私は知らなかった、常識が判らなかったのだ、どのように振舞うべきかわからなかった。勉強はどのようにするのかも判らなかった。よくない原因が自分にある事がわかっていても対処法は判らなかった。物心ついた頃から家では父母が険悪だったし、母はフルタイムの仕事をしていて帰宅後怒るばかりだった、兄妹の面倒をみていた祖父母は無学だったし、農作業でほぼ放置だった。家で宿題をする習慣はなかった、学校から帰宅後は野山を駆け回って遊ぶのだ。ほぼ放置子で、学校の同級生の家を訪ねては長居し、その家の家族には怒られた。
転機はあった、小5でに担任になった先生が私の朗読と作文と絵を褒めたこと、そのことをきっ掛けに褒めてほしくて努力した。本に目覚め常識を知ったのも大きかった(図書室に入り浸った)。誰も教えてくれないのなら常識を自分で獲得しなければならない。勉強は覚えてアウトプットすれば何とかなった、完璧にはできないが遅刻は時間を気にかけることで対処を覚えた、同級生の動きに同調するよう心掛けて移動教室でも遅れないで済むようになったし、宿題は教科書やプリントを見てこなせばよかった、クラスメイトとも距離を取り激昂しないように気を付けた。
何故教えてくれなかったのかという疑問があったけれど、なぜ自然と分からなかったのかという疑問もわく。発達に特性があったのかということ、虐待が先なのか発達の問題が先なのかということ、グレーゾーンということなのだろうかということ。いずれにしても、して欲しかった事は一つだ、対処法を教えてほしかった。教えて貰えていたらこんなに一人で苦労することはなかったのではないかという事だ、手助けがあったら、手が差し伸べられていたら、寄り添って貰えていたら、少しはましな気持ちで生きてこれたのではないかと考えている。
人のせいにはしない、私の問題だということは分かっている。私はサバイブしてきた、自分で自分を助けてきたのだ、誰も頼りにはできないのだと小学生で悟ったから。だから苦しかった、そして今も苦しんでいる。