昨日、ブログのネタ探しにブロ友さんを訪問していたら、2か所で「ひげ」の話題を目にしました。
近くなのにまだリアルに会ったことはない方ですが、立派な髭をお持ちの方です。
そんな訳で予てよりネタ集に書き留めていたメモ帳を整理して・・・
「ひげ」は権威を示す
「ひげ」は本来、洋の東西を問わず、昔から「権威の象徴」として使われてきた、男性の身体的装飾の一部です。
古代には現代のような種々の文明の利器もなければ情報網もなく、何処のでは誰に重要なことを話せばいいのか、誰が一番偉い人か分からず不便でした。そこで、ある種のグル―プや村の長老などは「顎鬚」(あごひげ)を蓄え、一般の人と区別する必要性から生まれました。
「ひげ」は本来、洋の東西を問わず、昔から「権威の象徴」として使われてきた、男性の身体的装飾の一部です。
古代には現代のような種々の文明の利器もなければ情報網もなく、何処のでは誰に重要なことを話せばいいのか、誰が一番偉い人か分からず不便でした。そこで、ある種のグル―プや村の長老などは「顎鬚」(あごひげ)を蓄え、一般の人と区別する必要性から生まれました。
天動説がまかり通りギリシャ神話が語られる時代になっても、哲学者や天文学者・数学者などいろんな偉い人は「ひげ」蓄えて自らの権威を誇張していたものです。
ひと頃は髭を生やすことはその威厳とともに、その後ろに控える組織や家族(一族)に対し重責を負うことを意味したこともありますが、戦国時代を過ぎ安寧な現代になってからは、本来の意味も薄れファッション的な意味合いが濃くなってきています。
ひと口に「ひげ」と言っても
ひと口に「ひげ」と言っても、大別して3種類あります。
1.顎鬚(あごひげ 顎の下にある長い毛:英語で Beard)「須」だけでも「顎ひげ」を意味します。
2.口髭または鼻髭(ひげ 口と鼻の間にある長い毛:英語で Mustache) 一般的に「ひげ」と言えば、この髭を指します。
3.頬髯(ほほひげ 顔の側面である頬にある長い毛、「もみあげ」と表現することもあります。:英語で Sideburn, Whisker)
つまり、語彙としては「長い毛」を表す「髯」・「髭」・「鬚」の区別があります。
「髟」(ひょう)というのは、「ひょう部」または「かみかんむり」・「かみがしら」と呼ばれる漢字の部首の一つで、「長い毛」を表現する漢字に多く使われます。
ひと頃は髭を生やすことはその威厳とともに、その後ろに控える組織や家族(一族)に対し重責を負うことを意味したこともありますが、戦国時代を過ぎ安寧な現代になってからは、本来の意味も薄れファッション的な意味合いが濃くなってきています。
ひと口に「ひげ」と言っても
ひと口に「ひげ」と言っても、大別して3種類あります。
1.顎鬚(あごひげ 顎の下にある長い毛:英語で Beard)「須」だけでも「顎ひげ」を意味します。
2.口髭または鼻髭(ひげ 口と鼻の間にある長い毛:英語で Mustache) 一般的に「ひげ」と言えば、この髭を指します。
3.頬髯(ほほひげ 顔の側面である頬にある長い毛、「もみあげ」と表現することもあります。:英語で Sideburn, Whisker)
つまり、語彙としては「長い毛」を表す「髯」・「髭」・「鬚」の区別があります。
「髟」(ひょう)というのは、「ひょう部」または「かみかんむり」・「かみがしら」と呼ばれる漢字の部首の一つで、「長い毛」を表現する漢字に多く使われます。
例えば、毛髪、髢または髲(かつら)、髩(びん)、髷(まげ)、鬀(剃る)など。
これら「髟」を伴う漢字は、いずれも常用漢字ではなく、公文書への使用は認められていません。
髭を蓄えて「ダンディ!」と言われるには、並大抵の手入れでは報いられません。無精者には不向きなお洒落です。
実は highdy も何度か「ひげ」を蓄えたことが・・・
長期の北海道出張ではすべての「ひげ」を蓄え、本社に戻り1日だけ皆さんに見せて翌日剃って出勤したことがあります。その時は「アイヌ人が帰ってきた」と冷やかされました。また、外国へも沢山出張しましたが、口髭をかなり伸ばしてみましたが、highdy の場合は「赤ひげ」なので威厳もなく、自分でもつまらなくってこれも1日だけですぐに剃り落としました。やはり、髭の色や形(種類)、似合う人とそうでない人があるようです。
髯と鬚と髭
頬髯は、顔(というより「人格」そのもの)を不清潔かつ暗く見せながらも、一見強く見せる印象的作用があり、古くから悪人的なイメージを強調する以外に良い効果はほとんど存在しないようです。
髭を蓄えて「ダンディ!」と言われるには、並大抵の手入れでは報いられません。無精者には不向きなお洒落です。
実は highdy も何度か「ひげ」を蓄えたことが・・・
