諸葛菜草叢記

 "窓前の草を除かず“ 草深き(草叢)中で過ごす日々の記

青桐に想う

2020-05-12 13:40:38 | 日記・エッセイ・コラム

     

 階前の *梧葉(ごよう)胴吹(どうぶ)く 五月かな  夢蔡

  希望に向かひ  少年 駆(か)ける         朱士

 

  *注① 階前の梧葉=階段(学習館の)横の”青桐の葉”。

  

   青桐とは、 葉の形が”桐”の葉に似ており、

   さらに、幹がいつも青いことから名付けられた。

   原産は、沖縄・中国・インドシナの亜熱帯に分布。

   日本では、街路樹におおく利用(公害に強い)。

   よく実を付ける(ふつうは気がつかい)。鳥は知っている。

   運ばれた種で、野生化・喬木となる。

   

   *注② 胴吹く=切り口から、芽吹く。

   芽吹き→青葉の繁り→大きい紅葉→

   初冬には、大型の葉が枯れて、木枯らしに舞う。

   成長の様子が、よくわかる。

   

   大型だけに、ごみ袋が、すぐいっぱいになるけど。^~

   

  希望に向かいーー!

   吾れ 十有五(じゅうゆうご)にして 学を志す (孔子)

    ・・・・40才 「不惑」  50 「知名」 60 「耳順」・・・。

   こうなると、達成感は絶大でありです。

   

    『 希 』は、すかし織りの布の形象。

     希(まれ)= めずらしいの意。

     のちに、”ねがう”の意に用いられる。

    「希望」 /  ねがうこと。のぞみ  (白川静「常用字解」)

 

  日本最古の学校 【 足利学校 】の庭園の池

   学問所の廊下の端に座って見るとコントラストが素晴らしい。

   「子曰く・・」とか、言って学んだ学生たちが、

   しばし、疲れを癒やしたのでありましょう。

   

    癒やしに甘んじてはいけません。サア~頑張ろう。

    

   とか、3枚の写真を張り付けて~

   ----<回りくどくなりました~#>---

  

    これを、やりたっかったのであります。

        

          偶      成   <朱熹>

       少年老い易く 学成り難し

      (しょうねんおいやすく がくなりがたし)

       一寸の光陰  軽んずべからず
      (いっすんのこういん かろんずべからず)

       未だ覚めず池塘  春草の夢

      (いまださめず ちとう しゅんそうのゆめ)

       階前の梧葉 已に秋声

      (かいぜんのごよう すでにしゅうせい)

  

   この【偶成】は、実際には、朱熹=朱子の作品ではない、

   と、文献調査の結果が出されてされております。

   明治期、学校教育に重きを置く、知恵者の創作とされる。

   しかし、これは、朱子の作であると言われたら、

   「なるほど~さ~すが~」と恐れ入るほどの

   「朱子学」=論語の権威・影響力は絶大でありました。

   誰疑うことなく、「学び」の道徳的規範と取るでしょう。

 

   子曰く

   「 有 教 無 類 」(衛公霊第15)

    [ 教え有りて 類(るい)無し ]

  「人間というのは、教育によってどうにでもなるものであって、

  生まれながらに類別があるわけではない。」--

   孔子の思想の中心に、教育万能主義があります。

  従って、

  「しっかり勉強しよう。軽く習得は出来ない。

  寸刻を惜しもう。春は、すぐ秋にになる。」

  となります。

  今はアイティーの時代だ。

  そんなの古い主義だとは笑えません。

  人より高い教育を受けたい。偏差値高く、いい大学へ

  この競争感覚こそ、将に、【有教 無類】です。

            キリが付かずー以上といたします。

 

  ヘンリーの人間性についてにの逃げ口上

   「 絶対に負けない人は嫌われる 」

            (「マーフィーの法則」より)

 

 

       --------<了>--------

 

 

 

   

 

   

  

    

 

 

      

 

  

 

 

 

 

    

 

 

 

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