草庵の記

弓部大動脈、腹部大動脈、腸骨動脈、冠動脈にステント11本。
私の体はサイボーグ

6度目の入院Vol.2

2019-02-25 16:34:27 | 消化器内科

以下 2012年8月8日記録


【8月8日】 
  05:00 起床、洗面
  05:25 薬服用
  05:45 閃輝暗点 06:10治まる 
      が、立て続けにもう一度閃輝暗点。計2回襲われる
  06:30 点滴開始。この点滴は2日に亘って射しっぱなしだそうだ。
     (留置針)
  06:45 下剤(ニフレック)が配布され飲用開始
  09:00 内視鏡室に呼ばれしばらく前の人の処置を待つ
   この時間が私には拷問。1時間近く車椅子に座りひたすら待つ。
   この部屋は冷房ががんがんに効いて寒い。
   冷え症の年寄りが多いのに、病院なのに何故だろう?
   1時間位待って呼ばれた。呼ばれたらしっかりお手洗いに行きましょう!

  10時前 処置室に入って、冷え症なのでタオルケットを
    しっかりかけていただき、点滴の中に麻酔薬を注入し、
    ほとんど意識もうろう状態。
    それでも意識はあり、長い時間が過ぎてゆく。
     腺腫を取り除いた後にクリップをかけているのだろう。。
    数回ハサミでぷつんと切るような音が聞こえた。

    終わってしばらく横になって車椅子に乗り、医師の結果報告を聞く。
    8ミリ大の腺腫は切除され、クリップで傷口を塞いだこと、
    クリップは役目が終わったら排泄されますということだった。
    意識もうろうの中もっと他にも仰ったと思うが
    結果は書類を渡していただいた。


ここからが長い。車椅子で待合に運ばれ、病棟看護師のお迎えが来るまでが
また30分くらいある。

うわっ、段々と気分が悪くなり、今にも嘔吐しそうになった。
看護師が慌てて吐しゃ容器を私の口元に運んでくれた。何とか間に合った。
生水を立て続けに吐いたが、胆汁までは出なかった。
昔から吐きやすい体質というか吐しゃする物が無いと胃液、胆汁も吐いてしまう。

  10:50 病室に戻った。吐き気は一向に治まらない。

堪えに堪えたものの、症状は悪化するばかり、ついにナースコール!
今年2年目の若い担当看護師さんが来てくれるも方法が見つからず、
話を聞いてくれるだけ。
それでも心配して何度か来て下さる。

吐き気と全身の力が脱けるようなだるさに見舞われ、気が遠くなりそう。。

オエ~ッ! ギョエ~ッ!

あ、ニフレック(下剤)の容器を誰か片付けて!
あのイヤらしい甘い液体の入っていた容器を見るとよけい吐いちゃう。

わあ、私、もう死ぬかもぉぉぉ
もっと楽に死ねないもんだろうか く、苦しい。。。

死ぬのが恐いんじゃないよ。こうやって苦しみながら、

悶えるのがイヤなんだ!


何時だったか? 消化器内科の担当医師が病室に来て
様子を診に来てくださいました。
点滴に止血剤が入っている所為かも知れない!?
あまりひどいようだと吐き気止めを注射しますよと退室された。


6日に私を支えに来てくださった看護師さんが二人いました。
30分くらいかけてずっと話し相手をしてくださいます。
一人は2010年1月手術のときに担当していただき手厚い看護をしていただいた
S看護師、もう一人は今回初めて世話をしてくださるK看護師。
今日はSさんは勤務ではなく、Kさんが励ましに来て下さった。
で、吐き気止めを注射していただくことになりました。

ようやく症状が治まったのは夕方。
症状が治まると元気を取り戻す私。

考えるに、吐き気ほど全身の精気を抜き取られるものは無いと思った。


家族が来たがその頃は何とか話せる状態まで回復出来た。


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6度めの入院Vol.1

2019-02-25 16:27:48 | 消化器内科

以下 2012年8月6日からの記録


8月6日、午後入院
事務手続きも終わり6、7日には大した処置も無く、旅行気分🎵

この日の私はアンプラーグという血液サラサラの薬を服用
他の薬は通常通り。

15:00 
 12時間有効のカプロシンという血液サラサラになる薬を腹部に皮下注射。
 注射は3センチずつずらして同じ個所に打たないよう指示書が添えてある。
 看護師さんが其々の名前を表に記入していく。

 しばらくすると体がポッと温かくなり、いつもの顔面の弱いシビレが発症。
 気にしない!

