人生の日の出Ⅱ「Hero's りんくう校」編

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罪を憎んで、人を憎まず・・・

2011-05-15 19:24:46 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日NHKで、死刑判決を受けた犯罪者に対峙する被害者側のドキュメント番組を見た。・・・

内容は、自分の身内を殺害された遺族が、犯罪者に対して死刑を望むか、生かして一生償いさせるかの選択と、犯罪者に対する遺族の思いの変化を、遺族のインタビューを交えながら、考えさせる番組となっていた。・・・

愛する人の死は、とても辛いし悲しい。事故や病気や天災などのどうする事も出来ない場合でも、事故や病魔、天災までも恨む。そうでもしないと、その死を受け止められない。・・・

もしその死が、人により、もたらされたのなら、怒りはその人に向けられる。自分の愛する者を奪って行ったのが人間ならば、同じ苦しみを味わえと、考えるのは普通なのだ。・・・

番組では、死刑囚と手紙をやり取りした遺族が死刑執行後、こう言っている。・・・

「少しづつ、文面も変わって来て反省の気持ちも出て来ていた。もっと話をしたかった。」・・・

また、別の遺族は、「やっと終わったよ、と仏前に報告できる。」とも、言っている。・・・

死刑制度は、是か非かと言う問題を提起する前に、よく知っておかないといけない事がある。・・・

人間は、ミスを犯す生き物であり、反省して改心したり、二度と過ちを起こさないようにしたり、でもまた同じことを繰り返したり、・・・それでも、みんな優しい。・・・基本的に、みんな優しい。・・・どんなに苦しめられても、何時かは許している自分がいて、そんな自分の心が許せなかったりして、葛藤する。・・・

生まれながらの殺人者は、いない。生まれながらの犯罪者も、いない。・・・

育った環境や社会が、犯罪者を作る。・・・だから、死刑がいけないとか言っているのではなく、もっとよく考えないといけない。・・・

人を殺したら、死を以て償うと言うのが最善なのか・・・刑罰の問題がある。・・・女性に暴行して、女性の人生を完全に狂わせた犯罪者は、殺人をしていないから死刑にはならない。・・・女性側からすれば、死刑を望むだろう。人のこころとは裏腹に、一律に刑罰が作られている。・・・だから、極刑を求める場合もあるし、刑を軽くしてあげたい場合もある。しかし、前もって刑罰を決めておかないといけない。犯罪の後に刑罰を当てはめて居たら、単なる信号無視で死刑になるということも出てくる。・・・これを、罪刑法定主義という。・・・前もって決められた刑罰でない限り、犯罪者に施行してはならないという考え。・・・

人間は育っていく過程で、性格や感情が造られていく。・・・

人生を生きて行くと、いろんな壁にぶつかって経験して、情報をいっぱい得て、でもどうしょうもない事に出会ったりする。・・・そんな時犯罪が起こったりする、人が人をだましたり、暴力で解決しようとしたり、うそをついたり、・・・それがエスカレートして、犯罪に発展する。・・・

人間には、大人に近づくと{魔}と言うものが出来上がってくる。・・・これは決して変な新興宗教の教えではなく、仏教の教えに出てくるものです。・・・

少し、仏教の話をします。・・・

釈尊(ブッタ)の弟子で身内の一人に、提婆達多(ダイバダッタ)という人がいました。・・・提婆達多は、釈尊にたくさんの弟子がいて慕われていた妬みからか、釈尊に嫌がらせを何度もして、困らせていた。ある時は、谷底を行く釈尊に崖の上から大きな岩石を投じ殺そうともした。・・・釈尊は、そんな提婆達多に決して恨みや怒りを持たなかった。・・・

なぜなら、釈尊は提婆達多自信が罪を犯したとは、思っていなかったから・・・彼の中にある{魔}が全てを犯した犯人だと知っていたから・・・提婆達多は、その{魔}に支配されて自分の善(仏)のこころが押しつぶされているのだと・・・だが、その{魔}を取り除くことは、本人以外誰も出来ない。本人が、自分の{魔}と闘って勝たないといけない。他人は、手を出せない。ただ手助けは出来る。と言うのだ。・・・

