不定形な文字が空を這う路地裏

スライドする時は気だるいタップを踏む












あるはずの脈動は感じられなかった、おそらくはすべての感覚が薄いプレートのようなもので遮断されていて、ほんのわずかな隙間でしか機能していないのだ、コールド・スリープの最中に間違って目覚めてしまったかのように朦朧としている、そんな瞬間には不確かのもの以外にリアルなものなんて無い、見てごらん、壁にかけた時計が指し示す時刻がまったく納得がいかない有様だ、音楽は止まっていて、近くのガソリンスタンドで流れている流行歌が聞こえてきていた、ゴムボールをずっと壁に打ちつけているみたいなリズム・セクションだった、そんなものは―年寄りの決まり文句を口にしようとして黙り込む、こんな状態での定義など…!眠っていたか?横になっている、仰向けで―四肢には痺れたような痕跡がある、確かに眠っていたのだ、明かりも、なにもかも点けたままで…起きているための時間を眠って過ごしたわけだ、落度だぜ、でもだれに文句を言うことも出来ない、生活というものについての責任は―新しい詩や物語のアイデアが幾つも浮かんでいたのに、書き留める前に忘れてしまっていた、それはつまりそういう程度のものだったということだ―それに、そうしたものにはタイムラグがある、そんなことについて考えたことすらすっかり忘れたころに、思い出さないまま記されていることだろう、ほとんど、形は変えないままで…そうした驚きをこれまでにもたくさん見つけてきた、書いてから何日も経ってから思い出すことだってあった、きっとそれはずっと繰り返されるのだ、書く理由なんてきっとずっと同じものなのだから―このところ少し涼しい日が続いていたのに今夜はなんだか嵐の夜のように蒸し暑くて寝苦しい、九月のエアコンは消化試合のピッチャーのように見える、ヘイ、本気だしていこうぜ、と茶化してもすましている、眠れない夜、そんなうたがあった、子供のころにテレビでよく流れていた、寂しいくせにギラギラと尖っていて、とても魅力的な代物だった、そのころはまだそんな夜が自分にも訪れることを知らなかったからだ、文字通り、夢にも思わなかったというやつだ…アンビエント・ミュージックを流して、阿呆のように口を明けて聴いているうちに落とし穴に落ちるように眠ることが出来るかもしれない、だけど朦朧とした状態では思考に蓋をすることが出来ない、それは鉄砲水のようにとめどなく流れ出してしまう、それをある程度上手くとどめるには、上手く記録するには取るべき手段はただひとつ、出来るかぎり頭を使わずに思考することだ、どこか、脳味噌の果てしなく歪な空間の中で生まれだしてくるものを、そんな印象のまま書き出してしまうことだ―これまでにも何度もこんなことを書いた、でもこうしてまた改めて書いてしまうのは、それがきっとときどきあやふやな目的となってしまっていること(たとえばただのスタイルのようなものをどこかに感じ取ってしまうことがあるせいだ、そういうことじゃないぜ…いつでも知らないもののように書くことは難しい、だけどいつでも求められているものはそういうものなんだ、たとえばスタイルとしてでの完成ではなく、アティチュードとしての完成形とでもいうようなものだ…思考の隙間に夢が入り込んでくる、眠っているのか?いや違う、まだはっきりと目が覚めていないせいだ、きちんと眠るために一度しっかりと目を覚ましたいが、どうもそういうことは許されてはいないようだ、横になっている、縦横無尽な様々な楽器のフレージングが、芋虫のように身体に乗っかかって這いずり回っている、でもそれには名前をつけるほどの秩序はありはしない、だから名乗ることをやめてしまうのだろうか?名前になんてどんどん意味は無くなる、こんなところで呆けて天井を見ているとそんなことがしみじみと感じられる…眠りの中で、踊らされているようなものだと、そんなふうに感じることは無いか?いまのこの瞬間ではなく、生まれて死ぬまでの人生というそのものが、眠りの中で踊らされているようなものだと感じてしまうことは―?無理もない、無理もないよ、昔は判らなかった、そんなことについて本気で戸惑っていた、でもいまなら判る、いまなら少しは判る、人生について少し語るだけの時間は過ごしてきた、確かな瞬間なんてほんとうにほんとうに数えるほどしか人生の中には存在しないのだということ、そのことがはっきりと判っている、朦朧として…陰鬱なまどろみのような時間を、幾度となくやり過ごしてきただろう?だが驚くなかれ、他人様が日常と名づけているのはたいがいそんな状態のことだ―彼らは河のほとりで、その流れを見つめていることを成長と呼ぶのだ、こちらにはそんな気は毛頭ないというのに…!一度身体を起こすか?それとももう一度気だるい夢がだらだらと続く眠りの中へ潜り込むか?きちんと準備を整えてから眠ればもう少し大人しい景色が見られるかもしれない、でもどちらにしてもそんな誤差は、翌日の目覚めにどんな名残も残しはしない、瞬きの記憶のようにうしろへうしろへと流されていくだけだ、時の足音を聞け、視神経に強烈なショックを与えてくれるものがそこにはきっと隠れているはずだから―視神経にショックを与えるんだ、視神経にショックを与えるのさ、時には目を離してはならない瞬間が訪れることを忘れるな、無自覚で居ることはなによりも罪なことだ―。

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コメント一覧

ホロウ・シカエルボク
これは最初っから最後までまったく頭を使わずに書いたから、なにが書いてあるのか知らないんだよね(笑)言われて読んでみて、ああ、なるほどみたいな。最近即興的に書くことをあまりしてなかったから、久しぶりにやってスッキリしました^^

普段はワード縦書きにしてるんだけど、これはもう数年ぶりぐらいに横書きで書いてみたの。面白かったよ。
きりえ
http://kirye-fan.seesaa.net/?1380220078
成長とは~のところ、なるほどなあと思いました。
他人から見たら、そうであるに違いないですよね。(しかし、本人は大変!)。
『芋虫のように』の表現も意外と好きです。

最後の『無自覚で居ることはなによりも罪なことだ―。』に甚く同意!
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