いちおう一次ソースで「誓約書」が存在することが明らかにされてるし、「恋愛禁止」というルールが実在することだけは事実。けれどもそれだってAKB創設当時はなかったという、やはり一次ソースが存在するし、いつからそんな「誓約」をするようになったのかが分からない。それ以前に、「恋愛禁止」誓約自体が法理上は無効である可能性が高い。
ルールの運用にも一貫性がない。イエローカード、レッドカードなんて言葉が出てきてるけど、その基準は公開されてないし、実際の対応も矛盾だらけに見える。もちろん個別の内情が分からないということもあるだろうけど、一発解雇あるいは辞退になったり、謹慎になったり、不問に付されたり、移籍になったりと、その裁定が下された経緯はちゃんと説明されないし、されたとしても処分の違いの理由が分からない。確実に言えることは、少なくとも単純に「恋愛禁止」というだけの基準での運用ではないらしいことぐらいじゃないか。
一般論として、共同体には共有されるタブーがあるものであり、ではAKBにおける「恋愛禁止」は、AKB共同体が共有すべきタブーなのか、ストレートにそんな疑問を投げかけても誰も答えてくれないんだろう。秋元康もそんなこと考えてるとは思えない。むしろシンプルに、AKBで夢を叶えようと思うんだったら、恋愛なんかしてる暇も余裕もないという総監督の説明(一次ソースを当たってないんで適当な思い込み引用)が一番説得的に聞こえるし、これが秋元康の考えそのものなんだろう。
ではなぜ「誓約書」なのか。ここでこれまで書くのをためらってたけど、ちょうどこういうタイミングなんで私が考える珍説を披露してしまおう。やはりこの「恋愛禁止」は共同体が共有すべきタブーの一種なんだと思う。ただし、ここで言う「恋愛禁止」とは外部的なものというよりも内部的な規範、主な想定対象とは、一例、実は48Gに関わるスタッフのことなんじゃないか。
AKBのスタッフはメンバーといつも一緒にいて苦楽をともにしてるわけだし、なによりメンバーのすばらしさとともにダメダメな部分も最も身近に感じる立場ということになる。実際、名のあるスタッフ(敢えて名を秘す)がメンバーに対し公然と敬意を表するというのは、少なからず目にすることだし、それこそ水面下では、そんな関係性は日常的なはず。
そんな気持ちが真剣な恋愛感情に転化する可能性は決して低くないし、事実として芸能人の結婚相手は、広義のスタッフが多いという指摘もできるだろう。そもそも秋元康の奥様が高井麻巳子さんだってのが、その実態はともかくとして説得力ありすぎではないか。
けれどもAKBが通過点であるなら、夢を叶えることを最優先に考えるなら、そんなメンバーの生き様を尊重するなら、スタッフたるもの決して恋愛感情を持ってはならない。メンバーが「降りる」というなら、退場の自由は常にある。けれどもスタッフを含めたAKB共同体側が、メンバーの進む道の邪魔をしてはいけない。「恋愛禁止」というのは、そんな十分な合理性を持った共同体の内部規範としてのタブーだったんじゃないか。
けれども一度そうと決まれば、決まり事というのは一人歩きするもの。外部からは当初の想定を知ることはできないし、「恋愛禁止」があたかも金科玉条のごとくになってしまうのは、よくあること。けれども上記のような考え方で良いんなら、AKB共同体の成員である限り、タブーを破ったとして、それで自動的に排除されるはずがない。進退を決めるのは共同体の成員の総意、そしてなにより本人の意思ということになる。
そう考えるなら、これまでの裁定や処分の差異が少なからず説明できてしまえるようにも見える。「解雇」はともかくとして、「辞退」とは文字通りの意味で辞退なんだろう。つまり、AKBとしてやっていくことをメンバー自らの意思で降りたということ。「謹慎」も字義通り。つまりは一所懸命さの程度、覚悟の程度を確認するための猶予期間を設けたということなんだろう。辞めるも戻るも決めるのはメンバー自身。
こういう考え方だと「移籍」の異質性が際立つことになるけど、これも既述の通り、さっしーの場合はスキャンダルからの救済が目的だったと考えられる。さっしー自身の資質ややる気には何の疑義もなかったんだし、あとはいかにスキャンダルを「利用」できるかに特化した結果と考えられる。
