長年頭を押さえつけていたフタを吹き飛ばしたような心持ちだ。どうせ否定されるから言わないでいたら、真に言うべきことが言えなくなっていた。ここ数年で心がやさぐれてしまった感が否めない。純粋だったあの頃の自分はとうに死んでしまったのだ。嘘です。純粋だったあの頃なんて生涯において存在しません。
天然ボケとツッコミ気質と目立ちたがりとボケたがり。色んな要素が自分の中にあるけれど、それら全てをさらけ出したらただの変人だ。他人と話が通じなくなるので仕事に支障が出る。だから話が通じるようにするため、仕事をしていく中で自分の中の、ある部分を少しずつ抑え込んでいった。これで社会に適応できると思ったら、都合のいいように利用されるようになった。軽んじられるようになった。要は、舐められた。腹が立つことだ。場を丸く抑えんが為に自分を殺したあげく、軽く扱われるのは本当に馬鹿馬鹿しい。だったら少し毒を出してもいいよね?これでも負けるのは嫌いだし、生来好戦的なのだ。今まで自分を抑え過ぎていて、素の自分を見失いかけているということに最近気付いてきた。取り繕っているつもりはなかった。本音を言っていたつもりでもそれは本音の一部でしかなかった。萎縮し続けた結果本来持っていた能力を腐らせるなんて勿体ない真似したくない。糞くらえだ。
他人の顔色をうかがう。自分自身を取り繕う。それらに力を使えるのって、余裕のある人だけなんだね。こんな仕事がぎりぎりの時にそんなくだらない雑事に力を割いている場合じゃないよね。仕事上の人間関係は仕事上で成された結果によって決まるのだ。結果を出している人間は強い。いくら人当りがよくても無能は職場に不要だ。そうでなければならない。職場は仕事をするところで、結果を出すところなのだから。異論もあるだろうけど、俺の中での答えはこれだ。ここが俺にとっての境界線であり、動ける範囲だ。対象がぼやけた状態で仕事なんてできる訳がなかったのに、それに気付かないという愚かさ。全く救いがたい。
救いがたいと言えば、この前の会議でえらい話の長い人がいた。「簡潔に言わせていただくと」から続く一言が終わるまでにカップラーメンがひとつ作れた。簡潔に言わせていただくと馬鹿だと思った。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます