プリモピースの関西日記

みんなのハート天使(写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ)スピンオフの『ボクのトマト日記』にもスマイルしてね~

五個荘の雛人形めぐりと彦根城&ひこにゃん その8(近江商人屋敷外村宇兵衛邸③と青砥藤綱さんの掛軸)

2011-03-19 22:25:37 | 日記
【昨日の続きです】


家紋の付いた箱がありました
もしかして箱の中身はお宝がザクザク??

さらに奥にもおひな様が飾られていました

立派な屏風もありました
しかしボクには難しすぎて読めないかも??

ガラスケースに入ったとっても立派なお雛さまもありました

ありゃ??赤色と青色の鶴さんとカメさんを発見??

太平記の青砥藤綱さんの故事のエピソードが描かれた掛軸があったよ~
ある夜青砥藤綱さんが夜道を歩いている時に誤って十文の銭を川に落としてしまったそうだよ~
普通なら夜でもあり「ま、仕方がない」と諦めるところで藤綱は五十文の銭で松明(たいまつ)を買い家来とともに落とした十文を探したそうだよ~
後日この話を聞きつけた人から「十文の銭を拾うのに五十文を払ったら大損ですね」と笑われると藤綱さんは「落とした十文の銭は永久に川から出てこない、つまり死んだ金になる。我彼ということではなく、松明の五十文は商人の利益となるし、探し出した十文と併せれば六十文のお金が生きた金となって世の中を廻り、人々の生活に役立つのだ」と諭し皆を敬服させたそうだよ~
青砥藤綱は鎌倉時代後期の武士であったとされているそうだけれどというのは生没が不明で幕府の公式記録にもその名が登場しないことから架空の人物だという説があるからだそうだよ~
いずれにしても太平記に載っていることから鎌倉後期か南北朝時代にはすでに「お金を廻して人々を幸せにする」という金銭の正しい流通の考え方はあったと考えられるんだそうだよ~
ありゃ~武士なのに商人の心を併せ持ってるんだね~

【明日に続きます】
コメント
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