そしてそう考えるなら、今回の増田さんの場合も、同様の考え方で行けるのかも。これ以上は書かないけど。
ルールの運用にも一貫性がない。イエローカード、レッドカードなんて言葉が出てきてるけど、その基準は公開されてないし、実際の対応も矛盾だらけに見える。もちろん個別の内情が分からないということもあるだろうけど、一発解雇あるいは辞退になったり、謹慎になったり、不問に付されたり、移籍になったりと、その裁定が下された経緯はちゃんと説明されないし、されたとしても処分の違いの理由が分からない。確実に言えることは、少なくとも単純に「恋愛禁止」というだけの基準での運用ではないらしいことぐらいじゃないか。
一般論として、共同体には共有されるタブーがあるものであり、ではAKBにおける「恋愛禁止」は、AKB共同体が共有すべきタブーなのか、ストレートにそんな疑問を投げかけても誰も答えてくれないんだろう。秋元康もそんなこと考えてるとは思えない。むしろシンプルに、AKBで夢を叶えようと思うんだったら、恋愛なんかしてる暇も余裕もないという総監督の説明(一次ソースを当たってないんで適当な思い込み引用)が一番説得的に聞こえるし、これが秋元康の考えそのものなんだろう。
ではなぜ「誓約書」なのか。ここでこれまで書くのをためらってたけど、ちょうどこういうタイミングなんで私が考える珍説を披露してしまおう。やはりこの「恋愛禁止」は共同体が共有すべきタブーの一種なんだと思う。ただし、ここで言う「恋愛禁止」とは外部的なものというよりも内部的な規範、主な想定対象とは、一例、実は48Gに関わるスタッフのことなんじゃないか。
AKBのスタッフはメンバーといつも一緒にいて苦楽をともにしてるわけだし、なによりメンバーのすばらしさとともにダメダメな部分も最も身近に感じる立場ということになる。実際、名のあるスタッフ(敢えて名を秘す)がメンバーに対し公然と敬意を表するというのは、少なからず目にすることだし、それこそ水面下では、そんな関係性は日常的なはず。
そんな気持ちが真剣な恋愛感情に転化する可能性は決して低くないし、事実として芸能人の結婚相手は、広義のスタッフが多いという指摘もできるだろう。そもそも秋元康の奥様が高井麻巳子さんだってのが、その実態はともかくとして説得力ありすぎではないか。
けれどもAKBが通過点であるなら、夢を叶えることを最優先に考えるなら、そんなメンバーの生き様を尊重するなら、スタッフたるもの決して恋愛感情を持ってはならない。メンバーが「降りる」というなら、退場の自由は常にある。けれどもスタッフを含めたAKB共同体側が、メンバーの進む道の邪魔をしてはいけない。「恋愛禁止」というのは、そんな十分な合理性を持った共同体の内部規範としてのタブーだったんじゃないか。
けれども一度そうと決まれば、決まり事というのは一人歩きするもの。外部からは当初の想定を知ることはできないし、「恋愛禁止」があたかも金科玉条のごとくになってしまうのは、よくあること。けれども上記のような考え方で良いんなら、AKB共同体の成員である限り、タブーを破ったとして、それで自動的に排除されるはずがない。進退を決めるのは共同体の成員の総意、そしてなにより本人の意思ということになる。
そう考えるなら、これまでの裁定や処分の差異が少なからず説明できてしまえるようにも見える。「解雇」はともかくとして、「辞退」とは文字通りの意味で辞退なんだろう。つまり、AKBとしてやっていくことをメンバー自らの意思で降りたということ。「謹慎」も字義通り。つまりは一所懸命さの程度、覚悟の程度を確認するための猶予期間を設けたということなんだろう。辞めるも戻るも決めるのはメンバー自身。
こういう考え方だと「移籍」の異質性が際立つことになるけど、これも既述の通り、さっしーの場合はスキャンダルからの救済が目的だったと考えられる。さっしー自身の資質ややる気には何の疑義もなかったんだし、あとはいかにスキャンダルを「利用」できるかに特化した結果と考えられる。
そしてそう考えるなら、今回の増田さんの場合も、同様の考え方で行けるのかも。これ以上は書かないけど。