草庵の記

弓部大動脈、腹部大動脈、腸骨動脈、冠動脈にステント11本。
私の体はサイボーグ

昭和レトロ

2025-01-15 18:20:14 | 昭和

私の生まれたのは昭和21年でした。

もうすぐ79才になります。

時代が移り変わり、デジタル時代に着いていけない。

どんな時代だったかな?

これに似たモーターバイクに関谷先生(医師)が

高熱をだしている私の往診によく来てくださった。

今のお医者さんと違って触診と聴診器だけで

全てを知る仁術だった。

 

私は心臓、腸、肝臓が弱いので注意してください。

と母に伝えていました。

 

よく発熱し、その都度血反吐を洗面器一杯吐いていました。

小学1年生ころまでは転んでも洋服の全面を

真っ赤に染めていました。あれは何だったんでしょ?

 

当時は荷馬車がカッポンカッポンと荷物を

運んでいました。

牛は人絹道路の脇に繋がれて草を食べていました。

身体が脆弱なくせにどうもタガが外れていて

まっすぐ通学路を戻らない、寄り道をしながら

家路に向かう癖がありました。

 

当然細い田舎道をお友達とトロトロ帰っていると

向こうから暴れ牛が真っすぐ私のほうに走ってきます。

黒毛和牛です。

2度正面衝突の危機に遭いました。

怖かったので牛は怪物に思えました。

 

道路には牛糞、馬糞が転がっている

そんな時代でした。笑

樹の電柱です。

このひび割れに木枯らしが吹く寒い日には

虎落笛(もがりぶえ)が鳴っていました。

悲しい、かなしい女性の鳴き声に聞こえます。

それでも耳を傾けないではいられない。

今、虎落笛を聞くことはできません。

 

あるあぜ道には奇形のクローバの葉が群生していました。

私の記録は8つ葉のクローバでした。

 

幼いころの炬燵は炭火を入れる陶器(?)でしたか。

その後電気の普及でこんな電気炬燵に変わりました。

この温もりを今も覚えています。

 

昔はブリキの金盥で洗濯板を使って手絞りでした。

これはご馳走すぎますね。

丸い座卓に一家5人が並んでご飯をいただきました。

ご飯はおひつに入れて美味しさそのままでした。

 

壁にはらんまがあり、いろいろな模様が職人さんの手で

芸術が掘られていました。

風を通す為でしょうか?

 

※ 今日の写真んはPhoto ACさんからおかりしました。

 

コメント
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