昨日の今日だけど、やはりもう少し具体的に書いておくべきかなという事で、以下、日経エンタテインメント2016.10の秋元氏インタビューから引用がてら。
もしかしたらその世代の「迷いや戸惑い、思い込み」といったものが僕の頭の中にあって、それが詞として出てくるのかもしれないですね。大人からするとなんでもないことでも、感受性豊かな世代には「アスファルトの上で雨が口答えしてる」ように聞こえちゃうわけだから。そういう意味では、欅坂46では自問自答や、彼女たちの迷いそのものを描きたかったんだと思います。
「世界には愛しかない」を最初に聴いて、もっとも印象的だったのがこの「アスファルトの上で雨が口答えしてる」のくだりだった。この感触はその後も変わらない。ここを聴くたびに、毎回ハッとさせられる。それくらいに秀逸なフレーズだと思うし、たぶん秋元氏自身もしてやったりと思ってるんだろうことが伝わる。
そんなクリエーターとしての自負に絡めてこういうことを語る。深読みが過ぎるかもしれないけど、そこに欅坂に対する思い入れ、敢えて言えば「確信」が見て取れるように思う。
以前、高橋みなみ(元AKB48)が「私には近くにいい大人がいた」と、うれしい言葉を言ってくれたことがあって。人はみんな、そのときどういう環境で、どんな影響を受けて歩いていくかによって進む道が全然違うじゃないですか。だから欅坂46にいろんな環境を与えたときに、彼女たちがそれをどう受け止めて料理していくのか。その新しい環境を次々と与えるのが僕の役割だと思っています。
坂シリーズ、そして欅坂46の話に、高橋さんが例示される。同じ秋元グループという風に受け止める方もいるかも知れないけど、これはけっこう核心に迫ることなんではないかと思う。つまりは秋元氏と高橋さんの関係性を欅坂に投影してると見なせるわけで、やはり秋元氏は、欅坂に初期AKBと類似した何か、そして高橋さんの存在に相当する何者かを見てるんではないか。
AKB48にはサプライズと称していろんな試練を用意しましたが、乃木坂46や欅坂46の場合は試練というよりも彼女たちが自分でやりたいと思う方向の中に未来があるんじゃないかと思うんです。だから坂道シリーズでは、AKB48グループのように姉妹グループをまたいだ選抜や兼任みたいなことをする気はないです。自由な校風というか、自分たちで校則を作って進んでいくのが、欅坂46らしさなのかもしれないですね。
つまりは外乱や創発の必要性はないということ、すでにして乃木坂46、欅坂46は内部構造として「それ」を取り込んでいると語ってるとも見なせる。「姉妹グループをまたいだ選抜や兼任」の、生駒さん、長濱さんがさも当たり前のごとくに例外扱いになってるんで、正にこの二人こそが「それ」ともとれる論理構造になってる。
もしかしたらその世代の「迷いや戸惑い、思い込み」といったものが僕の頭の中にあって、それが詞として出てくるのかもしれないですね。大人からするとなんでもないことでも、感受性豊かな世代には「アスファルトの上で雨が口答えしてる」ように聞こえちゃうわけだから。そういう意味では、欅坂46では自問自答や、彼女たちの迷いそのものを描きたかったんだと思います。
「世界には愛しかない」を最初に聴いて、もっとも印象的だったのがこの「アスファルトの上で雨が口答えしてる」のくだりだった。この感触はその後も変わらない。ここを聴くたびに、毎回ハッとさせられる。それくらいに秀逸なフレーズだと思うし、たぶん秋元氏自身もしてやったりと思ってるんだろうことが伝わる。
そんなクリエーターとしての自負に絡めてこういうことを語る。深読みが過ぎるかもしれないけど、そこに欅坂に対する思い入れ、敢えて言えば「確信」が見て取れるように思う。
以前、高橋みなみ(元AKB48)が「私には近くにいい大人がいた」と、うれしい言葉を言ってくれたことがあって。人はみんな、そのときどういう環境で、どんな影響を受けて歩いていくかによって進む道が全然違うじゃないですか。だから欅坂46にいろんな環境を与えたときに、彼女たちがそれをどう受け止めて料理していくのか。その新しい環境を次々と与えるのが僕の役割だと思っています。
坂シリーズ、そして欅坂46の話に、高橋さんが例示される。同じ秋元グループという風に受け止める方もいるかも知れないけど、これはけっこう核心に迫ることなんではないかと思う。つまりは秋元氏と高橋さんの関係性を欅坂に投影してると見なせるわけで、やはり秋元氏は、欅坂に初期AKBと類似した何か、そして高橋さんの存在に相当する何者かを見てるんではないか。
AKB48にはサプライズと称していろんな試練を用意しましたが、乃木坂46や欅坂46の場合は試練というよりも彼女たちが自分でやりたいと思う方向の中に未来があるんじゃないかと思うんです。だから坂道シリーズでは、AKB48グループのように姉妹グループをまたいだ選抜や兼任みたいなことをする気はないです。自由な校風というか、自分たちで校則を作って進んでいくのが、欅坂46らしさなのかもしれないですね。
つまりは外乱や創発の必要性はないということ、すでにして乃木坂46、欅坂46は内部構造として「それ」を取り込んでいると語ってるとも見なせる。「姉妹グループをまたいだ選抜や兼任」の、生駒さん、長濱さんがさも当たり前のごとくに例外扱いになってるんで、正にこの二人こそが「それ」ともとれる論理構造になってる。