心を込めて

心の庵「偶垂ら庵」
ありのままを吐き出して 私の物語を紡ぎ直す

勇気を出して②

2022-04-02 19:55:18 | モヤモヤする事

私は知らなかった、常識が判らなかったのだ、どのように振舞うべきかわからなかった。勉強はどのようにするのかも判らなかった。よくない原因が自分にある事がわかっていても対処法は判らなかった。物心ついた頃から家では父母が険悪だったし、母はフルタイムの仕事をしていて帰宅後怒るばかりだった、兄妹の面倒をみていた祖父母は無学だったし、農作業でほぼ放置だった。家で宿題をする習慣はなかった、学校から帰宅後は野山を駆け回って遊ぶのだ。ほぼ放置子で、学校の同級生の家を訪ねては長居し、その家の家族には怒られた。

転機はあった、小5でに担任になった先生が私の朗読と作文と絵を褒めたこと、そのことをきっ掛けに褒めてほしくて努力した。本に目覚め常識を知ったのも大きかった(図書室に入り浸った)。誰も教えてくれないのなら常識を自分で獲得しなければならない。勉強は覚えてアウトプットすれば何とかなった、完璧にはできないが遅刻は時間を気にかけることで対処を覚えた、同級生の動きに同調するよう心掛けて移動教室でも遅れないで済むようになったし、宿題は教科書やプリントを見てこなせばよかった、クラスメイトとも距離を取り激昂しないように気を付けた。

何故教えてくれなかったのかという疑問があったけれど、なぜ自然と分からなかったのかという疑問もわく。発達に特性があったのかということ、虐待が先なのか発達の問題が先なのかということ、グレーゾーンということなのだろうかということ。いずれにしても、して欲しかった事は一つだ、対処法を教えてほしかった。教えて貰えていたらこんなに一人で苦労することはなかったのではないかという事だ、手助けがあったら、手が差し伸べられていたら、寄り添って貰えていたら、少しはましな気持ちで生きてこれたのではないかと考えている。

人のせいにはしない、私の問題だということは分かっている。私はサバイブしてきた、自分で自分を助けてきたのだ、誰も頼りにはできないのだと小学生で悟ったから。だから苦しかった、そして今も苦しんでいる。

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勇気を出して①

2022-04-02 18:03:03 | モヤモヤする事

自分を見つめ直していて、多種多様な媒体から学びを深めている中、自分の過去のつまづきから浮かび上がってくるものがある、それは自分の特性、個性。認めたくないが、それは父にも強く感じる特性であり個性だ。

私は集団行動が苦手だった。幼稚園の母親参観の日、帰宅後「恥ずかしかった」と母に言われた。帰りの会で皆が着席する中、私が一人廊下で着替えていたというのだ。小学校時代は忘れ物ばかりしていた、時間は守れず集団登校ではいつも遅刻していた。

小学校に上がる前日には名前が書けないことで特訓が行われた、叩かれ泣きながら練習した記憶がある。小1では授業が始まっても教壇の机の下に入りクラスメイトと遊んでいて、竹刀で怒られて驚いた思い出がある。(多分立ち歩くことが悪いと知らなかった)。小3では足が痛いと長く嘘を付いてバレて、保健室でがっちり保健の先生に叱られた記憶がある、嘘という自覚があったのですぐには教室に戻れないほど泣いた。高学年になればクラスメイトとも口喧嘩が過ぎ孤立していった。若い担任の先生の気を引きたくて日記に「自殺したいです」と書き、帰りの会で皆の前で激しく叱られたこともある。

宿題をせず、嘘を付き、時間を守れず、悪びれず、同級生に暴言を吐いて泣かせ、ふざけてへらへらする私に、先生は本気で怒っていたと思う。概ね運動も勉強もうまくできず、小中学校時代は孤立して孤独で苦しい思い出が主である。

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昼休み

2022-04-02 13:34:38 | かなしい記憶

中学生の頃の記憶は厄介だ、いじめや家族の問題が混沌としていて辛い。(五月雨に思いつくまま記憶の奔流と向き合う私は、今はこれが必要だと感じてアウトプットすることにする)

中学生時代、昼休み時間は学校中どこにも行き場がなかった、週や曜日ごとに各クラス使用場所が制限されていたからだ。割り当てられた校庭使用日に雨が降ると最悪だった。教室は針の筵なので居られない、図書室と体育館は他学年使用の割り当てだから過ごせない、保健室は他の生徒がいたし、先生の社交場だから入れなかった。

いつだったか学校中廻って、美術室も音楽室も絶望的だった日。最後に廻った体育館の外回りで同クラスの男子に遠くから指さされた、とっさに逃げた、剣呑な雰囲気だったのだ、プールのトイレと藪との境目に潜んだ、臭いし汚いし最悪な気分だった。

少し潜んでいたが、そろそろ5校時目が始まる、体育館の端から自分の教室に戻るのは時間がかかる、授業が始まってから入るのは間が悪いし、先生に激しく怒られた経験があったので避けたかった。時計を持っていなかったしチャイムが鳴ってからでは間に合わない、已む無く教室に向かうことにした。そこで先ほどの男子がまたしても私を指さした、どうやら探していたようだ、反対側に回ったが指図された他の男子に挟み撃ちにされてしまった。

「狩り」そう感じた、獲物の私は挟み撃ちにされて雪玉を前後からぶつけられた。クラスのほとんどの男子がいた、その中に真面目で優等生の学級長もいたのは驚きだった。怒りがわいた、居直って全員を眺めまわした、泣きわめかずに毅然と睨んだ、数人は見つめられて視線を逸らした。「罪悪感はあるんだ」そう感じた、狩りは本能で楽しかろうが、狩られる立場は楽しくない。

その後どうなったか記憶は曖昧で、幾つもの凍り付いた記憶の断片が浮かんでは消える。中学時代の辛い記憶がまだまだ埋まっているようだ。少しづつでも取り組んでいくのがいいのかもしれない、いつまでも抱えていなくていいと思う、辛い記憶の荷物を下ろしていきたい、私は私を助けたいのだ。

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常識の再構成

2022-04-02 11:01:58 | 新しい心持へ

自分を見つめ直し、学び始めてから「知る痛み」がある、ということを知った。

私は「至らぬ未熟な自分」を「知る」ということに、抵抗感はあまりなかった。

もちろん痛いし、知りたくないという気持ちもあるけれど、知りたい欲求のほうが大きかった。

「知れば変えられる」から、わからないまま怒られるほうが嫌だった。

ずっと「何かが違う」という違和感を抱えて生きて来た、自分が自分でわからなかった。

おぼろげながらずっと探し求めてきたのは「自分の本心」なのかも知れない。

問題に直面した時、まず最初に考えるのは「何を求められているか」だったから。

何を演じればいいのか分からないことが不安だった、演じる何かがあれば楽だから。

いろいろな媒体から情報を得て、注意深く自分を探っている。

この苦しみから逃れたい、自分が自分である事が辛いのは、もう嫌なんだ。

気づきが多く、知らなかったことが多くて、まだまだ先は長いけれど。

希望を持ち、情熱を持ち、自分を信じて、今日も先に進む決意を新たにする。

ゆっくりでいいと自分を労わりながら。

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