 この日はこれで処置は終わり。

外は美しい青い空にうっとり♪



8月7日

9:50にカプロシンの注射

11:40過ぎにお会いしたことの無い内科医による回診があり、症状を伝える
 手のシビレに関しては頚肩腕症候群でしょうということでした。
 それが帯状疱疹後神経痛と連動するのでしょうか?
 右上半身の疼痛はそういうことかもしれませんね。

翌日の日程の指示を受けとり、
20:45 腹部にカプロシンを皮下注射

ここまで極楽だった。。。。。。。

7日は午前4時、8日は3時半に目覚めた。
流石に3時半は起床するわけにゆかないのでベッドでうとうと朝を待った。

6日、7日の夜は本を抱えたまま、電気を点けたまま気絶するように眠った。
11時ごろ気づいて寝直し。
早く目覚めるわけですね。


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閃輝暗点頻発

2019-02-25 16:17:12 | 消化器内科

以下 2012年8月2日記録


毎日のように閃輝暗点が発症する
7/30 午前中1回
7/31 午前中1回
8/01 おやすみ
8/02 9:41  最初視野が揺れ始めるもギザギザの閃輝無し
       6分後にようやく閃輝が始まる
       経過30分強

   11:40  視野が揺れ始める…ギザギザの閃輝無し
       5分後閃輝が始まる
       経過30分強


少し原因を追及してみましょう
ぐぐる。

── 中高年で、閃輝暗点だけあって、その後に頭痛を伴わないような場合は要注意だ。
   血栓による一過性の脳循環障害が原因である可能性があるからだ。

   動脈硬化、高血圧、糖尿病、高脂血症、不整脈など、
   血栓を起こす危険因子がないかどうか、
   全身の検査を受けるとよい。
   また、まれに年齢とは関係なく脳動静脈奇形や脳腫瘍などで起こることもある ──



ふ~む。

私が最初に発症したのは新潟だった。
新潟に転居したのは53歳だった。
最初は何が何だかわけが分からなかった。

この頃の私は帯状疱疹で苦しみ、その翌年には頸椎症で苦しんだ。
いずれも激烈な痛みであり、その後神経痛を残してしまった。

その後のペースとしては1年に何度かの程度で然程気にならなかった。

手術後は一日3、4回のペースで起こったが、術後なので仕方が無いと諦めた。
退院してもほとんど毎日閃輝暗点はあった。

何カ月かしてその症状も極めて激減していった。
まあ、健常者のペースからいくと若干は多いかもしれない。

ところがここ数日はほぼ毎日のように発症する。
昨日、今日は頭が重く、鈍痛もある。


夫が心配して、電話して病院に行こうという。

冗談!
病院なんかに行ったら最後、MRI検査をしましょう。
私の行ってる病院はその日のうちに検査をしますから…
1カ月とか、2週間待ちとかありません。
で、空蝉さん、脳梗塞が見つかりました。
即入院しましょう!

なんて言われかねないし、医師不信に陥っている私( 一一)
あの病院に閃輝暗点なんか治せるわけないじゃん(`´)
というか、脳梗塞だから手術しましょう!
なんて言われてごらんなさい!

もう良いよ!
胃腸の内視鏡ポリープ切除だけでも恐いのに。。
何が?
はい、血管痛

それより、手が、腕が抜けそうにだる重ぉぉぉ!
でも、呼吸は昨日ほど苦しくないわあ。
ちょっぴり幸せ~


え~次 何を言うんだったか?
忘れたあ!
思い出したらまた書きま~す。

思い出さないまま 時が過ぎゆくかも。。。

笑笑笑

思い出さなかった。


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入院前の薬

2019-02-25 15:54:30 | 消化器内科

以下 2012年7月中旬


もうすぐお盆です。
それまで一度入院加療が待っています。

ややこしいのは薬です。
プラビックスを止め、追加のバイアスピリンとアンプラーグを服用
バイアスピリンも途中で中止します。
あとは入院までアンプラーグで代替します。


薬の管理は何故か? 夫が頑張ります。


かつての私の生活は私が子供たちの父と母の2役を務め
家のことも一切私が切り盛りし、つまり一人で何役も
男性同様仕事をこなしていました。。


そうですね、朝は5時に起床し……
子どものお弁当なども作り……

夜は仕事の準備に追われ0時1時まで夜なべをしていました。
起業してからは2時間くらいしか寝ていませんでした。
一睡もしない日も週に2日はあったでしょうか!?!?

今は極楽です。

その所為か、、今も0時を回らないと寝ません(笑


話が逸れました。
割にしっかり者だった私は地図1枚で全国どこでも
目的地に行けると自負していました。

今、さっぱりです!
全てを夫が管理するので頼りない、儚い蜉蝣のようです。
なあ~~~んも出来ない。

この現象は???

