幻の姫谷焼

幻の姫谷焼を現代に再生

江戸初期姫谷を復活

2019-04-18 22:53:06 | 日記
江戸初期に作られた姫谷焼の材料を用いて、新しい令和に完全復活を目指す予定。
今までの学者の定説を作品を作って、覆す覚悟でいる。
姫谷焼は浄土真宗本願寺派正福寺が支援した窯であろう。
正福寺の本山は京都の世界遺産で有名な西本願寺である。
姫谷焼は西本願寺の美学で作られた、焼き物であります。
世界遺産の西本願寺の系統の焼き物であるので、西本願寺に恥じない焼き物を作らなくてはならない。

姫谷焼のルーツ

2019-04-18 21:20:28 | 日記
姫谷焼の材料を採取する場所がわかった。
材料から姫谷の成り立ちがわかった。
姫谷焼の窯跡付近に材料があると言われていた。
昔は交通の便が悪いので、重たい石や土は運ばないと、もっとらしいことを学者が言っていた。
窯跡から、だいぶ離れた場所から、材料を運んでいた。
学者に聞いても、近くにあるに違いないと言うだけで、調べしない。
姫谷焼は流紋岩を使っている。
正福寺の別荘の場所の石垣に、姫谷焼に使われていた流紋岩で築かれている。
姫谷焼は藩の窯ではなく、正福寺が支援していた窯である。
正福寺の本山は京都の世界遺産で有名な西本願寺であります。

姫谷窯跡

2019-04-18 17:22:00 | 日記
姫谷焼窯が築かれたのは、窯の近くに粘土があったのではない。
材料の採取の場所がわかったので、今まで言われていたことは、信憑性は全くない。
場所は、窯跡から、一里以上離れた場所であった。
姫谷焼の江戸初期の焼き物を再興できる目処がついた。

失敗の連続

2019-04-18 05:58:43 | 日記
失敗してわかったことは、姫谷焼窯跡付近には白磁の粘土はない。
石英はあるが粘りが全くない。
御本手粘土もほとんどない。
セッ器の粘土はある。
昔は材料の近くに窯を築くと言われるが、それにこだわるから失敗をする。
有田から運んで来たかと言うと、化学分析から姫谷付近の材料になる。
姫谷周辺から運んだことは間違いないが、広範囲になるので、探すのは大変である。
材料が枯渇していない前提である。
今までもたくさんの人が探しても見つからないので、量はたくさんない。