「寛容と多様性」については以前にも書いたけど、今回はポジティヴサイドからというか、8月29日のミュージックステーションでの「心のプラカード」を見て感じたことなどつらつら。
まずは一言で言って、とても良かった。「心のプラカード」を最初に耳にした時には正直心配したけど、MVや、こうして正式にお披露目されたものを見ると一安心。とても素晴らしい出来になってると思う。「恋するフォーチュンクッキー」が、言ってみればマイナス側からプラス側へと遷移する、陰から陽へと背中を押す、そんなポジショニングだったのに対し、「心のプラカード」は、歌詞こそなお曖昧な位置取りになってるけど、曲調はとことん明るくて、ダンスにもそれがしっかり反映されてて、見ていて楽しくなる。
選挙曲らしく、渡辺麻さんにジャストフィットさせたとも取れるけど、渡辺麻さんの方からも能動的に曲を掴みに行った結果と思われる、そんな確信を裏付けるような、渡辺麻さんの自信に満ちた揺るぎのない表情とカワイさの説得力が、この曲のヴィジュアルを決定付けてる。
選挙選抜メンバーを、敢えて外部的な視点から見ても、渡辺麻さん、指原さん、小嶋さん、高橋さんの4人は、これを見るほとんどの人が顔と名前が一致するだろうし、柏木さん、山本さん、島崎さん、川栄さんも認知度は高いと考えられる。つまりは16人中8人が、恐らくは「誰だか分からん」から逃れられてると思われる。
松井Jさん、松井Rさんの二人は、認知度は高くない可能性があるけど、個性が確立してるし、二人とも前列にいて、言わば認知度の高いメンバーに後押しをしてもらってる形になってる。須田さんは気が付く人は気が付くんだろうけど、そうでなくても「激しい」表情や大きなフリが目を引くことに。
宮脇さんは恐らく無名だけど、画面に映る度に、その際立つ美貌にハッとさせられるし、一人だけダンスがぎくしゃくしてる、まだ身体が大人になりきってないからだろう動きの未熟さが、逆に目を引くことになる。宮澤さん、横山さん、生駒さん、柴田さんも無名に近い可能性があるけど、一目で分かる、一瞬で伝わるくらいにそれぞれ個性が際立ってる。
個別の要素を見ても、AKB選抜の顔や身体的特徴の多様性は、ほとんど多国籍軍状態と言えそう。類似の顔がまったくない。身長も小嶋さん宮澤さんの164cmから、高橋さんの148cmまで、16cm差。年齢も小嶋さんの26歳から宮脇さんの16歳まで、10歳ものばらつき。言わずもがなの、出自もAKBG横断を越えて乃木坂まで。
そんな多様な個性が、ちゃんと調和してる。単なる寄せ集めではない烏合の衆ではない、しっかりと組織化されて、何度も書いてきたように共同体化してる。多様性が単なる雑音へと収斂するのではなく、その多様さを遙かに凌ぐ豊かさとなってる。つまりは相転移してる。
AKBが競争社会であり、メンバーは比喩としてだけど日々「生存競争」に曝されてるという視点からは、これをダーウィニズムに照らし合わせてみることが可能だろうと思う。ダーウィニズムにおける最大の発見というか、興味深い仮説として、その生存競争に勝つことができるのは「最強」ではなく「最適」であることが上げられる。
「最強」というのは絶対概念であるかのように錯覚しがちだけど、そうではない。「最強」を決定するのは個体側ではなくて環境側なんであって、だからこそ「自然淘汰」が成立する。環境は変化するものであり、その変化する環境に対して、何が「最適」であるかを予想することは出来ない。けれども生き残るのは、その「最適」な個体と言うことなんであり、そんな「最適」を担保する唯一の手段こそが多様性と言うことになる。
実際、AKBの歴史を振り返ってみれば、いつも「最適」が選択されてる事が分かる。その時その時の「最適」が用意出来てる。地下から右肩上がりの時代には、前田さんを担ぎ上げる神7がいた。プラトーの時代には大島さんがいた。その後の、誤解を恐れずに比喩的表現を選ぶなら、「構造改革」は指原さんで凌ぎ、今こうして、やはり誤解を恐れずに比喩的表現を試みるなら、「集団指導体制」へと、より多様性を深化させた態勢へと進化した。そう見なせるんではないかと思う。