そう、夫は定年という大義で仕事を取りあげられ、
私を管理することを自分の仕事にしたからです。

私の自由は更に奪われ…諦め…任せたら…

多分、もうすぐ認知症よね。

そんな私の今昔でした。。。

全面的に話が逸れてるぅ。笑


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拷問二日め

2019-02-24 20:16:51 | 消化器内科

以下 2012年7月13日記録


翌日は朝から当然絶食、水も禁止。
なのでいつもの薬は昼食後にという指示。

予定は検査予定は9時半。
看護師さんが来て「歩けますよね」
「はい」
とろとろ歩いてエレベーターで内視鏡室へ。

担当看護師さんが帰って昨日の中待合で呼ばれるのを待ちました。

降りたときに年輩のご婦人が、
昨朝 私が服用した下剤とコップを入れたトレーの前に
椅子に向かい合わせに座っていらっしゃいました。
(お洒落で白いロングスカートと手提げバッグが印象的でした)

ふ~ん、泊まりじゃなく外来で日帰り検査もあるんだ。。
2人はせっせと下剤を飲んでいらっしゃいました。

もう一人仲間が増え、中待合室は賑やかになりました。
3人が下剤を前にお喋り。。(余裕だなぁ)

そして病院のパジャマ姿の患者さんと私の5人でお喋り。。
「何か寒いですよね」全員が「寒い、寒い」とブ~垂れました。
私は首を縦に振りました。
しっかり者の方が何人もいらっしゃるので私は寡黙。


で、一人用ソファに呼ばれ、液体の薬を飲むよう指示があり、
次に出されたのは苦い液体でうがいをするよう指示されました。

ゲエッ!!  

歯医者さんの麻酔のように咽喉から口腔内が痺れた。
息出来るかしら
出来た。ほっ。

先ほどの白いロングスカートの奥様がしゃなりしゃなりと
バッグを持って トイレにお入りになります。
この部屋にはお手洗いが2室。
3人で2室!?!? 大丈夫かしら

私、知~らないっ。
私今後も絶対一泊させてもらうもんね…個室に。。

で、診察室に入って、麻酔というか、精神安定剤というか、
点滴用の挿入口から注射液を混入した。
そこで、不要になった点滴用注射バリを抜いていただいた(多分!?)

針が抜けて嬉しい♪


マウスピースのようなのを加え、固定し、内視鏡が食道を通って胃の中に

ギャオ、イテエ!

何か下から突き上げる痛みが何度か来て…


その後、十二指腸の下の腸の部分が急に猛烈な痛みが走った。
「痛い」と声を挙げたかも?
マウスピースで声にならないわなあ。。


拷問は割合早く終わって、医師の説明があり…
何度も何度もその腸の痛みが繰り返し襲ってくる。

「空気が入ったんでしょうか、痛むんですけど…イタタタタ」

「どうぞ、どんどん出してくださ~い」

「先生の前で、出せません」

「大丈夫よ!何たらかたら(聴こえません)」(私難聴ですもん)

まさかね、先生の前でいくら空気だからって出せないわ


で、胃カメラの検査結果はやっぱりポリープ
それも腺腫になる可能性の濃いポリープが発見され、
後日組織を採りましょう( 一一)

そして、もう一つ「胃、食道逆流性」という項目にチェックが入っていた。
「逆流性食道炎」のほうにはチェックが入っていなかった。
そんな変な病気あった??


全て終わって中待合で車椅子に座って待った。

3人が頑張っていた。
室温は上げてもらったのか、寒くない。
病人だから27、28℃くらいが丁度良いと思う。



それから病室に戻り水を飲んで良い時間まで我慢して水を飲んだ。

夫がお金の清算のためにやってきた。
12時を回ったがご飯が来ない
薬が飲めないと困るしっ!

昨日の表記のように私は昼食を忘れられていた。

で、食後薬を服用して、せっせと服を着替え帰り仕度をした。
エレベータのところまで歩くのだが、夫とナースは凄い速さで歩く
私は今や歩けないのだ、鳩尾を抑えながら、喘ぎながら追いつこうとしたが
はん、無理である。諦めて亀の歩みで後を追った

やっと気づいてくれたナースが「ごめんね、ごめんね」と。。
「いえ、いえ良いんです。私はいつもこの程度にしか歩けませんので」

エレベータでは手の空いた看護師さんたちが数人見送ってくださり
ご挨拶をしました。

「ご退院おめでとうございます」
「いえ、後2回はまた戻ってくるんですよお、また宜しくお願いしますね」


この入院で私は病棟の有名人になったらしい。
多分『恐い、怖いと喚く婆さん』的な ⁉

そう、伝説の婆さんは続くのだ。


それにしても、2年半という歳月で大勢の馴染みの医師、看護師さんが消えていた。
寿退社や、他の病院への移動や退職で、馴染みの看護師さんには
3人お会いしただけだった。それでも懐かしくて嬉しかった。

