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人生の日の出Ⅱ「Hero's りんくう校」編

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東北関東大震災・・・日本人の優しさ

2011-03-26 15:43:55 | 東日本大震災

 日本人は、優しい。・・・

ふと、昔を思い出す。・・・

私が、まだ小学生の頃の、暑い夏の日の思い出。・・・

私たち家族が住んでいた処は、市内からは少し離れ、しかも川で隔てられていた為、陸の孤島のような地形だった。小学校や幼稚園はあったが、中学校に行くには橋を渡らないと行けない。・・・

昔は、海岸に面している小さな村だったらしい。市内の繁華街まで、自転車で30分という立地だった、バスも日に数回だけど一応、来る。でも橋一本でしか繋がっていない状態なので他の市民は敬遠する。・・・

昔、おとん(父親)とおかん(母親)が繁華街へ買い物に行って、夜遅くなってしまった。日が暮れるとバスも運行しない。ならば、タクシーを使う事にした。・・・

「金はある。行ってくれ」・・・タクシーの運転手は、行先を聞いて、断った。・・・

タクシーやハイヤーは、橋を渡りたくない。・・・

かつて、川が氾濫して、何度も唯一の橋が流された事があり、それを恐れていたし、夜は街灯もなく真っ暗で、何処からなにが出てくるか分からない。そんな、うわさが広まっていた。・・・

そんな経験を、何度もして辛かったと、おとんから聞いた。・・・

それからしばらくして、村に大きな工場が建設されることになった。海岸を埋め立てて、とてつもなく、でっかくて広い製鉄工場。・・・

村は、それまでとはどんどん変わって行った。全国から人が集まり、あちこちに寮が出来たり、社宅やアパートが出来たり、製鉄会社の下請け企業の会社ビルも建って行った。小さなマーケットや散髪屋さん、銭湯、喫茶店、プチゲームセンター、公園、小学校も大きくなって周りは小さな繁華街になった。道路も整備され、地道がなくなった。・・・

製鉄会社には、地元の人はもちろん、全国からたくさんの人が来て働いている。あの当時で、1000人だとか2000人だとか、学校の教室で話してた事がある。・・・

私が、小学校の頃は、もうすでにそんなだったから、何も不自由しなかったし、その頃にはタクシーも喜んで行ってくれたし、来てくれた。・・・

その日は、夏休みで夜、おとんと一緒に銭湯へ行った帰り道。・・・

こんな街だから、当然飲み屋も出来てる。しかも、小学校の正門の真ん前。・・・

銭湯の行き返りには必ずその前を通る。正門の前だから、街灯があり明るい。・・・

「あちこちから、いろんな人が来ちゃぁるさかい。気ぃつけやなあかんで」おとんが歩きながら言う。・・・(和歌山弁・・色んな人が来てるので、気をつけろ。)

飲み屋の前で、店から怒鳴り声。我々は、足早に通り過ぎる。・・・

無事、家に着いてテレビを見てたら。玄関の扉をたたく音。・・・

ドンドン!「/?:\^-09\\/.^:-あsぉしうyつqhふぇgpヴぃえk~」・・・

?・・・おかんが、「なんな~!」・・・鬼の形相・・・

おとんが玄関を開けて、話を聞いてる・・・

「子供が居てんねん、外へ行こらっ!」・・・

私が心配になって、おかんに聞く。「なに?だれ?」・・・

おかんは、「酔っ払いや~」又かと言わんばかりに、イライラ・・・

しばらくして、おとんが帰って来た。「心配せんでもええ、じっとしてなぁ~」・・・

おとんは炊事場に行き、炊飯器からご飯を取り出し、握りだした。・・・

三つほど、おにぎりを握って、「行ってくらぁ~」と又出て行った。・・・

おかんがあきれ顔で言う。「またかぁ~放っときゃええねん!」・・・

また、らしい・・・

そしておとんが帰った。が、もう一度持っていくらしい。おにぎりを握りながら、話す。・・・

その酔っぱらいは、出稼ぎで来ていて、仕送りを故郷にしている。奥さんや子供が居るらしく、寂しさに耐えかねて酒を飲む、酒に溺れてとうとう仕送りの金に手を出して、お金が無くなって、帰るに帰れない。これで最後と、酒を飲んで・・・

だから、あそこの飲み屋で、叫んでたのは、この人。・・・

我々のあとをついて来てたらしい。・・・

ほとんど、食事をせず、酒だけを飲んでたらしい、当然仕事も出来ない。・・・

おとんは、おにぎりと、自分で漬けた紀ノ川漬を持って行ったのだ。・・・

「困ったときは、お互い様や~」・・・

今度は、なかなか帰ってこない。・・・

しばらくして、「泣かれて(し)もたんよ、田舎へ帰るて言いだしてる」・・・

おかんは、安どの顔になり、「そんなん、放っとけぇ~毎回毎回、してられへん」・・・

おとんは、放っとけない、自分も苦労したから・・・

酔っ払いの彼の話によると、田舎は東北で、漁師をしてたらしい。帰って又、家族と一緒に始める、そう決めたらしい。・・・

それにしても、よく東北弁、わかったなぁ?・・・

「以心伝心って言うやつや~」おとんが笑う。・・・

その後、彼がどうなったかは知らない。きっと、大丈夫だと思う。・・・

そして・・・

大震災に、遭っていなければいいけれど、どうかご無事で・・・・・

今も、大震災で困っている方々を、全国の日本人が束になって助けている。・・・

当たり前だけど、当たり前でない。・・・

がんばれ、日本人。がんばれ、みんな!・・・・・

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