まずは一言で言って、とても良かった。「心のプラカード」を最初に耳にした時には正直心配したけど、MVや、こうして正式にお披露目されたものを見ると一安心。とても素晴らしい出来になってると思う。「恋するフォーチュンクッキー」が、言ってみればマイナス側からプラス側へと遷移する、陰から陽へと背中を押す、そんなポジショニングだったのに対し、「心のプラカード」は、歌詞こそなお曖昧な位置取りになってるけど、曲調はとことん明るくて、ダンスにもそれがしっかり反映されてて、見ていて楽しくなる。
選挙曲らしく、渡辺麻さんにジャストフィットさせたとも取れるけど、渡辺麻さんの方からも能動的に曲を掴みに行った結果と思われる、そんな確信を裏付けるような、渡辺麻さんの自信に満ちた揺るぎのない表情とカワイさの説得力が、この曲のヴィジュアルを決定付けてる。
選挙選抜メンバーを、敢えて外部的な視点から見ても、渡辺麻さん、指原さん、小嶋さん、高橋さんの4人は、これを見るほとんどの人が顔と名前が一致するだろうし、柏木さん、山本さん、島崎さん、川栄さんも認知度は高いと考えられる。つまりは16人中8人が、恐らくは「誰だか分からん」から逃れられてると思われる。
松井Jさん、松井Rさんの二人は、認知度は高くない可能性があるけど、個性が確立してるし、二人とも前列にいて、言わば認知度の高いメンバーに後押しをしてもらってる形になってる。須田さんは気が付く人は気が付くんだろうけど、そうでなくても「激しい」表情や大きなフリが目を引くことに。
宮脇さんは恐らく無名だけど、画面に映る度に、その際立つ美貌にハッとさせられるし、一人だけダンスがぎくしゃくしてる、まだ身体が大人になりきってないからだろう動きの未熟さが、逆に目を引くことになる。宮澤さん、横山さん、生駒さん、柴田さんも無名に近い可能性があるけど、一目で分かる、一瞬で伝わるくらいにそれぞれ個性が際立ってる。
個別の要素を見ても、AKB選抜の顔や身体的特徴の多様性は、ほとんど多国籍軍状態と言えそう。類似の顔がまったくない。身長も小嶋さん宮澤さんの164cmから、高橋さんの148cmまで、16cm差。年齢も小嶋さんの26歳から宮脇さんの16歳まで、10歳ものばらつき。言わずもがなの、出自もAKBG横断を越えて乃木坂まで。
そんな多様な個性が、ちゃんと調和してる。単なる寄せ集めではない烏合の衆ではない、しっかりと組織化されて、何度も書いてきたように共同体化してる。多様性が単なる雑音へと収斂するのではなく、その多様さを遙かに凌ぐ豊かさとなってる。つまりは相転移してる。
AKBが競争社会であり、メンバーは比喩としてだけど日々「生存競争」に曝されてるという視点からは、これをダーウィニズムに照らし合わせてみることが可能だろうと思う。ダーウィニズムにおける最大の発見というか、興味深い仮説として、その生存競争に勝つことができるのは「最強」ではなく「最適」であることが上げられる。
「最強」というのは絶対概念であるかのように錯覚しがちだけど、そうではない。「最強」を決定するのは個体側ではなくて環境側なんであって、だからこそ「自然淘汰」が成立する。環境は変化するものであり、その変化する環境に対して、何が「最適」であるかを予想することは出来ない。けれども生き残るのは、その「最適」な個体と言うことなんであり、そんな「最適」を担保する唯一の手段こそが多様性と言うことになる。
実際、AKBの歴史を振り返ってみれば、いつも「最適」が選択されてる事が分かる。その時その時の「最適」が用意出来てる。地下から右肩上がりの時代には、前田さんを担ぎ上げる神7がいた。プラトーの時代には大島さんがいた。その後の、誤解を恐れずに比喩的表現を選ぶなら、「構造改革」は指原さんで凌ぎ、今こうして、やはり誤解を恐れずに比喩的表現を試みるなら、「集団指導体制」へと、より多様性を深化させた態勢へと進化した。そう見なせるんではないかと思う。