階前の *梧葉(ごよう)胴吹(どうぶ)く 五月かな 夢蔡
希望に向かひ 少年 駆(か)ける 朱士
*注① 階前の梧葉=階段(学習館の)横の”青桐の葉”。
青桐とは、 葉の形が”桐”の葉に似ており、
さらに、幹がいつも青いことから名付けられた。
原産は、沖縄・中国・インドシナの亜熱帯に分布。
日本では、街路樹におおく利用(公害に強い)。
よく実を付ける(ふつうは気がつかい)。鳥は知っている。
運ばれた種で、野生化・喬木となる。
*注② 胴吹く=切り口から、芽吹く。
芽吹き→青葉の繁り→大きい紅葉→
初冬には、大型の葉が枯れて、木枯らしに舞う。
成長の様子が、よくわかる。
大型だけに、ごみ袋が、すぐいっぱいになるけど。^~
希望に向かいーー!
吾れ 十有五(じゅうゆうご)にして 学を志す (孔子)
・・・・40才 「不惑」 50 「知名」 60 「耳順」・・・。
こうなると、達成感は絶大でありです。
『 希 』は、すかし織りの布の形象。
希(まれ)= めずらしいの意。
のちに、”ねがう”の意に用いられる。
「希望」 / ねがうこと。のぞみ (白川静「常用字解」)
日本最古の学校 【 足利学校 】の庭園の池
学問所の廊下の端に座って見るとコントラストが素晴らしい。
「子曰く・・」とか、言って学んだ学生たちが、
しばし、疲れを癒やしたのでありましょう。
癒やしに甘んじてはいけません。サア~頑張ろう。
とか、3枚の写真を張り付けて~
----<回りくどくなりました~#>---
これを、やりたっかったのであります。
偶 成 <朱熹>
少年老い易く 学成り難し
(しょうねんおいやすく がくなりがたし)
一寸の光陰 軽んずべからず
(いっすんのこういん かろんずべからず)
未だ覚めず池塘 春草の夢
(いまださめず ちとう しゅんそうのゆめ)
階前の梧葉 已に秋声
(かいぜんのごよう すでにしゅうせい)
この【偶成】は、実際には、朱熹=朱子の作品ではない、
と、文献調査の結果が出されてされております。
明治期、学校教育に重きを置く、知恵者の創作とされる。
しかし、これは、朱子の作であると言われたら、
「なるほど~さ~すが~」と恐れ入るほどの
「朱子学」=論語の権威・影響力は絶大でありました。
誰疑うことなく、「学び」の道徳的規範と取るでしょう。
子曰く
「 有 教 無 類 」(衛公霊第15)
[ 教え有りて 類(るい)無し ]
「人間というのは、教育によってどうにでもなるものであって、
生まれながらに類別があるわけではない。」--
孔子の思想の中心に、教育万能主義があります。
従って、
「しっかり勉強しよう。軽く習得は出来ない。
寸刻を惜しもう。春は、すぐ秋にになる。」
となります。
今はアイティーの時代だ。
そんなの古い主義だとは笑えません。
人より高い教育を受けたい。偏差値高く、いい大学へ
この競争感覚こそ、将に、【有教 無類】です。
キリが付かずー以上といたします。
ヘンリーの人間性についてにの逃げ口上
「 絶対に負けない人は嫌われる 」
(「マーフィーの法則」より)
--------<了>--------
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