監督日記

試合の本当の“速報”また私から見た部活動の様子をライブで発信いたします。

あの時君は若かった5

2012-08-14 09:17:29 | あの時君は若かった
あの時君は若かった5
2006年の写真です。
優勝カップは飲みにくいんですよ。
来年忘れ物を取りに行きましょう。
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過去ログから4

2012-08-09 08:53:09 | 過去ログから
「忘れられない夏」2009年の話 

2006年の話
8月3日(木)の午前中の診療時の事。

窓際でカルテを書いていると窓の外から
今年作った剣道部T-シャツを着た6年生1人が
3号館からこちらの建物に向かって歩いているのが見えた。

珍しく眼鏡をかけていて、右手には竹刀を左手にはかばんを持ち、
ゆっくりとこちらの方に歩いてくるのが見えた。

顔には笑みは無く、むしろ少し緊張しているように感じられた。

“ああ、いよいよ出発の時間かあ”ってその6年生を眺めてたら、
急に2年前の出来事が頭をよぎった。

忘れもしない2年前。2004年の茅ヶ崎デンタル。
デンタル直前での2名の緊急入院。

試合では怪我による部員2名の救急車搬送。
今考えてもあの夏の大会ほど予期せぬ出来事が多かった大会はない。

その6年生こそ救急車で最初に搬送された人物だった。
忘れもしない個人戦の1回戦それも1番目の試合。

尋常じゃない倒れ方をして、それっきり起き上がってこない。
観覧席から彼の元に辿り付くまでにどうか軽い怪我であって欲しいと願ったが、
彼の表情を見た瞬間にそれが無理な願いである事を悟ってしまった。

そして救急車前で彼のお父さんと初対面。
どちらとも何ともいえない空気が漂っていたのを今でも憶えている。

彼は当時、主将。
すべての重圧が一気に彼の足に圧し掛かってしまった。

“神はこの剣道部にまだ試練を与えるのか”と
これほどまでに神を呪ったことはこの年ほどない。

“早く、この場所から去りたい。”
“早く来年になりたい”と、もう一度、リセットして早く来年の大会に臨みたいと
試合中ずっと思っていた。

当然、彼はそれ以上に悔しかったと思う。
後で聞けば搬送中の救急車の中で悔しさを堪えきれず、大泣きしていたそうだ。

我々は、“彼のために”という合言葉を胸に女子団体は3位。
公式団体は優勝チームに“あわや”と云う所まで追い込み、
ベスト8という成績を収める事が出来き、一人抜けたとは言え、
彼の一年間の指導力がいかに素晴らしかったかという答えを導き出した。

打ち上げで当時1年生の部員が“今日チームが負けたのは僕のせいです。すいませんでした。”
とボソッと僕のところに来て言った言葉を今でも憶えている。

私は何を彼に言ったかどうかは今となっては思い出せないが、
何かしら奮起を促した事は憶えている。

打ち上げはすざましかった。主将の挨拶に“私はこの大会、全く活躍できませんでしたが、
他の部員が活躍してくれた事で私の一年が意味があった事を嬉しく思い、部員に感謝します。”
という言葉に思わずもらい涙をもらってしまった。

さらに2次会のカラオケはもっとすざましいものになった。
現役部員のほとんどが泣き、怪我をした彼のそばからくっつき離れないで
泣いている光景は今でも忘れられない。この光景こそが私にとってまさしく
“忘れられない夏”であった。

その時の1年生が今や6年生。
あの時の事、まだ憶えてますか?そしてあの気持ち忘れていませんか?

最後の夏です。
忘れられない夏パート2が今始まる。

※デンタルは何があるかわからない。
2006年優勝写真
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過去ログから3

2012-08-08 17:07:58 | 過去ログから
その男最強につき

面を外した瞬間、周りから“ふぅー”という音が彼の耳に聴こえてきた。
その瞬間、彼は大きなショックを受けた。

それは溯る(さかのぼる)事、5年前の話。

意気揚々と愛知から上京してきたその青年は、子供頃から慣れ親しんだ
剣道を大学でも行うべく、剣道部の門を叩いた。

クラブガイダンスも終わり、あらかじめ防具を東京に持って来ていた彼は、
最初の練習から自信満々で参加した。

練習が終わり、面を外した時に、彼の耳に期待外れの様な声に
近い溜息が聴こえて来たそうだ。

正直、ショックだった。

決して強豪校ではなかったが、曲がりなりにも、中・高校と主将を経験し、
チームの中心人物としてその存在を遺憾(いかん)なく発揮していた彼だったが、
その思いとは全く違う反応が起きたのだった。

実はこれには少々裏話がある。
“忘れられない夏”に書いたように我々は2004年夏のデンタルで
まさかの大事故に見舞われた。

あの夏は戦力が整い、手ごたえのあるチーム編成が出来ていた。
無論、優勝も狙えるチームだった。

とくにそのチームの大黒柱(6年生)の存在が大きく、
彼をチームの中心としてオーダーを組んでいた。

それがあの事故で歯車が大きく崩れたのだった。

翌年、その後釜に入ったのが彼だった。
さすがに18歳、大学で6年間揉まれた人間と比較するのが正直、酷な話である。

しかし、彼はあきらめなかった。練習後または空いた時間を見つけては
体力やスピードをつけるべく、家の周辺を走った。

いわゆる自主トレだ。素振りもした。ただ、先輩たちに見返してやると云う気持ち
一つで。

そんな思いから始まった彼だったが、気付けばいつの間にやら剣道部史上(おそらく)、
最高の勝数を上げてくれた。

39戦26勝6敗7引 勝率0.813

今回も大活躍。
予選リーグ5戦全勝。

彼のおかげで無事予選通過出来た。
いなかったらゾッとする。

彼はこの剣道部でも存在感を遺憾なく発揮した。

この記録を抜く男は出るのか?
しばらくは“最強の男”と呼ばせてもらおう。

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