っている政策は1と3の考え方です。
政府は支出を減らし、消費税を増税し、一方で金融緩和を行い円を増やしています。
しかし未だにデフレ脱却には至っていません。
なぜでしょう。
それは、政府と個人、家庭では視点が違うからです。マクロ視点とミクロ視点です。
ミクロ視点では、お金を使い続けてしまうと破産してしまいます。そのため、ある程度支出を抑える
必要があります。一方でマクロ視点では、政府は日銀に通貨発行を支持することで、お金を増やすこと
ができます。それで国債、政府の借金を返済することもできるわけです。
事実、政府の借金が増えたのは、1997年以降、国が支出を減らし、消費税を増税してからです。
それから20年もの間デフレ化が進んでいるわけです。
いつまでこんなこと繰り返すのでしょうね。、

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