以下、コメント欄から引用
話はそれてしまうと思うのですが、指原だけが名指しでライバル視された事は、このブログの趣旨であるAKBGは日本人の精神性と文化の影響を受けていることに由来していると考えます。
第4回選抜総選挙の直後に地下板に立った↓のスレを覚えている方もいるかと思います。
http://akb48-matome.blog.jp/archives/51825309.html
指原はライバル視しても良い事と神々の中に迷い込んだ一般人と評された事の根底にあるのは同じものです。
日本人の根底にある、神たりえるのは創造と建国に携わった者と、そこから万世一系継承している者でなければならないとする思想ではないですか。
スレが立てられたのは指原のスキャンダル発覚前であり、その事抜きにして指原は最初から神々の末裔であるとは見做されておらず、神にはなれない存在だったのです。
その辺は個人(日本人)の趣味趣向だからというのは全くもってその通りなんですが、神だからといってライバル視するのは畏れ多いとの雰囲気が蔓延するのは問題です。
でもやっぱこの辺も日本人で、某大きな戦争終結時にさる高貴なお方に責任を取っていただくのを避けたのとまる被りしています。
絶対的センターと神々やその系譜の存在様式に問題があるんじゃないのかとの問はタブーなんですよねぇ…。
だからと言ってはなんですが、一般人の世界で起きた事象は肯定的に捉えたいんですね。
kazuさん、コメントありがとうございます。
「日本人の精神性」という議論は、エラソに言うのも何ですが、実は日本人だからこそ、その中の人だからこその困難がつきまとってしまいます。一例、「万世一系」という思想。これを歴史的に抽出してみると、言葉としてはともかく、私たちが当たり前のように思ってるような「万世一系」は、実は明治以降の考え方であることが分かります。さらに言うと現行のものは、より正確には敗戦後の「思想」であるとすら言えてしまったりします。
この辺り、議論が錯綜するんで、これ以上の深入りはしませんが、指原さんに話を絞ると、指原さんの凄さというのは、まさにここ、その才能は当然として、何より自身の存在様式に自覚的だと言うことなんだと思います。
私的議論としての、AKB複雑系組織論(カオス理論でも良いです)の要諦は高橋さんなんですが、では高橋さんが自身の存在様式に自覚的かというと、恐らくはぼんやりとは分かっていても、自身の在り方に対する言語的、あるいは空間的自覚はないと思われます。
では、なぜ指原さんにそれが可能だったのかというと、それは指原さんがHKTに移籍したからというのが決定的だったのではないかと。とあるムーブメントの中の人にとっては、自分が何ものなのかという問いかけ自体が、必然的ではありません。そこから疎外(外化)されて初めて、自身を客観視する機会を与えられることになります。
指原さんは、「あの」タイミングでの秋元氏の「神の一手」に遭遇したわけです。もちろんのこと、秋元氏にもそんな自覚はなかっただろうと推測します。いつものようにカンという名のひらめきというか、思いつきだったことでしょう。けれども、その資質を与えられた存在にとって、それはまさに「神の一手」になりました。
以前にも書きましたが、「to be continued」に描かれてたかつての指原さんを見る限り、そんな才能が与えられてるなんて、まったく分からなかった。それはご本人にとってもそうだし、秋元氏においてもそうだったことでしょう。けれども、ふとしたきっかけ、恐らくはブログが目にとまって、秋元氏がおもしろがって追い立ててみたら、あれよあれよという間に、あらぬ方向へと泳ぎ始めてしまった。
ポテンシャルとしての才能を秘めたものが、名伯楽によって見いだされた、その才能を発揮できた、それだけなら良くある話というか、普通に成功物語だったことでしょう。ところが、指原さんは、そこからさらに運命の如くに追い立てられた。スキャンダルという地獄の底に突き落とされて、HKT移籍を言い放たれた。
これも並みの才能であれば、そこで折れたか砕け散ってしまっただろうに、指原さんはそこをも泳ぎ切って、誰も見たことのない、存在すら知らなかった「向こう岸」に辿り着いてしまった。自身の客観視をも含めて、恐らくはAKBムーブメントの全体像を俯瞰できる「高み」にまで辿り着いてしまった。秋元氏の「寒ブリ」という比喩も、この辺りを指してのことでしょう。
ここで言う俯瞰とか「高み」は、言葉の綾みたいなもので、些か正確さを欠く表現ですが、これが先のエントリに書いた、世界認識と自己了解象という合わせ鏡に相当します。私の推測するところ、指原さんの現在位置はここです。22歳にしてこんな所まで来てしまった。
もちろん、これは尋常のことではありません。こんな世界認識と自己了解象は、いかに正しくあっても、22歳の小娘というリアル肉体と整合するはずがありません。だから指原さん個人として、今後、それなりの困難が待ち受けてることでしょう。これ以上は書きませんが。
