書いてれば頭が整理されるかと思った。それは間違いなかったが、頭の中の霧がはれればはれるほど現状の困難さが明確に見えてくる。あまり突き詰めて考えるとよくない深みにはまりそうだ。あえて触れない、身を守る為にはそんな事も必要なのだと感じる。妥協?知ったものか。
ところでレンズを買ったんですよ。16万円位の。月収以上です、私の。自身の月収の少なさに嘆くべきか、レンズの高価さに驚くべきかは微妙な所ではあるが、買ってしまったものは後戻りできないのだから突き進むべきだ。画角は58mmの単焦点。主にポートレート用です。この画角だと人の目と同じような印象で写真を撮れるとのこと。結局自分が一番撮りたい写真は人なので、この使用意図に特化したレンズが欲しかったんですね。色々撮ってみましたが、ボケ方が劇的ですね。意識しなくても何かの作品みたいな雰囲気が出る。チートレンズです。今まで100%の力で撮っていた写真がこのレンズだと40%の力でイケる。下手すりゃやる気が無くなる危険なレンズ。でもつまり、今までの100%で撮れば250%の作品が作れるということだ(単純)。せっかく買ったのだ。使い倒してみよう。忙しい時期が過ぎたらブログに写真を載せてみます。
んで。これを買ったことで今まで持ってた50mm単焦点レンズが不要になってしまった。2万ちょいで買ったレンズなので売ってもいくらとしないだろうが、持ってても仕方ない。違いを比較する用に手元に置いてても邪魔だし。レンズボックスにも限りがある。身近にNIKON持ってる人がいるから売るか。あとマクロレンズ。こちらは画角60mm。近い。マクロなので棲み分けはできるけど、これポーレート用レンズとしても使える万能型なんだよね。要は使用意図が被る。それぞれ写り方に癖があるから単純に上位互換、下位互換とは言い難いのはわかってるんだけど、ちょっとしこりが残った感じ。だったらそもそも58mmじゃなく85mmとか35mmとか買えばよかったって話になるんだけどさ、このレンズが欲しかったのだから仕方ない。とりあえずほんとに50mmはいらないな。いらないはず。・・・うん、一度使い倒してみてから売っても遅くないんじゃないかな。
あー全て投げ出して知らない土地を旅したい。そんで写真撮りたい。海外とか。近くでもいい。秋田とかでもいい。久しぶりに日本海を見たい。最後に日本海を見たのはいつだったっけ?多分子供の頃だな。うわ、超昔じゃん。せっかくなら山形行きたい。何がせっかくなのかいまいちわからんけど。そば喰いたい。そば。曲りねぎを箸代わりにしてすするやつ。あの行為そのものには大した意味はないだろうけど、たれとそばの味が気になる。雪が本格化する前に行きたい。ついでに日本海見たい。海の圧倒的な存在感の前に自らを投じたい。ん、なんか入水自殺志願者っぽい書き方になった。そういう話でなくて。
でも知らない土地を歩くのは精神的にいい影響を与えると思うんだ。知っている人に出くわすことがないって、結構得難い自由だ。身の危険を感じることが無ければなおいい。一度冬山の脇道を登ってたら今にも熊とエンカウントしそうな場所に行ってしまったな・・・。あの緊張感は好き好んで味わうものじゃない。
そうだ、旅に出よう。夏休みも結局とれなかったことだし、このくそ忙しい時期を切り抜けたら溜まりに溜まった振休を消化してやろう。しかし、この知らないところへ行きたいっていう漠然とした気持ちはどこから来ているんだろうね。自己は人間関係によって構築される。ならばその人間関係が無くなった時、自己はどこにいくのだろうか。人間関係によって出来上がった自己は、その抑圧によってある程度変形された自己だ。本当の自分探しなんてお寒いことだと思うけど、たまにはその抑圧を外して本来の形を見直すのも大切なのかもしれない。ずっと同じ形を保っていたら、たぶんその形で固定されて、乾いて、ひび割れて、脆くなる。それは嫌だ。
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