時間が仕事に喰われていく。微々たる収入の為に続けていく理由がどうしても見いだせない。生活の為でないとすれば、この作業のような、仕事のような何かしらは果たして何の為にやっているのだろうか。なんでここまで苦しい思いをして、我慢をして、自分を殺さなくてはいけないのか。誰にも評価されず、利益も発生せず、ただ緩慢な組織の義務によってやらざるをえないもの。お金を生み出す訳でもない。正直言って今やっている事になんの意味も見いだせない。その為に私の貴重な時間を潰すなんて冗談じゃない。さっさと辞めて好きなように生きてしまった方がよほど建設的で健康的で有意義。そして確実。本当この組織にいる意味ない。意味は自分で作るものだと思って何とかかんとかやってきたけど、なんだろう。権力と民衆の狭間であっちにへいこらこっちにへいこら。どこを見渡してもこちらが頭を下げるしかなくて、とても立場が弱くて。好きでこんなとこにいる人なんているのだろうか。本当馬鹿馬鹿しくてしかたない。十分頑張ったじゃないか。ここで辞めたからって、誰にも文句は言わせない。何より自分が納得しているじゃないか。社員に働くことの意味を伝えることのできない組織とか必要ない。ここで働くことの無意味が、骨身に染みていく。そうとわかっているのに底なし沼へ前進していくこの戦列を離れても仕方ないだろう。正直、もう限界だ。心がかなり荒んできた。ちょっと攻撃的になってきた。ここで耐えすぎた。この組織に対して怒るとか、悲しむとか、悔しむとか、恨むとか、なんかそういう感情を持つこと自体空しくなった。何も期待しないから、私の邪魔をするな。私を都合のいい駒としか見ていないのならそれも結構だ。一番重要な局面で消えてやるから。この組織に先はない。内側から変わるにはトップのごり押しが必要だけど、その覚悟もない。ビジョンがない。先がない。だから若い人達は離れる。自分達の頃はひとつの会社に入ったらずっとそこで働くのが当たり前だった、なんて当惑した表情で言われても、その発想がずれていることに気付いていない。選択の幅は広がっている。少なくとも、ここで生殺しされるよりはマシだ。考えて選択できるだけ、よっぽどましだ。本当に心が荒む。研ぎ澄まされると言えば聞こえはいいけど、ただただイライラする。ここを超えても何の達成感も出てこない。何のアメも与えずに、ただただムチを与えてくるだろう。そんな場所に嫌気がさすのは当然だ。よくここまで耐えたよ。すごいよ私。ここまで来たんだから後はもういいじゃん。ああ、くそ。書けば書くほど溜まってくる。無理やり抑え込んできたもの、精神を麻痺させて見えない、感じないようにしていたものが、ここ最近の変化によって否応なしに反応し始めてきた。普通に考えたらそもそもここに居続けるなんて選択肢は選ばない。さっさと辞めるのが一番の正解だ。わかってるんだよ。そんなの。じゃあなんでここにいる。居続ける。中途半端だったから。納得できていなかったから。逃げる訳にはいかなかったから。けどもう肚の内では答えは決まっているじゃないか。次の手はどうする。わかっている。今、この状態の自分だからできることがある。そうわかっている。そう信じている。信じないとやっていけない。やってられない。この道を歩いてきたからこそ得られたものがあって、それはとても大事なものであって。わかっている。今この自分は信じられない程の色んな経験の配合があって出来ているんだってことは。でももうちょい楽な道というか、順調な方法は無かったものかね。壊れては戻って、戻っては壊れて。今の状態ってまともなのだろうか。まともだと思うけど。そこすら迷ったら何もできないし。抽象的だ。批判的だ。もっと具体的なことを話すか。けどそれはあんまりだ。何をどうすれば俺は満足だ?認めてもらうことだ。自分のやったことを他人に評価してもらうのがうれしいんだ。優越感に浸りたいんだ。悪い性格だ。けどその悪い所を認めないのでは進むことはできない。心の奥底を泥みたいに流れる感情を形にする、表現力。それが救いになる。では何によって表現するか。文字、写真、絵、歌、彫刻とかとか。情報よりも、もっと即物的なやつ。デジタルじゃなくてアナログ。複製可能とかそれだけで萎える。五感を使うもの。生きてるって感じは、そこからしかつかめない。どうしてもデジタルに根本的な価値を見いだせない。便利なのはわかるけど。つまらない。心躍らない。そんな事をデジタルな文書で書いている。矛盾。ただ吐き出すのはもう嫌だ。表現の形にしないと満足できない。ただの自己満足は本当に飽き飽きしている。物語をイチから創り出すのもどうも性にあわない。私の趣向はただひたすら考えることにある。考えを形にして、整える。綺麗にできたら、うんとうなづく。でも人にも評価されたい。ならばその書き方を磨かなければいかんだろう。どうすればもっと人に見てもらうかも考えなければいかんだろう。本当は一から十まで自分一人でやりたいんだ。それより協力した方が何倍も生産的だから、そういう技術を学ばなければいかんのだ。けどそもそも自分がそういう人間なのだもの。周りがそういう人間だからといって、あわせて無理をする位なら、最初から離れていたほうが楽じゃん。でも一人は寂しいですし。その人の本質と社会の要請するものが違う場合、どうすればいいんでしょう。行動を変えても、いつまでも心が変わらなければ、ずっと無理をするしかないのでしょうか。
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