心を込めて

心の庵「偶垂ら庵」
ありのままを吐き出して 私の物語を紡ぎ直す

胸に手を当ててよく考えなさい②

2022-03-27 15:31:23 | かなしい記憶

実は数日前に高校の担任から自宅に電話があった「警察から高校に通報があった、あなたの苗字なので連絡した」「心当たりはあるか?」全く心当たりがなかったので否定し、住んでいた地所には同世代の女子が5人以上存在し、同姓の者もいる旨を会話して終了した。今思えばきっと名指しだったのだろう。私は暢気に誤解があったんだろうくらいにしか考えていなかった、冤罪だったが寛容な気持ちだった。当時の私はアラレちゃんとあだ名され幼稚だったし、見た目は陰鬱で、興味は漫画と試験結果だった、着ている私服は概ね兄のお下がりのジーンズに黒いトレーナーで、女らしい服は妹にしか買い与えられていなかった。

膠着した母との問答の中、感情が決壊し私も泣き叫んだ「どうして信じてくれないのか」「娘を信じられないのか」。父が帰宅し、諍いの理由を問われ正直に話した、だがしかし状況は変わらなかった。父も母も私を信じなかった、魔女裁判のように既に決まっているのだ、私は有罪だと。その騒ぎがどのように静まって日常に繋がったか思い出せないけれど、両親に決定的な不信を抱いた、特に母は私にとって危険な存在だと認識し直した、今後も気を引き締めて警戒しなければならなかった、自分の身を守るために。

そして数十年が経ち、あの時は信じてもらえなくて悲しかったと母に伝えた時「絶対に噓を付いていると思っていた」と言われ、今でも嘘だと思ってるの?との問いに母は無言だった。そして結婚の時、入籍日を一年後と指定したのは妊娠しているからだと思ったと言った。私は複雑な気持ちになった、母は今も私を信用していないのだと感じた。

母に信用されない、愛されない、そんな哀しさや切なさを私はいまだに押し殺している。なぜ私は母に信用されないのか、なぜ母は私を憎んでいるのか理解できないでいる。理解できる日が来るのだろうか?答えのない問いが浮かんでは消えて人生に横たわる。母を愛しながら憎む、そんなアンビバレントな人生を送りたくはなかった、50歳になろうとする私は今も苦しみの中にいる。「許してあげなさい」という人もいるが、そうなのだろうか?あなたと私の母への感情は似て非なるもの、当事者でなければ認識できない世界があることを私は知っているのだ。


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