「忘れられない夏」2009年の話
2006年の話
8月3日(木)の午前中の診療時の事。
窓際でカルテを書いていると窓の外から
今年作った剣道部T-シャツを着た6年生1人が
3号館からこちらの建物に向かって歩いているのが見えた。
珍しく眼鏡をかけていて、右手には竹刀を左手にはかばんを持ち、
ゆっくりとこちらの方に歩いてくるのが見えた。
顔には笑みは無く、むしろ少し緊張しているように感じられた。
“ああ、いよいよ出発の時間かあ”ってその6年生を眺めてたら、
急に2年前の出来事が頭をよぎった。
忘れもしない2年前。2004年の茅ヶ崎デンタル。
デンタル直前での2名の緊急入院。
試合では怪我による部員2名の救急車搬送。
今考えてもあの夏の大会ほど予期せぬ出来事が多かった大会はない。
その6年生こそ救急車で最初に搬送された人物だった。
忘れもしない個人戦の1回戦それも1番目の試合。
尋常じゃない倒れ方をして、それっきり起き上がってこない。
観覧席から彼の元に辿り付くまでにどうか軽い怪我であって欲しいと願ったが、
彼の表情を見た瞬間にそれが無理な願いである事を悟ってしまった。
そして救急車前で彼のお父さんと初対面。
どちらとも何ともいえない空気が漂っていたのを今でも憶えている。
彼は当時、主将。
すべての重圧が一気に彼の足に圧し掛かってしまった。
“神はこの剣道部にまだ試練を与えるのか”と
これほどまでに神を呪ったことはこの年ほどない。
“早く、この場所から去りたい。”
“早く来年になりたい”と、もう一度、リセットして早く来年の大会に臨みたいと
試合中ずっと思っていた。
当然、彼はそれ以上に悔しかったと思う。
後で聞けば搬送中の救急車の中で悔しさを堪えきれず、大泣きしていたそうだ。
我々は、“彼のために”という合言葉を胸に女子団体は3位。
公式団体は優勝チームに“あわや”と云う所まで追い込み、
ベスト8という成績を収める事が出来き、一人抜けたとは言え、
彼の一年間の指導力がいかに素晴らしかったかという答えを導き出した。
打ち上げで当時1年生の部員が“今日チームが負けたのは僕のせいです。すいませんでした。”
とボソッと僕のところに来て言った言葉を今でも憶えている。
私は何を彼に言ったかどうかは今となっては思い出せないが、
何かしら奮起を促した事は憶えている。
打ち上げはすざましかった。主将の挨拶に“私はこの大会、全く活躍できませんでしたが、
他の部員が活躍してくれた事で私の一年が意味があった事を嬉しく思い、部員に感謝します。”
という言葉に思わずもらい涙をもらってしまった。
さらに2次会のカラオケはもっとすざましいものになった。
現役部員のほとんどが泣き、怪我をした彼のそばからくっつき離れないで
泣いている光景は今でも忘れられない。この光景こそが私にとってまさしく
“忘れられない夏”であった。
その時の1年生が今や6年生。
あの時の事、まだ憶えてますか?そしてあの気持ち忘れていませんか?
最後の夏です。
忘れられない夏パート2が今始まる。
※デンタルは何があるかわからない。
2006年優勝写真