内側のもやが晴れない。このもやは何だ。そもそもこれはいつか晴れる部類のものなのだろうか。悩みと言うか後悔というか。もうどうにもならなくなったのは考えても仕方ないものだし、今よりもっと悪い結果になっていたのかもしれない。だから考えるだけ無駄。理屈ではその通り。うん。わかっている。でも考えざるを得ない物理的な理由がある訳だ。それならばとことん考えろという神の啓示と受け取ってしまうのもいいのかもしれない。
今が最悪ではないことは確かだけど、最悪じゃないという事実はこのままでいいという理由にはならない。別の可能性を見つけたときの備えをしておいて損はないのだ。だから私は武器を作ってきた。これらが役に立つのかどうかはわからないけど。興味本位で拾ったものばっかりだし。しっかり磨き上げたんじゃないし。使えるものかどうかはこれからチェックをかけていけばいい。ではどうチェックするのか。人前にさらして、客観的な評価を得るのが一番だ。恥ずかしいとか言っている年齢でもないし、場合でもない。やれることやらずに年をとっては悔いが残るというものだ。もう少し、まだ背伸びできる。足は地面から離れていない。もうちょい無茶やれる。ただ今までの様にがむしゃら、手当たり次第ではなく、もう少し狙いをつけて。己の成長を第一にするのではなく、客観的な評価を得る為にどうするか。モノを作るだけでなく、作ったものでどう現状をよくするか。利益をあげるか。想像力の見せどころだ。目の前にある仕事を要求以上に仕上げていけば、いつかどこかで誰かが評価してくれる。そんな甘い社会ではないとはわかっている。
最高峰の技術を習得したい。永遠の憧れだ。実際の仕事では技術よりも円滑な人間関係を形成する力の方が有効なのはわかっている。求められる技術は変わる。変わってしまえばその技術者は簡単に首を切られる。いわゆる職人肌の人は今の世の中とても生きづらい。
私は、職人になりたいのか。その職人を助ける人になりたいのか。人に必要とされれば、評価さえされれば、どちらであろうとも構わない。でも、これだけは人に負けないというものが欲しい。ああ、違う。これだけあれば人生満足だ、なんて殊勝なこと言えない。私は強欲だ。やれる事全部やりたい。もっと知識を。もっと勉強を。もっと経験を。この渇望に目を逸らしてはいけない。生きていけない。時間が足りない。死んでる場合じゃない。
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