今、夜の11時53分です。衆議院は、夜11時半から本会議を開き、延会手続きをして暫時、休憩。再開は深夜1時頃とのことです。終わりは3時から4時の間ぐらいになるでしょうか。みんな、頑張っていますね。
さて、今日の夕方、連合本部の主催で「ILO(国際労働機関)新旧・労働側理事の歓送迎会」が開催され、私もILO活動推進議員連盟を代表して参加してきました。本来ならば、ILO議連の直嶋参議院議員か、事務局長の中川衆議院議員に参加していただければ良かったのですが、直嶋さんは他の公務でダメ。中川さんは衆議院予算委員会の筆頭理事ですから全く動けず。ということで、役不足ながら私が代表して参加し、来賓あいさつの中で議連を代表して挨拶に立たせていただきました。
今回、ILO労働側理事を降りられた中嶋滋氏は、国際労働運動の分野で私の大先輩でした。そもそも、私と中嶋さんのおつきあいは、私がまだ物心のつかない3歳か4歳の時から始まりました。当時、中嶋さんは、ご出身の自治労中央本部に入職したての頃。最初の配属先の直属のボスが、当時、自治労の中央執行委員だった私の父親で、たまにうちのアパートに遊びに来ていたのです。もちろん、私自身はその頃の中嶋さんの記憶はないわけですが、労働組合の活動を初めて最初に中嶋さんにお会いしたときその話を聞かされて、驚くやら感激するやら。
中嶋さんはその頃、自治労の国際局長をされていて、その後、連合本部の総合国際局長に。私も、NTT労組中央本部で国際担当をやっていましたから、国際労働運動の分野で一緒に仕事をさせていただいたわけです。
2001年に私がILOに行った時、中嶋さんには大変、喜んでいただきましたし、その後、今度は中嶋さんがILO労働側理事に就任することになった時、今度は私が大いに喜んだのは言うまでもありません。そして、私がILOを辞して日本に戻り、昨年の参議院選挙に挑戦することになった時には、中嶋さんは個人的に熱烈に応援して下さったのでした。
立場は違えど、これでまた一緒に仕事が出来る!と思っていたのですが、残念ながら昨年末をもってILO労働側理事を退任されることに。自治労から連合、そしてILOと、長年にわたって国際活動を担っていただいた中嶋さんに、この場をお借りして心からの感謝と、そして「お疲れ様」の言葉を贈りたいと思います。
そして、中嶋さんの後を受けてILO労働側理事に就任されたのが、JSD(日本サービス・流通連合)ご出身で、昨年までUNI(ユニオンネットワークインターナショナル)日本加盟組合協議会(UNI-LCJ)の議長を務められていた桜田高明氏です。
桜田さんとは、私がILOの専門官としてフィリピンにいた頃に、マニラで初めてお会いしました。私もかつて、UNI-LCJの活動に関わっていたので、フィリピン時代も何かとUNIの活動に関与させていただいたわけですが、そういう活動を通じてお近づきになったわけです。最初は外見から「何だか怖そうな、難しそうな方だなぁ~」と思っていたのですが、お話をしてみると柔和で優しく、でもピシッと芯の通った熱い思いをお持ちの方でした。
昨年の11月、長崎で行われたUNI世界大会では、ホスト国の組織を代表して獅子奮迅の活躍をされたわけですが、今度はその情熱を、ILO労働側理事としての仕事に注いでいただくことになります。桜田さん、今後ともどうか宜しくお願いいたします!
中嶋さんには、いくつか宿題を託されました。その一つが、日本が未批准のILO中核条約の批准です。105号条約(強制労働)と111号条約(差別禁止)の二つ。大きな課題ですが、ILOの政労使理事の皆さんにもご協力をいただきながら、ILO議連の皆さんにその重要性をしっかりとご理解をいただいて、批准に向けた努力をしていきたい、その思いを新たにした今日の歓送迎会でした。
さて、今日の夕方、連合本部の主催で「ILO(国際労働機関)新旧・労働側理事の歓送迎会」が開催され、私もILO活動推進議員連盟を代表して参加してきました。本来ならば、ILO議連の直嶋参議院議員か、事務局長の中川衆議院議員に参加していただければ良かったのですが、直嶋さんは他の公務でダメ。中川さんは衆議院予算委員会の筆頭理事ですから全く動けず。ということで、役不足ながら私が代表して参加し、来賓あいさつの中で議連を代表して挨拶に立たせていただきました。
今回、ILO労働側理事を降りられた中嶋滋氏は、国際労働運動の分野で私の大先輩でした。そもそも、私と中嶋さんのおつきあいは、私がまだ物心のつかない3歳か4歳の時から始まりました。当時、中嶋さんは、ご出身の自治労中央本部に入職したての頃。最初の配属先の直属のボスが、当時、自治労の中央執行委員だった私の父親で、たまにうちのアパートに遊びに来ていたのです。もちろん、私自身はその頃の中嶋さんの記憶はないわけですが、労働組合の活動を初めて最初に中嶋さんにお会いしたときその話を聞かされて、驚くやら感激するやら。
中嶋さんはその頃、自治労の国際局長をされていて、その後、連合本部の総合国際局長に。私も、NTT労組中央本部で国際担当をやっていましたから、国際労働運動の分野で一緒に仕事をさせていただいたわけです。
2001年に私がILOに行った時、中嶋さんには大変、喜んでいただきましたし、その後、今度は中嶋さんがILO労働側理事に就任することになった時、今度は私が大いに喜んだのは言うまでもありません。そして、私がILOを辞して日本に戻り、昨年の参議院選挙に挑戦することになった時には、中嶋さんは個人的に熱烈に応援して下さったのでした。
立場は違えど、これでまた一緒に仕事が出来る!と思っていたのですが、残念ながら昨年末をもってILO労働側理事を退任されることに。自治労から連合、そしてILOと、長年にわたって国際活動を担っていただいた中嶋さんに、この場をお借りして心からの感謝と、そして「お疲れ様」の言葉を贈りたいと思います。
そして、中嶋さんの後を受けてILO労働側理事に就任されたのが、JSD(日本サービス・流通連合)ご出身で、昨年までUNI(ユニオンネットワークインターナショナル)日本加盟組合協議会(UNI-LCJ)の議長を務められていた桜田高明氏です。
桜田さんとは、私がILOの専門官としてフィリピンにいた頃に、マニラで初めてお会いしました。私もかつて、UNI-LCJの活動に関わっていたので、フィリピン時代も何かとUNIの活動に関与させていただいたわけですが、そういう活動を通じてお近づきになったわけです。最初は外見から「何だか怖そうな、難しそうな方だなぁ~」と思っていたのですが、お話をしてみると柔和で優しく、でもピシッと芯の通った熱い思いをお持ちの方でした。
昨年の11月、長崎で行われたUNI世界大会では、ホスト国の組織を代表して獅子奮迅の活躍をされたわけですが、今度はその情熱を、ILO労働側理事としての仕事に注いでいただくことになります。桜田さん、今後ともどうか宜しくお願いいたします!
中嶋さんには、いくつか宿題を託されました。その一つが、日本が未批准のILO中核条約の批准です。105号条約(強制労働)と111号条約(差別禁止)の二つ。大きな課題ですが、ILOの政労使理事の皆さんにもご協力をいただきながら、ILO議連の皆さんにその重要性をしっかりとご理解をいただいて、批准に向けた努力をしていきたい、その思いを新たにした今日の歓送迎会でした。