いつか書いたけれど、私は高校時代、学校の方針で地理をまともに勉強していなかった。そもそも地図を見るのが苦手だったので、私にとってその方針は願ったり叶ったりだったのだけどね、当時は。けれど今になって、その問題性を認識している。自分の持っている一般常識で地理関係がすっぽり抜けているんだ。別に私の一般常識がどれだけのものかと問われれば「大したものではないです」としか言えないのだけど。
けれど色んな本を読み解く上で、このぽっかりと空いた「知識の穴」は目に映りづらい致命傷となっている。以前社会科の知識不足を補うために世界史、日本史の参考書は買い揃えた時、ついでに地図帳も買った。でもそれでは足りなかった。ジャレド・ダイヤモンドの「銃・病原菌・鉄」を読み終えてそれを強く感じた。世界史、日本史、地理は連動しているのだ。どれかひとつ、ふたつを覚えればそれでOKとはならない。大人になって自学自習が勉強の常になり、各分野の知識を連携させる意義を知るに至ったのだけれど、ここで疑問が湧いた。何故当時の大人たちはそれを教えてくれなかったのかと。自分の仕事ではないからだろうか。時間割以外の話をする事は真面目でないからだろうか、都合が悪いからだろうか、時間が無かったからだろうか、必要性を感じていなかったからか、それとも単純に教える事が出来なかったからだろうか。教えてほしかったとは思うが、今となっては詮無き事だ。その事の本質に気付かなかった浅はかさな自分も共犯者である。教師になった同級生に今度その辺の所を聞いてみようか。
取りあえず悔しいので、勉強しなおすために地理の教科書も追加購入した。つらつらと読んでいて、自分が学生時代に地理が理解できない理由がわかった。私の習っていた教科書には、「何故そうなるのか」が載っていなかった。多分「何故」を突き詰めようとするとその先は理系の分野になるのだ。
私は記憶力が極端に低い。物事を記憶するにはそれがどのように成り立っているのか、どんな論理、法則が働いているのか、つまりはその背景を理解しなければいけないのだ。だから私の勉強のやり方はえらく遠まわしなものになっている。傍から見ると「なんでそんな事まで勉強するの?」と言われる。けど今の所それが私にとっての勉強スタイルであり、一番しっくりくるものなのだ。
そんな訳で意味も法則もすっ飛ばしていきなり答えが載ってある教科書が大嫌いな私。買っていた教科書には比較的物語がある。これから色んな分野の知識を書き込んで真っ黒にしてやるのが楽しみである。
けれど色んな本を読み解く上で、このぽっかりと空いた「知識の穴」は目に映りづらい致命傷となっている。以前社会科の知識不足を補うために世界史、日本史の参考書は買い揃えた時、ついでに地図帳も買った。でもそれでは足りなかった。ジャレド・ダイヤモンドの「銃・病原菌・鉄」を読み終えてそれを強く感じた。世界史、日本史、地理は連動しているのだ。どれかひとつ、ふたつを覚えればそれでOKとはならない。大人になって自学自習が勉強の常になり、各分野の知識を連携させる意義を知るに至ったのだけれど、ここで疑問が湧いた。何故当時の大人たちはそれを教えてくれなかったのかと。自分の仕事ではないからだろうか。時間割以外の話をする事は真面目でないからだろうか、都合が悪いからだろうか、時間が無かったからだろうか、必要性を感じていなかったからか、それとも単純に教える事が出来なかったからだろうか。教えてほしかったとは思うが、今となっては詮無き事だ。その事の本質に気付かなかった浅はかさな自分も共犯者である。教師になった同級生に今度その辺の所を聞いてみようか。
取りあえず悔しいので、勉強しなおすために地理の教科書も追加購入した。つらつらと読んでいて、自分が学生時代に地理が理解できない理由がわかった。私の習っていた教科書には、「何故そうなるのか」が載っていなかった。多分「何故」を突き詰めようとするとその先は理系の分野になるのだ。
私は記憶力が極端に低い。物事を記憶するにはそれがどのように成り立っているのか、どんな論理、法則が働いているのか、つまりはその背景を理解しなければいけないのだ。だから私の勉強のやり方はえらく遠まわしなものになっている。傍から見ると「なんでそんな事まで勉強するの?」と言われる。けど今の所それが私にとっての勉強スタイルであり、一番しっくりくるものなのだ。
そんな訳で意味も法則もすっ飛ばしていきなり答えが載ってある教科書が大嫌いな私。買っていた教科書には比較的物語がある。これから色んな分野の知識を書き込んで真っ黒にしてやるのが楽しみである。
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