ビタミンおっちゃんの歴史さくらブログ

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◎マリー・アントワネット

2014-09-28 21:22:47 | 宝塚
マリー・アントワネット

★マリー・アントワネット(1755.11.2~1793.10.16)はフランス革命時、フランス王ルイ16世の王妃

マリー・アントワネットは「パンがないならケーキを食べればいいのに」とは言っていない

・1789年7月14日朝、民衆はまず廃兵院へ押しかけ、約3万丁の小銃と24門の大砲をうばった

 さらに武器弾薬を調達するために、バスチーユ要塞におしかけた
 かつては政治犯を収容する監獄になっていたが、革命当時は政治犯を収容する監獄ではなくなっていて、中にいた囚人は7人で、うち政治犯は1人もいなかった

 10月には、パリの主婦を中心とするひとたちが、ルイ16世にパンを要求するために、ヴェルサイユ宮殿まで行進した

 騒ぎを聞きつけたマリー・アントワネットが、お付きの者に「何で騒々しいのか」とたずね、お付きの者が「パリの市民たちが食べるパンがないと騒いでいるのです」と答えた
 そこで、マリー・アントワネットが「パンがないならケーキ(ブリオッシュ(最上級の菓子パン))を食べればいいのに」とつぶやいたという話である

○この言葉は、ジャン・ジャック・ルソーの「告白」第6巻のなかに出てくる

「…ルソーはパンがないとワインが飲めないたちだったから、パンを探したのだが、あいにくなかった
 そのとき、ルソーは、ふっとさる高貴な妃が、「農民にはパンがありません」との報告を聞いて、それなら「ブリオッシュを食べればいいじゃないの」と答えたことを思い出し、ブリオッシュでワインを飲んだ」

「さる高貴な妃」はマリー・アントワネットのことではない

 ルソーの「告白」は1766年に成っているが、このときマリー・アントワネットは10歳

 マリー・アントワネットがルイ16世と結婚式をあげたのは1770年5月16日で、このときマリー・アントワネットは14歳だったから、「告白」が書かれたときには、まだ王妃にはなっていない

 「さる高貴な妃」が誰であるかは不明であるようだが、少なくともマリー・アントワネットとは別人である(「なんかヘンだぞ!世界史」、後藤寿一、雄鷄社 など)


○ルイ16世は、ただ1人の愛人も持たなかった

 当時は国王は何人も愛人を持つのが当然であった
 フランスでは、神の前において正式に結ばれた女性、すなわち王妃の子どもにしか王位継承権が認められていなかったから、日本の大奥のようなものはなかった

 そのかわり、「公式寵姫」という、公式の愛人を一時に1人だけ持っていいという制度があった
 公式寵姫は、美貌と才覚をそなえた、ときには王妃をもしのぐ勢いをもつような公式の存在である

 公式寵姫は、王妃をスキャンダルなどから守る防波堤の役割をはたしていた
 ところが、ルイ16世は愛人どころか、公式寵姫ももたなかったから、王妃にすべて波がかぶってきて、何かにつけてマリー・アントワネットが槍玉にあげられることになる(「物語フランス革命」安達正勝、中公新書)

○ルイ16世は、妻がフェルセンに心を寄せていたことを知っていたが、やさしい夫であった

 夫を軽んじ続けてきたマリー・アントワネットが夫の包容力ややさしさに気づき、ルイ16世を愛するようになるのは、結婚して20年以上たった、何もかも失って1792年8月10日、家族とともにタンブル塔に幽閉された後のことである(「物語フランス革命」)