3月26~28日に実施した気仙沼市唐桑地区での被災地支援行動に同行しました。
少々、長くなりますが感想を書きますので、お付き合いください。
■被災地へ行く前の不安
私たちは、27日の早朝に気仙沼市内に入りました。
東京から気仙沼に向かうまでの暖房を切った車中、様々なことが頭に浮かび不安でした。
報道されている被災地の現状、そしてそこで私に何が出来るのか・・・。
現地近くまで行って2時間半ほど、エンジンを切った状態で車中泊しましたが、ほとんど眠れませんでした。
目を閉じても、足もとや肩などに、隙間から入る空気が冷たくて、丸まって毛布の中に体全体を収めても寒くて眠りにつくことが出来なかったのです。
灯油が手に入らず、電気も復旧していない中で生活している避難所の人たちの気持ちが少しだけ分かった気がしました。
■被災地で感じたこと
“情報が入らない生活はちょっとしたことで不安をおぼえることを実感”
携帯電話もつながらない(バッテリー切れで知人の電話番号もわからない)、新聞もテレビもない環境…。
避難所から徒歩圏内でしか移動することのできない生活の中で多くの世帯が同じ屋根の下で生活する暮らし…。
パーテションなどの仕切りもない避難所での生活…。想像出来ますか?
避難所では他の避難所から身内を探しに来た被災者を何人も見かけました。
私たちは、新聞やインターネット上での避難者一覧で情報を得ることができますが、実際避難所にいる方はそれらの手段を断たれています。一番情報を必要としている方々がです。
ここに悲しい矛盾を感じるとともに、正しい情報の伝達・手段の必要性を感じました。
避難所の掲示板には市からの情報や安否情報などが張り出されていますが、自分でそれを見に行かなければなりません。
電気が復旧している避難所の方は、他の避難所にいる友人などに連絡をとり情報を収集できる安心感はありますが、一方でさまざまな情報が入り乱れていて、混乱している様子もうかがえました。
「○日から島行きの船が出ると聞いたが、ここではそんな情報はきていない。何が本当なのか…」。そんな言葉も耳にしました。
また、ある方は「身ひとつで逃げてきたので、メガネなどなくしてしまった。ここでは横になっているだけ」と話されました。
私も目が悪く、日常はコンタクトかメガネをしています。
現場の状況を見れば、コンタクトはできません。メガネもなければ、掲示板に書かれている文字をみる気力もないですし、人の顔もよく識別できません。一人で外を歩くのも怖いでしょう。これは、物資で早急に補えるものではありません。
現地で見聞きすることで改めて感じた出来事でした。
家族の安否もわからず心細い生活…、正しい情報をきちんと伝えることが、安心につながるのだと思います。
ある女性が「くつがない。家に取りに帰ったら破れていてこの一足しかなかった」と言われました。
「全国からくつだけでなく靴下や下着もたくさん送られています」と話したところ、少々、驚かれていました。
避難所の格差なくモノがないところにきちんと届くシステムも必要です。
“漁師・大工の知恵で簡易お風呂を設置”
訪れた中学校の校庭には、このような簡易お風呂がありました。
話をきけば、このあたりは水産業が盛んであり、漁師や船を扱う人、大工など多くいたため、協力しあって作ったとのこと。お湯をためているのは、ワカメを洗うためにつかっていたものだそうで、残っていたものを運んで設置したそうです。
お風呂につかることはできませんが、日中も雪がちらつくほどの寒さが続いているなか、
温かいお湯で顔や髪を洗うことができるようになっただけで、気持ちが違うと話していました。訪れた日も、赤ちゃんが入浴し、気持ち良さそうでした。
私たちは疲れた時、「お風呂につかりたい」と思うでしょう。帰京してお風呂につかりながら、あらためて、温かいお湯がどれだけ心と体の疲れをとることができるのかを感じました。
■被災地での行動を通じて学んだこと
“ボランティアとしての礼儀学ぶ。規則正しい生活を乱してはいけない”
各避難所では、7:45朝礼→8:00朝食→12:00昼食→16:00夕食など、規則正しい生活を送っています。
また、物資担当、食事担当、掃除担当などの任務分担もきちんとされていました。
私たちが手伝った昼食用ラーメンは屋外でつくり、体育館内へ運ぶ形式をとっていました。そのため、12時に昼食をとることができた人もいれば、13時の昼食になった方もいたわけです。
途中、食事担当の方から「ご苦労様です。ところで何時ぐらいまでになりますか?」と聞かれたことで私たちはハッと気づきました。
待っている方の気持ちになって考えると、作っている状況をみることができないわけですから、
「自分は何時に食べられるのだろう」「全員に行きとどくのかな。私の分までラーメンは残っているのかしら」
と不安になるのは当たり前です。前述したとおり、情報がきちんと伝わらない環境。
避難者を不安な気持ちにさせてしまい、大変申し訳なく思いました。
ボランティアで避難所へ入る場合は、その生活リズムを崩すことはいけないと感じました。
“たくさんの感謝の気持ちに涙”
夕方、片づけをして、車に荷物を運んでいるときのこと。
「今日は寒い中、ありがとね。ずっと外で寒かったでしょう。こんな入れ物で悪いけれど…」と湯呑に入れたコーヒーの差し入れがありました。そのコーヒーも避難所の貴重な物資です。体も心もあたたまる出来事でした。
また、「ラーメン屋さん!お昼のラーメンあたたまったよ。これ持って帰りな。ここにあってもこの人数では食べきらんし、捨てるだけだから」と現地でとれたワカメをたくさん持ってきてくれました。しかも下ゆでまでしてくれて…。ラーメン屋さんご一行が「これでわかめラーメン作ろう!」と言って、大切に持って帰ってくれました。そういう温かいお気持ちにも感謝。
最後には、体育館で避難所の皆さんから大きな拍手が送られました。「あたたかいラーメンをありがとう」と。
寒さも吹き飛ぶ避難所の方々の気持ちの温かさにつつまれ、被災地を後にしました。
■被災地を後にするときに感じたこと
▲北海道から来た物資提供のトラックにはたくさんのメッセージが書かれていました(一部紹介)
帰りの車中、いろいろなことを考えました。地震や台風など自然災害が多いこの国では、私たちの誰もが被災者となる可能性があります。
今回の行動では、地域全体で取り組むことや、地域の人と人とのつながりや支えが重要であることも改めて感じました。
また、さまざまな職業の人たちが、いろいろな形でボランティア活動されている場面も目にしました。人の役に立ちたいと思っている人がたくさんいるのです。
ラーメン屋さんは最後に「みなさんだけにつらい思いをさせません。東京にも仲間がいることを忘れないでください。僕も東京で募金活動したり、このようなボランティアに参加したり、協力します」とメッセージを送りました。
まさにその通りです。地域の外にも、被災地を支援したいというボランティアが大勢いること、今後の再建・復興に向けては地域を問わずみんなで協力していかなければならないことを強く強く感じました。
実際に足を運ばれて生で感じられたことがひしひしと伝わってきて、報道されている以上の大変さが現地にはあるのだと改めて思い知りました。眼鏡1つ無いだけで生きる気力も失われていく・・・これが現実なのですね。
私たちも小さくてもいいので1つ1つ出来ることをしていきたいと思います。
来月、再来月には仕事ですが仙台・盛岡に入る予定がありますので、何か協力できればと思っています。