子供の頃、何か都合が悪くなると、すぐ自分の体を傷つけた。リストカットとか大げさなものではない。手の甲に深く爪を立てたり、頬をビンタしたり。罰が欲しかったのだ。当時の私にとって罰とは痛みであり、痛みによって自分を許してもらおうと考えていた。
少し成長した頃、何か問題が起これば自分の力で解決しようとしていた。人の手を借りるのが怖かった。そして面倒くさかった。また、全て自分でやらなければ気が済まなかった。成功すれば、これは全部自分でやった事だと誇れたし、失敗すれば、これは全部自分でやった事なのだからと納得できた。
いつからか、自分を傷つけることが楽になった。傷つきながらでも突き進めば何とかなるという、間違った成功体験が積み重なっていた。痛みを得る事と楽をする事が、イコールだった。このやり方には限界がある事にはまだ気がついていなかった。今になって思うに、これは結局の所、安易で安きに流れる選択だ。本当に楽をするには人に頼る事が不可欠なのだ。その為には人の輪に入らなければならない。私はそれを放棄してきた。つまり、私は怠け者だったのだ。
少し成長した頃、何か問題が起これば自分の力で解決しようとしていた。人の手を借りるのが怖かった。そして面倒くさかった。また、全て自分でやらなければ気が済まなかった。成功すれば、これは全部自分でやった事だと誇れたし、失敗すれば、これは全部自分でやった事なのだからと納得できた。
いつからか、自分を傷つけることが楽になった。傷つきながらでも突き進めば何とかなるという、間違った成功体験が積み重なっていた。痛みを得る事と楽をする事が、イコールだった。このやり方には限界がある事にはまだ気がついていなかった。今になって思うに、これは結局の所、安易で安きに流れる選択だ。本当に楽をするには人に頼る事が不可欠なのだ。その為には人の輪に入らなければならない。私はそれを放棄してきた。つまり、私は怠け者だったのだ。
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