◎ベートーヴェンの交響曲 第5番
★ベートーヴェンの交響曲 第5番
○私は第4楽章 Finale が好きです
映画「マエストロ」でも、第4楽章の終わりのほうが使われていました
○ベートーヴェン自身はこの曲の題名を「運命」としたという事実はない
弟子のシンドラーが「「運命はこのようにして扉を叩く」とベートーヴェンが語った」という由来は疑わしい
私が、とくに第4楽章を聴いてイメージするのは「勝った!」という明るいイメージで、「運命」という言葉から感じる暗く重々しいイメージではありません
私の独断と偏見で、僭越ながら、あえてタイトルをつけるとしたら、「勝利」もしくは「希望」としたいです
○「第5番」は1808年(ベートーヴェン 38歳)12月22日にウィーンのアン・デア・ウィーン劇場で開かれた演奏会で第6番「田園」とともにベートーヴェン自身の指揮で初演されました
1803年のスケッチブックに「第5番」の初期草稿があるということで、演奏時間にすれば30数分ですが、何年もかけて作曲されたものです
メンデルスゾーンがベートーヴェンの直筆の楽譜を調べてみると、何度も何度も書き直され、削除され、また書き加えられ、推敲に推敲を重ねて完成した作品である(「ベートーヴェンの交響曲」金聖響、玉木正之、講談社現代新書)
○第1楽章はハ短調、第3楽章もハ短調で、第3楽章からすぐ続く第4楽章はハ長調で、一転して暗から明へ変わる
ハ長調は明るい清澄なイメージがあるようで、第4楽章が輝かしい
○CD
「スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ指揮、ザールブリュッケン放送交響楽団」2005年
「ショルティ指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団」1958年
「ショルティ指揮、シカゴ交響楽団」1974年
「朝比奈隆 指揮、大阪フィルハーモニー交響楽団」2000年
「レナード・バーンスタイン指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団」1977年
「佐渡 裕 指揮、ベルリン・ドイツ交響楽団」2014年
を聴きました
★ベートーヴェンの交響曲 第5番
○私は第4楽章 Finale が好きです
映画「マエストロ」でも、第4楽章の終わりのほうが使われていました
○ベートーヴェン自身はこの曲の題名を「運命」としたという事実はない
弟子のシンドラーが「「運命はこのようにして扉を叩く」とベートーヴェンが語った」という由来は疑わしい
私が、とくに第4楽章を聴いてイメージするのは「勝った!」という明るいイメージで、「運命」という言葉から感じる暗く重々しいイメージではありません
私の独断と偏見で、僭越ながら、あえてタイトルをつけるとしたら、「勝利」もしくは「希望」としたいです
○「第5番」は1808年(ベートーヴェン 38歳)12月22日にウィーンのアン・デア・ウィーン劇場で開かれた演奏会で第6番「田園」とともにベートーヴェン自身の指揮で初演されました
1803年のスケッチブックに「第5番」の初期草稿があるということで、演奏時間にすれば30数分ですが、何年もかけて作曲されたものです
メンデルスゾーンがベートーヴェンの直筆の楽譜を調べてみると、何度も何度も書き直され、削除され、また書き加えられ、推敲に推敲を重ねて完成した作品である(「ベートーヴェンの交響曲」金聖響、玉木正之、講談社現代新書)
○第1楽章はハ短調、第3楽章もハ短調で、第3楽章からすぐ続く第4楽章はハ長調で、一転して暗から明へ変わる
ハ長調は明るい清澄なイメージがあるようで、第4楽章が輝かしい
○CD
「スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ指揮、ザールブリュッケン放送交響楽団」2005年
「ショルティ指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団」1958年
「ショルティ指揮、シカゴ交響楽団」1974年
「朝比奈隆 指揮、大阪フィルハーモニー交響楽団」2000年
「レナード・バーンスタイン指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団」1977年
「佐渡 裕 指揮、ベルリン・ドイツ交響楽団」2014年
を聴きました