不定形な文字が空を這う路地裏

I Know I`m Losing You










雨の日の土は重たいけれど掘るには適している。三年前にホームセンターで購入したプランタースコップで、その日もわたしは裏庭に穴を掘っていた。大した穴ではない。人間の頭蓋骨がすべて埋まるぐらいの、小さな穴。レインコートを着て、長靴を履いて。そんな恰好で穴掘りなんかしたら暑くなってしまうかもと心配していたけれど、今日の雨は春先のそれとは思えないほどに冷たく、少し動き辛いことを除けば気になることなんかなにもなかった。スマートフォンのラジオアプリで知らない地方のFM放送局の番組を小さな音で流しながら…もう半時間は掘っただろうか?わたしは一度手を止めて、目視で穴のサイズを確認してみた。これでも問題はないだろうけれど―もう少しだけ深くした方がおさまりが良さそうだ。ラジオはいま人気沸騰中だという女性アーティストの楽曲を流していた。その曲は過去に何度もこういう番組で流れてきた曲とほとんど同じものだった。特に最近のヒットソングは、どんな名前のどんな人が歌っていても、ひとりの同じ人間がすべて生産しているのではないかと思えるくらい、非個性的で無味乾燥だ。こういうものを作ればたくさん売ることが出来るから。そんな懸命さ以外のどんな情熱も伝わってくることはない。いま日本で嫌われている国の、徹底的にコンセプチュアルでプロフェッショナルな、あらゆるジャンルを飲み込みながら世界を席巻しようとしているポップスの方がずっと聴きごたえがある…いつものようにそんなことを考えながら、わたしは新しい穴を掘り終えた。紅茶でも入れて一息つきたかったけれど、この格好では一息つくのは逆に億劫だ。そばに転がしておいた生首を拾い上げて、最後にまじまじと眺めた。いわゆるイケメンだった、名前すら記憶する暇もなかった男。いまは白目を向いて、だらしなく開いた口から舌の先端をはみ出させている。人間は死ぬとみんな同じ顔になる。心が無くなってしまうせいかもしれない。それがどこにあるものかなんてわたしにはわからないけれど、こうしたことを何度も繰り返していると、そういうものが確かに人間の中にはあるのだということはわかる。さようなら、と言ってももう聞こえないだろうから、子供をあやすように頭をぽんぽんと叩いた。そしてそれから掘ったばかりの穴の中にまっすぐおさめて、ちょっとずつ穴を埋め戻した。余った土は均して、そこに穴が掘られていたことなどまったくわからない状態にした。道具を片付けて玄関に戻り、ようやくレインコートと長靴を脱いで、洗面で丁寧に手を洗って紅茶を入れた。リビングの柔らかな座椅子に身体を預けて、窓越しに自分の仕事ぶりを眺めた。初めての時に比べたらずいぶん上手くなった。かかる時間だって半分くらいで終わらせることが出来るようになった。簡単なことなのに、上手くやるには何度も何度も繰り返さなければいけなかった。思えば最初のころは、いろいろな思いにとらわれたままだったから身体が上手く動かなかったのだ。こうして日常の延長として―洗濯や掃除と同じように―黙々と出来るようになったことが、わたしには嬉しかった。どんなことでも、上達が感じられる瞬間というのはいいものだ。そんなこといつまでも続けられると思うなよ、昨日の男は泣きながらそう言った。だけど、もう何年続いているんだろう?五年や六年なんて話じゃない、そもそもこの家に越してきて、もう何年くらいになるんだろう?いろいろな偶然が重なって、わたしは誰にも邪魔されることなくこの生活を続けることが出来ている。新興住宅地の路地のどん詰まりで、わたしがこの家を買ってほどなく、周囲の家の者はみんな死んだり出て行ったりしてしまった。このブロックに居住しているのはわたし一人。この家へと続く道を歩くのもわたし一人というわけだ。おまけに、裏庭と林を仕切る小さなドアを開けると、獣道のようなところを通って山の反対側に出られる、わたし専用のルートまである…身体はどうしているのかって…?ああ、そういえばその説明がまだだった。裏庭の片隅には使っていない井戸がある、そこに石灰と一緒に落とす。適切な処置がどうかはわからない。昔そんなやり方を小説で読んだ記憶があるのだ。蓋を閉めてしまえば、正解だろうが間違いだろうが気にならない。次に開けるときにはなんの臭いもしない…紅茶を飲み終えると欠伸が出る。昨夜はすごく重労働だったもの。ベッドに入って、満足するまで存分に睡眠を楽しもうか。この週末にはもう何の予定もない。明日晴れたら洗濯機にたくさん働いてもらおう。退屈したらふもとのスーパーに買い物に出かけよう。もう少し先のショッピングモールまで出向いて、モータウンのアルバムを何枚か買うのもいい。でも今はとにかく、ぐっすりと眠ることだ。誰にも邪魔されない眠り。なんて楽しい週末だろう…。

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