病院は恐いことばかり。。
馴染みの看護師さんに会って地獄で仏に合った気分でした。


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拷問第一日め

2019-02-24 19:56:29 | 消化器内科

以下 2012年7月12日記録


【消化器科入院】


7月12日、朝7時15分に義兄が迎えに来てくれ、
夫婦で病院に向かいました。

到着したのは7時40分ごろでしたか…
受付を済ませて看護師さんが出迎えてくださいました。

懐かしい元の病棟でした。
うわっ、お城が見えます。
ここ高い部屋なんですぅ。
嬉しいような、恐いような(お金が)。


この風景は手術の翌日ICUからHCUに移ったときに見た城。
これを病室から見るとは夢思いませんでした^^
その節はこれで、見納めと思い頭に深く刻んだ風景でした。


さて、1泊2日の入院生活は面白いような? 
拷問のような !(◎◎)!

入院前日に腸の調整を保つための薬を服用し、
入室し、パジャマに着替えてから早速下剤2㍑を2時間で服用。

大腸検査をした方々(身内含む)の中には
前日に布団を汚してしまった話。
ヒェ~~~~~!

パジャマを汚物の飛沫で汚してしまった人の話。(私ではない)
ギャアッ!

しかも、日頃大腸カタルの頻発に苦しんできた私。
下剤2㍑がどれほどの腹痛を起こすのだろう!!!

もう恐怖の塊でした。


や、全然お腹痛くないしっ!

どうということもなく、11時には完全に下痢も治まり
咽喉の渇きを覚える程度。


検査予定は3時。

11時半には手術着に着替え点滴が始まりました。

点滴の針を刺すのに血管が出ない…
でも採決室のナースは巧いのに!?

あ、失敗しましたあ

いったああああ(痛い)
次々針の場所を差し替えられて…
うぉ~~~我慢、がまん

(何か、あなた下手???)

腸の掃除が早くに終わったので昼過ぎ検査に入れるかも^^
と言っていただき喜ぶ私

咽喉渇いた。
1時が来てもまだ。
2時になってもまだ。
3時になってもまだ。


咽喉カラカラ
3時過ぎに看護師さんが検査に時間が掛っているようで…

咽喉カラカラカラカラ
4時過ぎ ようやく呼ばれ、点滴を刺したまま車椅子に。

ビュワ~~~ン
ウワッ、スピード速すぎて、振動がく、苦しい

ううう。うぅ。

内視鏡室に運ばれて…その後診察室に呼ばれない。
ここ寒い。室温25度くらいじゃないのか?

もう絶不調(車椅子の上でこんな感じ)

看護師さんがリラックス、リラックス!

そういうことじゃなくてえ!

最も苦しいときと同様の苦痛に呻き声

どんだけ、怖いよ、恐いよお!と喚いたか?
みっともなさ過ぎじゃ!


ようやく呼ばれて検査が始まりました。
ベッドに上がると治まりました。
車椅子の角度が悪いように思った私。
ベッドに上がってほっとした。


苦痛が次第に治まり検査が始まりました。
ウゲ、内視鏡で突き上げられる感覚が微妙に苦しい。
我慢、がまん。忍!


終わって、医師から説明を受ける。
8ミリ大の立派なポリープが1個と別の場所に小さなポリープ多発
で、プラビックス(血液さらさらにする薬)を服用しているため
後日、内視鏡で切除の上、病理検査。

頭はアホでポヤ~~~ンとしたまま。先生の話が遠く感じられる。


全てが終わって病棟看護師が迎えに来るのにまた延々、長く感じた。
でも、運ばれたときの苦痛は消えていた。
同じ車椅子の姿勢で……

あれ? やっぱ精神的なもの??
そうかもなぁ( 一一)


咽喉からから、からから、カラッカラッ
部屋に戻って5時25分から水を飲んで良いと。。
あと、5分じゃん
時間が来たのでがぶがぶ飲みました。。ほおっ~。

さて、いくら経っても点滴(乳酸リンゲル)が終わりません。
5時には新しい看護師さんに交代です。
針を変えますから!

あっちこっち血管を浮きだそうと、きついゴムで縛られては叩かれます
結局左手首に挿入することになりました。

が、失敗

雑巾を絞るかのように腕をしぼられました

10分位格闘の末ようやく静脈に刺すことができました。
(「刺す」適格文字ではないよね。。でも刺されるような痛みだったから)


※ この痛みはノルバスクの副作用による血管炎、血管痛と
  後日分かるのでした。

で、この点滴に8時間も掛りました。
ようやく、針を抜いてもらえると喜んだ私。

明日も点滴が必要ですから針は抜きません!

が~~~~~ん。

その夜は鍼を刺したままで寝ました。
痛かったですぅ。


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