この話は、宗派や解釈をする人により違うのだが、元々人の中には仏があり、{魔}がある。・・・人間は、生まれながらに仏性を持っている。生きて行くうえで{魔}が入り込み、一生の間に{魔}をなくせれば、仏となる。ここで、宗派が違うと、死んでからでないと仏になれないのだというのもある。解釈の違いなので議論しないが・・・

この話を、先ほどの犯罪者の話に当てはめると・・・

罪を犯した犯罪者は、元々悪いのではなく、その人の中に{魔}が住んでいるから、その{魔}を追い出さないといけない。追い出すまで、また抑えられるようになるまでは、刑務所に入れて監視する。・・・見事追い出したり、抑えられるようになったら釈放する。・・・ただ、罰として期間や方法をはじめに提起しておかないといけない。(罪刑法定主義より)・・・これぐらいの期間なら{魔}を退治できるだろうと言う判断は、法律と裁判所が決める。・・・

ただ、その{魔}に体のすべてを取り込まれて、自分ではどうしょうも出来ない場合。・・・反省している振りまでして、この期に及んでまだうそをつく、{魔}がそうさせる場合・・・仏性すら食われてしまっている場合・・・凶悪犯罪者、無差別殺人者、猟奇殺人者などの更生不可能なようになっている人・・・社会的に、その犯罪者が生きていることが、他の人に、凶悪な{魔}を増殖させる事になりかねない場合。・・・死刑などの極刑を執行しなければいけない。・・・

人間には、誰にも仏性がある。・・・たとえ犯罪者でも・・・

人間の中の{魔}を退治し続ける事が出来るかどうかは、本人次第なのだ。・・・

何時かは、人間には死が訪れる。・・・生きている間に、{魔}を退治して、体や心が仏性に覆われた時、生きながら仏になれる。だから、負けないで生き続けよう。しかし、仏になったら、もう人間として生活する必要がないから、世の中から消える。・・・早くに死を経験してしまう方は、とんでもない速さで仏になっているのだ。また、仏になっているのに、生きながらえている人もいる。その方は、世の中でしなければいけないことがあるからなのだ。・・・

人間、生まれて来る事を望めないが、死ぬ事は望める。・・・もし自分の{魔}を退治できなかったら、人間は自らもろとも、その{魔}を消し去ろうとする。・・・これが、自殺となるが、この話はまた別の機会に・・・

話は、あっちこっち行ってしまってるけど、「罪を憎んで、人を憎まず。」は、こんなところからきているのだと思う。・・・

たぶん、今回のNHKの番組に出ていた遺族の方は、死刑囚の仏性を見たのではないか、けれど許すことは出来ない。・・・「もう少し、話したかった。」と、言っていたのは、そういう事ではないだろうか。・・・

だからと言って、死刑はいけないと言っているのではない。・・・本当に、仏性を蘇らせて、今後一切{魔}を封じ込める事が出来るようになったかどうかを判断出来る人間は、いないだろうし、でも殺人を犯してしまった人でもちゃんと真っ当に生きている人もいる。・・・

司法制度は、人間が人間を裁く。・・・裁判官が、死刑を言い渡すべき犯罪なのか、そうじゃない犯罪なのかを見極める。・・・普通の人には見えない、その人の仏性の大きさを計ることが出来るように勉強し、資格を取って、いろんな判例を知り、秤にかける。・・・

色々な事を、良く考えて知識を広げてから初めて、死刑制度を考える事、意見を述べる事が出来るのではないだろうか?・・・

憎むべきは、人ではなく、罪なのだから・・・

そして、ひとは必ず、仏性を以て輝く事が出来る・・・

誰でも、どんな人でも可能性がある・・・

いつか必ず・・・

生まれながらに、仏をもっているのだから・・・

仏をもって、生まれてくるのだから・・・

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今日は、重い話になりました。あくまで、個人の意見です。・・・

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