2012年3月30日(金)
3時30分
四国、松山の道後温泉
ホテル パティオ・ドウゴで目覚めました
まだ外は真っ暗です
この歳になると目覚まし時計は必要ありませんね~(笑)
道後温泉本館は6時にならないと入浴できません
残念ですが6時まで待てないので
ホテルのユニットバスで入浴
4時30分にホテルを出発
松山と言えば「松山城」
実は、今回の旅は、お城巡りも重要なポイントでした
なにせ、北海道にはお城と言うものがほとんどありません
子供の頃からお城には不思議な魅力を感じてました
ある意味、建築士の道にすすんだのは
お城の影響といってもいいかもしれません
NHKの大河ドラマ好きも
地理や歴史が好きなのも、お城の影響だと思います
お城は守りの砦です
時の武将たちは、攻めることよりも
地形をうまく利用して、まず守りを固め
敵の攻撃や天災から身を守ることに
沢山の時間と労力とお金を惜しまずに費やしたのです
現代社会に、今一番欠けているのは
守ることへの備えではないでしょうか?
東京電力の福島原子力発電所の事故
戦国時代以前から
何度も大地震や大津波が
日本を襲ったはずです
お城が、津波で流されたということは過去あったのでしょうか?
原子力発電所の立地を見ると
戦国時代の武将に笑われるでしょうね
伊達政宗が築いた
仙台、青葉城
彼は仙台の海岸線が危険だということを知っていたのだと思います
今、私たちは彼らから学ばなければなりません
前置きが長くなりましたが
松山城の天守は標高が高く
観光客の方々は、普通ロープウェイかリフトで登るらしいのですが
早朝の為、ロープウェイはまだ営業していません
しょうがないので、ふもとの駐車場で夜が明けるのを待ち
裏手の登城道を登りました
夜明け前の松山城天守
桜は、ほとんどまだ蕾みです
松山城天守からの朝日です
登った高さが実感できます
太陽が出たので
一気に駐車場まで下りて
海岸線を走り、今治を目指しました
今治市内に入り
すき家で納豆朝食
メニューにはありますが
ここを含めて2店で朝食食べましたが
周りで納豆食べてる人をひとりも見かけませんでした
気のせいか、納豆食べてると
私の周りはガラ~ン
もしかすると、四国では納豆はタブーなのかな~?
日本全国
どこに行っても「すき家」
ありがたいことです
今治城
標高を稼げないお城は
お堀で守ってます
やっと9時です
今治市役所
日本最大の海事都市
北方の領土かえる日 平和の日
四国で北方領土の標語があるとは
頭がさがります
今治は
タオルの生産と造船の街でした
今治市役所で父方の戸籍謄本を取得しようと
窓口で請求しましたが
予想通り古過ぎてありませんでした
無い事を覚悟で来たのでしょうがありません
気を取り直して
せめて、ご先祖様の本籍地に立ちたいと思い
古い所在地を現代の地図に落とし込み、行ってみると
そこは、桜が咲き
みかんが生る平和な土地でした
なんかホットしました
この辺りを高いところから見下ろしたいと思い
ナビで調べると
近見山展望台
正面が瀬戸内海、しまなみ海道です
父方の先祖の本籍地は
愛媛県越智郡近見村大字石井七拾番です
この山の瀬戸内海側のふもとです
明治32年(1899年)
私の先祖は
この地から
北海道余市郡大江村赤井川番外地に入籍しました
何があって、何を想って
遠い北海道まで行く必要があったのだろうか
気候も温暖なこの地から、なぜ極寒の北海道に・・・・
なんて、妄想にふけってると
地元のテレビ局が取材撮影してました
なにやら四国の農業を再発掘したい・・
とか言うテーマの撮影だそうです
私があまりにも熱心に写真撮影しているのを見て
彼らが近付いて来て話しかけられました
テレビ局の方
「地元の方ですか~?」
「何の写真を撮られているんですか~?」
わたし
「北海道からです」
「ルーツ探しで来ましたが、戸籍謄本は既に無く
先祖の暮らした土地の風景の写真を撮影してます」
テレビ局の方
「それはよく来られましたね~」
「明治のはじめ、廃藩置県で武士の居場所が無くなり
時の政府は、北方警備と北海道開拓の大義名分の元
居場所の無くなった武士や小作農民を
この四国から大量に北海道に送り込んだ歴史があります」
「四国と北海道には、そんな縁がありますよ」
「北海道で鳥のから揚げのことを、何て言います?」
わたし
「ザンギって言いますよ」
テレビ局の方
「今治でもザンギって言うんですよ~」
「縁のある証拠ですよね~」
この短い会話だけで
来た甲斐がありました
胸が熱くなりました
そうか~、今治でもザンギって言うんだ~
さすがテレビ局の方々は
郷土の歴史や方言に詳しく
この近見山の頂上で、偶然遭うことが出来て
本当に来て良かった
と実感しました
「四国一周気を付けて~」
と皆さんに見送られ、近見山を下山しました
愛媛県越智郡清水村大字徳重二番
近見山から車で20分くらいのとこです
父方の私の祖父は婿養子で
北海道士別市で藤本姓でした
士別市役所でその先を調べると
ここ徳重からの入籍でした
先祖の糸をたぐると
四国に辿り着きます
よほど四国に縁があるんですね~
それにしても道路が狭い
軽自動車でやっとです
太平洋戦争の戦火を免れたのでしょう
なぜか、そう想うと心の底からホットしました
つづく