話はそれてしまうと思うのですが、指原だけが名指しでライバル視された事は、このブログの趣旨であるAKBGは日本人の精神性と文化の影響を受けていることに由来していると考えます。
第4回選抜総選挙の直後に地下板に立った↓のスレを覚えている方もいるかと思います。
http://akb48-matome.blog.jp/archives/51825309.html
指原はライバル視しても良い事と神々の中に迷い込んだ一般人と評された事の根底にあるのは同じものです。
日本人の根底にある、神たりえるのは創造と建国に携わった者と、そこから万世一系継承している者でなければならないとする思想ではないですか。
スレが立てられたのは指原のスキャンダル発覚前であり、その事抜きにして指原は最初から神々の末裔であるとは見做されておらず、神にはなれない存在だったのです。
その辺は個人(日本人)の趣味趣向だからというのは全くもってその通りなんですが、神だからといってライバル視するのは畏れ多いとの雰囲気が蔓延するのは問題です。
でもやっぱこの辺も日本人で、某大きな戦争終結時にさる高貴なお方に責任を取っていただくのを避けたのとまる被りしています。
絶対的センターと神々やその系譜の存在様式に問題があるんじゃないのかとの問はタブーなんですよねぇ…。
だからと言ってはなんですが、一般人の世界で起きた事象は肯定的に捉えたいんですね。
kazuさん、コメントありがとうございます。
「日本人の精神性」という議論は、エラソに言うのも何ですが、実は日本人だからこそ、その中の人だからこその困難がつきまとってしまいます。一例、「万世一系」という思想。これを歴史的に抽出してみると、言葉としてはともかく、私たちが当たり前のように思ってるような「万世一系」は、実は明治以降の考え方であることが分かります。さらに言うと現行のものは、より正確には敗戦後の「思想」であるとすら言えてしまったりします。
この辺り、議論が錯綜するんで、これ以上の深入りはしませんが、指原さんに話を絞ると、指原さんの凄さというのは、まさにここ、その才能は当然として、何より自身の存在様式に自覚的だと言うことなんだと思います。
私的議論としての、AKB複雑系組織論(カオス理論でも良いです)の要諦は高橋さんなんですが、では高橋さんが自身の存在様式に自覚的かというと、恐らくはぼんやりとは分かっていても、自身の在り方に対する言語的、あるいは空間的自覚はないと思われます。
では、なぜ指原さんにそれが可能だったのかというと、それは指原さんがHKTに移籍したからというのが決定的だったのではないかと。とあるムーブメントの中の人にとっては、自分が何ものなのかという問いかけ自体が、必然的ではありません。そこから疎外(外化)されて初めて、自身を客観視する機会を与えられることになります。
指原さんは、「あの」タイミングでの秋元氏の「神の一手」に遭遇したわけです。もちろんのこと、秋元氏にもそんな自覚はなかっただろうと推測します。いつものようにカンという名のひらめきというか、思いつきだったことでしょう。けれども、その資質を与えられた存在にとって、それはまさに「神の一手」になりました。
以前にも書きましたが、「to be continued」に描かれてたかつての指原さんを見る限り、そんな才能が与えられてるなんて、まったく分からなかった。それはご本人にとってもそうだし、秋元氏においてもそうだったことでしょう。けれども、ふとしたきっかけ、恐らくはブログが目にとまって、秋元氏がおもしろがって追い立ててみたら、あれよあれよという間に、あらぬ方向へと泳ぎ始めてしまった。
ポテンシャルとしての才能を秘めたものが、名伯楽によって見いだされた、その才能を発揮できた、それだけなら良くある話というか、普通に成功物語だったことでしょう。ところが、指原さんは、そこからさらに運命の如くに追い立てられた。スキャンダルという地獄の底に突き落とされて、HKT移籍を言い放たれた。
これも並みの才能であれば、そこで折れたか砕け散ってしまっただろうに、指原さんはそこをも泳ぎ切って、誰も見たことのない、存在すら知らなかった「向こう岸」に辿り着いてしまった。自身の客観視をも含めて、恐らくはAKBムーブメントの全体像を俯瞰できる「高み」にまで辿り着いてしまった。秋元氏の「寒ブリ」という比喩も、この辺りを指してのことでしょう。
ここで言う俯瞰とか「高み」は、言葉の綾みたいなもので、些か正確さを欠く表現ですが、これが先のエントリに書いた、世界認識と自己了解象という合わせ鏡に相当します。私の推測するところ、指原さんの現在位置はここです。22歳にしてこんな所まで来てしまった。
もちろん、これは尋常のことではありません。こんな世界認識と自己了解象は、いかに正しくあっても、22歳の小娘というリアル肉体と整合するはずがありません。だから指原さん個人として、今後、それなりの困難が待ち受けてることでしょう。これ以上は書きませんが。