あともう少しだけ

日々の出来事綴ります。やらずに後悔よりやって後悔。

さらば自己

2016-09-20 22:23:40 | コラム

仕事に楽しみを見出せば長続きする。仕事の中に楽しみがなくても、その苦行が終わった先に楽しみが控えているならまだ辛抱できる。しかしその楽しみは一過性のものである。私は次のことをしたい。時間が差し迫っている。他人の金儲けの為に自らの身を粉にして、犠牲になるのも馬鹿馬鹿しい。段々私のやりたい事が明確になってきたのだ。そちらを優先していいじゃないか。義理はあるけど、犠牲になんてなってやらない。ずれた理想論に絡め取られて時間を奪われ機会を無くすなんてありえない。誰がなんと言おうと、もう自分の道を行く。何とかなるだけの準備はしてきたつもりだ。行動を起こすならそろそろ。

苦しい時ほど笑う、なんて言い方があるがあれは嘘だ。無理して笑っても引きつった笑いしかでない。くだらないことを言えばいいんだ。苦しいときに苦しいことを言ったって、やはりそれは苦しいだけなんだ。だからここではもっと荒唐無稽なことを重ねていけばいい。地獄の底でうずくまっていた時に、懐に入れていたものがカメラ。カメラを撮ることで、そして文章で表現することで、何とか自分が自分でいられた。存在価値を見出すことができた。このふたつは、私にとっての救いであった。だから負けたくない。もっと磨き続けたい。そんな思いが根底にある。憎しみと執着と負けん気が入り混じって、今のこだわりがある。好きだなんて簡単な言葉で片付けられない。ただひたすら負けたくない。

負けるのが嫌で、勝負そのものを避けた時期があった。そうすれば負けないから。けど、それ以上うまくもなれない。それはもう本気になる事はないだろうけど、その代りに得たものがいくつかあった。それらを大事に育てよう。もっと大きく育てよう。これを続けている時が、私が私であり、一番自由を感じられる。これを第一優先として生きられたなら、どんな結果が待ち受けていたとしても悔いはない。ならばさっさとその道を進めばいい。別に今更捨てる道なんてないのだから。そうだ、道はこれからできるのだから。まだできてもいない道を捨てることができないのは当然なのだ。

小さくつぶやく「疲れた」の一言。これが結構やばい兆候を表しているもので、前にそんな事を言っていた同僚が会社の不祥事で退職した。私の席の目の前の人だった。その人にかけられた言葉なんて何もなく。事前に知っていたら何かできたわけでもなく。少し冗談を言って場を和ませようとはしていたけれど、根本的にどうにもならない位追いつめられていたなら言葉なんてかなり無力になるのだ。そんな時の助けとは。金だね。稼ぐ手段は持っておかねばならんのだ。幸せの為と言うより、自衛の手段としてだ。甘いこと言ってる暇はないのだこっちは。金で幸せが買えるかは知らんが幸せを守ることはできるってのは名言ですね本当。あはは。別に今金に困っている訳ではないけど、買いたいものが多くて困ってはいる。それって金に困っていると同義じゃない?ああどうでもいいや。雨が降っているし気分がナーバスなのかもしれない。けど雨音は嫌いじゃない。落ち着く。不規則なリズムだけど、心地の良い音だ。自然に意識を傾けると、若干我が抜ける。苦しさが取り除かれる。苦しさは意識が作っているのだと理解する瞬間。自己から自己が無くなる瞬間ってのは、何かに心奪われたとき、夢中になった時。楽になる。楽になるのは簡単なんだ。ただ面倒くさがって、囚われて、それが出来なくなって、そうしてがんじがらめになった時。駄目になる。自分を見失うのはよくないって風潮だけど、自分に執着したら多分苦しいだけだ。自分を意識しない時間を作ろう。それが楽への第一歩なんだ。恐らくだけど。


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