監督日記

試合の本当の“速報”また私から見た部活動の様子をライブで発信いたします。

監督、福島に行く15

2016-10-12 22:01:37 | 旅日記
監督、福島に行く15

最後は石原邸に向かいました。


あれ写ちゃった。

SLが


石原邸でお昼を頂き、最後は記念写真を


由佳ちゃん(漢字あってる?)何年経っても可愛いですね。

本当にお世話になりました。
石原邸を後にして
郡山まで寺田先生に送って頂き、


岐路に着きました。

寺田先生・石原先生、5年前もそうですが
今回も大変大変お世話になりました。

次は10年後かな?

以上、監督、福島に行くでした。
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監督、福島に行く14

2016-10-06 21:28:26 | 旅日記
監督、福島に行く14

石原先生と








三ノ倉高原を後にしました。
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監督、福島に行く13

2016-10-06 21:22:24 | 旅日記
監督、福島に行く13



やっとこっちを向いてくれました。


わあって感じですか?









最初のうなだれていたひまわりは
その週の月曜日に来た台風の影響で
倒れたそうです。

それが無ければもっと素晴らしい景観でしたね。
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監督、福島に行く12

2016-10-06 18:23:40 | 旅日記
監督、福島に行く12

雄国沼湿原を出てから我々はここに向かいました。
ん?


ひまわりが下を向いてる。


ここは喜多方にある三ノ倉高原のひまわり畑です。


こんな感じ


こっち向いて




この8月がピークだそうです。


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監督、福島に行く11

2016-10-02 13:43:01 | 旅日記
監督、福島に行く11

実際に歩いてみました。
















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監督、福島に行く10

2016-10-02 13:33:54 | 旅日記
監督、福島に行く10

翌朝ホテルの部屋から撮影


マイナスイオンいっぱい出てる感じしますね。

泊まったホテル
良いホテルでした。
昨日と違って良い天気でした。


近くには神社が


お世話になりました。
我々一行はここに向かいました。

雄国沼湿原に向かいました。
雄国沼湿原は、喜多方市東部に位置し、約50万年前の猫魔ヶ岳の
火山活動によって誕生したカルデラ湖、雄国沼にできた標高1000mを越える高原です。












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監督、福島に行く9

2016-09-30 21:45:22 | 旅日記
監督、福島に行く9

我々一行はそのまま会津芦ノ牧温泉へ
丸峰観光ホテルに行きました。

温泉に入り、食堂に行き食事がスタートしました。
こんな料理です。










大変美味しかったです。

記念写真
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監督、福島に行く8

2016-09-28 22:16:00 | 旅日記
監督、福島に行く8

その重い足を引きづりながら向かったのがこれ


なんだと思います?

これはさざえ堂と言って同じ飯盛山にあります。

正しくは『円通三匝堂(えんつうさんそうどう)』といい、
寛政8年(1796年)に飯盛一族の先祖である飯盛山正宗寺(せいそうじ)
第12世郁堂和尚(いくどうおしょう)によって建立され、西国三十三観音菩薩を安置した六角三層の観音堂です。

ここをお参りすると西国三十三観音菩薩をお参りしたのと
同じご利益があったそうです。

形が さざえの殻に似ていることから俗に『さざえ堂』と呼ばれ、
階段のない螺旋通路で上り下りができ、上りの人と下りの人がすれ違うことなく
一方通行で巡れる世界にも例のない建築で、国の重要文化財に指定されています。

白虎隊士もここに行ってお参りしてたのかな?

何ともユニークな形ですね。


斜めってます。

中はこんな感じ
暗くてすいません








その周辺は






さざえ堂のおかげで最後はすっかり元気になって
この場所を後にしました。
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監督、福島に行く7

2016-09-28 22:11:33 | 旅日記
監督、福島に行く7



そして白虎隊のお墓です。


戊辰戦争後、会津藩は朝敵とされたために白虎隊の遺体を
明治政府はそのまま放置しておくよう命じ(埋葬禁止令)埋葬の許可がされませんでした。

この場所で風雨に晒される少年たちの遺体は、衣服遺留品は盗賊に盗られ、
動物に食べられ酷い状態だったそうです。

不憫に思った当時の山主飯盛正信が、有志らと夜な夜なコッソリと骨を拾い集め、
今の墓前広場の一角に仮埋葬をしましたのですが、このことがすぐにわかり、
遺体は掘り起こされ元のこの場所へ投げ捨てられたそうです。

白虎隊の埋葬の許可がおりたのは、後の明治2年のことでした。



何となく暗い気持ちでこの場所を去りました。
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監督、福島に行く6

2016-09-28 22:11:04 | 旅日記
監督、福島に行く6

会津藩藩士の子どもたちは「什」(じゅう)と呼ばれる集まりを作りました。
「ならぬことはならぬものです」のフレーズで知られるのが「什の掟」です。

一、年長者(としうえのひと)の言ふことに背いてはなりませぬ
一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
一、嘘言(うそ)を言ふことはなりませぬ
一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
一、弱い者をいぢめてはなりませぬ
一、戸外で物を食べてはなりませぬ
一、戸外で婦人(おんな)と言葉を交へてはなりませぬ
ならぬことはならぬものです

※什により多少異なります。

次に我々は飯盛山に向かいました。
いいもりやまですからね。




名前だけは聴いたことがあるとは思いますが、
白虎隊の自刃した場所です。

飯盛山にはこの動く歩道で移動しました。
絶対大変ですからというアナウンスに引かれて乗ってしまいました。
結構いい金額なんだよね。


登った先には












この場所で自刃したそうです。

ここから見える会津城下






今のように携帯があれば、すぐに連絡して城が落城していないことが
わかったのに非常に残念なのである。
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