長期の北海道出張ではすべての「ひげ」を蓄え、本社に戻り1日だけ皆さんに見せて翌日剃って出勤したことがあります。その時は「アイヌ人が帰ってきた」と冷やかされました。また、外国へも沢山出張しましたが、口髭をかなり伸ばしてみましたが、highdy の場合は「赤ひげ」なので威厳もなく、自分でもつまらなくってこれも1日だけですぐに剃り落としました。やはり、髭の色や形(種類)、似合う人とそうでない人があるようです。
髯と鬚と髭
頬髯は、顔(というより「人格」そのもの)を不清潔かつ暗く見せながらも、一見強く見せる印象的作用があり、古くから悪人的なイメージを強調する以外に良い効果はほとんど存在しないようです。
ヒトとして進化する前の動物的な身体保護機能の名残り、と言ってもよいものです。
従い、髯は、髭や鬚が無いと威厳的効果はないとも言えます。
また、鬚は上記のように「長い毛」を意味し、犬猫やクジラなどの「ひげ」も顎鬚に属し、「鯨鬚」(げいしゅ)という単語も存在します。
髭と顎鬚はともに権威の象徴として威厳を示すものでした。ただ、長老などグループのお飾り的な尊厳を示す顎鬚に比べると、髭は実務的権力者たる現場の指揮官が威厳を誇示するものとして、古くから蓄える管理者(偉人)が多かったようです。
「嘴」(くちばし)にも「比」が使われるように、鋭く、硬く、強いというイメージが「髭」には含まれています。歴代の偉人?(と言えるか否かは別にして)や権力者・有名人のヒトラーや日本の天皇、田中角栄などもその類でしょう。
我が国では、戦国時代に逞しい「男らしさ」を示していた髭も、戦国の世が終わった江戸時代になり、髭は風紀を乱すものとして禁止され、武士は髭を剃ることによりお上に反逆心を持たず忠誠を尽くすことを意味するように変わってきました。
髭と顎鬚はともに権威の象徴として威厳を示すものでした。ただ、長老などグループのお飾り的な尊厳を示す顎鬚に比べると、髭は実務的権力者たる現場の指揮官が威厳を誇示するものとして、古くから蓄える管理者(偉人)が多かったようです。
「嘴」(くちばし)にも「比」が使われるように、鋭く、硬く、強いというイメージが「髭」には含まれています。歴代の偉人?(と言えるか否かは別にして)や権力者・有名人のヒトラーや日本の天皇、田中角栄などもその類でしょう。
我が国では、戦国時代に逞しい「男らしさ」を示していた髭も、戦国の世が終わった江戸時代になり、髭は風紀を乱すものとして禁止され、武士は髭を剃ることによりお上に反逆心を持たず忠誠を尽くすことを意味するように変わってきました。
最近では、若い人も権威や重責を感じることなく、単にファッショナブルに自分を飾る手段の一つとして髭を生やしているようです。
本日もご来訪いただきありがとうございました。
皆様の ポチッ! に心から感謝します。
直ぐにshima様を思い浮かべましたよ
ひげも難しいと思い今は生やしておりません
私の場合はまばら髭で恰好つかないのです
そして髭も白髪交じりになってしまいましたのでね・・
しかしshima様のお髭はりっぱでした
髭は似合う人と似あわない人があります。
色や形もありますが、体格面でも貧弱な体格では似合いません。
貧相な玄関に立派な門松を飾っても不似合いです。
必要不可欠な体の機能の一部でない限り、一種の飾り物ですから客観的に見て相応しいものであれば、違和感はないと思います。
私も shima さんにはまだ会っていませんが、写真で見る限り、こうしてお付き合いして頂いている限りでは、とても相応しいものだと思っています。(いまごろ、くしゃみをなさっているかな?)
朝からくしゃみ連発で止まらないわけがわかりました。(病院行きも考えたほどです・・)
highdyさんは髭にまで深い見識が・・・
ご自身は「雑学」と仰るかも知れませんが、この髯と鬚と髭については「highdyファン」の皆さんにも新知識と関心を持たれたことと思います。
私の昨日の記事の上司が私に『この先の人生は髭をつけて挑戦しろ・・・』と言ったことはhighdyさんが説明されたような
ことを充分わかっていたのだと思います。
最後のサラリーマン生活となった会社の面接時にも私は『意味や理由は明かせないが髭を切れない約束がある・・・』と言うことを話し、理解していただきました。
その会社には海外各地にも支店や営業所がたくさんあり、「髭文化?」にも理解があったことも幸いしたのかも知れませんが・・・
今後も髯と鬚と髭の意味なども考え、肝に銘じながら?)生きていこうと思っています。
あ、ハハハ・・・ やはり、クシャミが出ましたか。
fumiel-shima さんの髭は、理由の公開は別にして、「意味のある髭」でもあり、それにとても
お似合いだと思います。
それに体格的にも、過去の実績(経歴)を語る(決して「騙る」でない)上においても相応しい髭だと思っています。
髭文化も国によりいろいろあるようで、髭があることで一人前と見られるような文化もあります。一概にある種の判断基準で区分することはできませんが、近代の我が国ではそれほど根付いた文化とは言えないようですね。