まず最初に言明しとくけど、「KY」という言葉はあんまり好きではない。その上で、その好きくない言葉でもって、取り敢えず今年の「レコ大」を評したいと思う。
2013年あるいは平成25年という年は、いろんな意味で日本そして世界の転換点、それももしかして大転換点だった年として、後年になって振り返られることになるんじゃないか。これは予想とかではなくて、事実を積み上げるだけで、気がつけることのように思う。
話を日本に限っても、経済では、アベノミクスという名のリフレ政策が、紆余曲折を経ながらも、ついに実行された。政治では、特亜との関係性で代表されるように、敗戦という瀕死の重傷からようやくにして快方へと向かう、そんなベクトルが明確になった。文化では、サブカルという解釈に矮小化されてきた「日本文化」が、実は平和な世界におけるメインストリームであることに、気がつかれ始めた。
そしてこれはあくまでも偶然だけど、伊勢神宮と出雲大社の遷宮が同時に行われたことも、付け加えておこう。
そんな年に、しばらく途絶えていた「流行歌」が復活した。国内的には「女々しくて」が、世界向けには「にんじゃりばんばん」が、人口に膾炙するという表現を使えるくらいに流行った。そしてもちろん、それらをも上回り、今年を代表する曲となった「恋するフォーチュンクッキー」があった。
デフレの泥沼に囚われ、闇に沈んでいた日本が、いろんなしがらみを断ち切る勇気を示すことで、そこから脱出しようともがいてる、そんな始まりの年にぴったりの流行歌「恋するフォーチュンクッキー」。穏やかな前向き、控えめな幸福感、さわやかな言葉の響き。秋元氏は見事に時代を読み切った。
けれども、残念なことに「レコ大」は、「芸能界村」の空気は読んだかも知れないけど、時代の変化を読めなかった。旧弊にして老害のしがらみから、一緒になって立ち上がろうとはしなかった。とっくの昔に、自業自得によって、その「権威」は失墜していたとは言え、それでもなお老舗ゆえの格式は尊重されているかに見えた。それもここに潰えた。
この年、「レコ大」へ引導を渡したのがAKBであるということも、後に振り返ることで気づかれることになるんじゃなかろうか。
2013年あるいは平成25年という年は、いろんな意味で日本そして世界の転換点、それももしかして大転換点だった年として、後年になって振り返られることになるんじゃないか。これは予想とかではなくて、事実を積み上げるだけで、気がつけることのように思う。
話を日本に限っても、経済では、アベノミクスという名のリフレ政策が、紆余曲折を経ながらも、ついに実行された。政治では、特亜との関係性で代表されるように、敗戦という瀕死の重傷からようやくにして快方へと向かう、そんなベクトルが明確になった。文化では、サブカルという解釈に矮小化されてきた「日本文化」が、実は平和な世界におけるメインストリームであることに、気がつかれ始めた。
そしてこれはあくまでも偶然だけど、伊勢神宮と出雲大社の遷宮が同時に行われたことも、付け加えておこう。
そんな年に、しばらく途絶えていた「流行歌」が復活した。国内的には「女々しくて」が、世界向けには「にんじゃりばんばん」が、人口に膾炙するという表現を使えるくらいに流行った。そしてもちろん、それらをも上回り、今年を代表する曲となった「恋するフォーチュンクッキー」があった。
デフレの泥沼に囚われ、闇に沈んでいた日本が、いろんなしがらみを断ち切る勇気を示すことで、そこから脱出しようともがいてる、そんな始まりの年にぴったりの流行歌「恋するフォーチュンクッキー」。穏やかな前向き、控えめな幸福感、さわやかな言葉の響き。秋元氏は見事に時代を読み切った。
けれども、残念なことに「レコ大」は、「芸能界村」の空気は読んだかも知れないけど、時代の変化を読めなかった。旧弊にして老害のしがらみから、一緒になって立ち上がろうとはしなかった。とっくの昔に、自業自得によって、その「権威」は失墜していたとは言え、それでもなお老舗ゆえの格式は尊重されているかに見えた。それもここに潰えた。
この年、「レコ大」へ引導を渡したのがAKBであるということも、後に振り返ることで気づかれることになるんじゃなかろうか。