AKB48の旅

AKB48の旅

オメガ因子

2018年07月06日 | AKB
AIは“美しさ”を感じるか ディープラーニングの先にある未来

―― では、歌や曲はどうでしょうか。ある時代にはやった歌を学習させて、新しく登場した歌がはやるかどうかの判別はできますか。

石川 かなり簡単だと思います。この前、作曲家は中田ヤスタカ型と秋元康型に分かれると、機械学習のエンジニアと話していました。中田ヤスタカ型は天才肌で、自分でこれが良いと思ったものを作曲する。秋元康型はメロディラインなどを分析して、こういう曲であればヒットするという型が出来上がっている。


例によって批判は避けたいところだけど、これはどうだろう。確かにディープテクスチャー的に中田ヤスタカ氏風の曲とかは判別できそうだけど、秋元氏の創作手法は、多数の作曲家を駆使することによる何でもありシステムなワケで、歌詞だけならばともかく、AIは「型」として秋元康氏風の曲というものを弁別しないのではないか。それとも、フラクタルな階層構造を辿ることで、何か高次の秋元康氏風的な何かを「発見」するんだろうか。

ふと思いついたのは、かつて手塚治虫氏が洞察してみせたオメガ因子かな。大脳辺縁系の欲動や報酬系、そして何より恐怖。そういったものをAIはどのようにして創出することになるんだろう。あるいはそこに、オメガ因子に相当する何かを、外部性として導入する必要があるんじゃないか。

そういえば「AKB学校化計画」

2018年07月05日 | AKB
AKB48や乃木坂46は「女子アナ養成所」? TV局が争奪戦を繰り広げる理由〈dot.〉

「テレビやステージなど人前に出る訓練を積んできているので、アナウンス技術さえ学んでしまえば即戦力になります。また、一度はアイドルになるという夢を叶えたので、次なるステップとしてアナウンサーになりたいと思う子は、意思もぶれないし決断力もある。肝が据わっているんですね。これがアナウンス学院に通って局入りした『ミス●●』みたいな女子大生と違うこところです。スキャンダル対策という意味でも元アイドルのほうが“安全”です。AKBグループや坂道グループは恋愛禁止などでも知られるように、厳しく教育・管理されてきたので、線引きができている。昨今は女子アナのスキャンダルや不祥事で降板・左遷も少なくないので、リスクヘッジという意味でも元アイドルのほうがいい。アナウンサー教育にどこもお金をかけられない時代なので、局側にとっては喉から手が出るほどほしい人材なのです」

 アナウンサーやキャスターになったメンバーは意外と高学歴な子も多く、忙しいアイドル活動と学業を両立させてきた努力家も揃っている。将来、アナウンサーになりたいと思うなら、まず秋元康プロデュースのアイドルグループに入る、という時代がやってくるのかもしれない。(ライター・黒崎さとし)



言われてみれば確かにそうなのかも。リスクヘッジと取るか(and/or)、アウトソーシングと取るかは、考え方次第。

そういえば、勝利条件は勝ち越しの「8勝7敗」の「敗」の1つに、「AKB学校化計画」というのがあったような(遠い視線)。

なんとなく周回遅れ感

2018年07月04日 | AKB
『AKB総選挙』“名言狙い”のスピーチにげんなり 面白いのは「下位から17位まで」

しかしそれもムリもないという気もする。ここ数年の総選挙を現場で見てる(去年除く)者としてずっと言い続けてますが、選抜総選挙ってぜったい「下位から17位までのほうが面白い」んですって。そこまでは16人単位で発表して並んでコメント。下に落ちて明らかに怒ってる子や、ワケわかんなくなってる子とか、やっとランクインして心から喜んでる子とか、それでスピーチも短めに切られるし、知らないメンバーでも見てると面白い。このテンポこそ選挙速報にふさわしい。

 しかし16位以上になると、スピーチに悪慣れしたメンバーが増えてきて、名言狙いみたいなことばっか言い出すからゲンナリするんだ。私がこれからのAKBを作ります! AKBを守ります! AKB人生を全力で生き抜きます! みたいな。空虚である。宮根としても「ほーすごいね」とかしか言いようもなかろう。


なんかツッコミを入れたいような、けれども、その通りでございますとしか言えないような、なんとも居心地がよろしくない記事。ならば絡むなよ、と思われるかも知れないけど、そこは言わずもがなの一言が言いたかっただけかも知れない。

「下位から17位までのほうが面白い」も「スピーチに悪慣れ」も、その通りではあるんだけど、それでもそれって「なんとなく周回遅れ感」とでも言い放ちたくなる。なにより今年の総選挙の白眉は、そんな表面的なトコにはなかった。日本文明の際だった特徴とも言える「空白の中心」、そして表面的には語られることのない散逸構造的なサブストーリーこそが、今年の総選挙の隠されたメッセージだったという私見は、既述の通り。

「SKE大場美奈のスピーチに思う、失敗して強くなる」

2018年07月03日 | AKB
SKE大場美奈のスピーチに思う、失敗して強くなる

スピーチでは「私は王道のアイドルではなく、失敗もしてきました。でも、努力をすれば夢はかなう。それが48グループです。そんな姿を後輩たちに見せていきたいです」と話した。2位に入った須田も「今ステージの端っこにいる子も、握手会の列が短い子も、ブスでも、運営に推されなくても、頑張れば夢をつかめる」と同様のスピーチをしたが、これが今のSKE48を象徴しているように感じた。先輩たちが自らの経験を示すことで、後輩を導いているように感じた。

 同インタビューの際、「今までは指原さんの発言がニュースになっていたけど、指原さんが出ないことでそれがなくなって、世間に総選挙が広まっていないという感覚がある」とも話していた。「私たちの発信力の未熟さに気付かされた。先輩たちが抜けた穴の大きさをグループ全体で感じたので、私はSKE48だけど、48グループの一員として、そこをしっかり意識すべきだった」と反省の弁を述べた。


一昨日の今日だけど、ま、ご紹介がてら。

「権力」の性(さが)

2018年07月02日 | AKB
以下、コメント欄からコピペ

今回の総選挙の騒ぎは、AKBビジネスや秋元康さんの特殊な手法が内包していた様々な問題点、矛盾、限界が、これまではある程度抑えられていた内部の焦りと不満の鬱積とともに、AKBの人気が下降線を辿るとことによって、1人のメンバーの変則的な言動という形で現れたのでは

Unknownさん、コメントありがとうございます。

正に「抑えられていた」という視点が重要というか、なんであれ「問題点、矛盾、限界」は存在するわけで、それが表面化する、実際に「問題点、矛盾、限界」として実効性を現すかどうかが、重要なんだろうと思います。

誤解を招かないように繰り返しになりますが、「問題点、矛盾、限界」は常に存在し続けてきたわけで、AKBGの規模の拡大とともに、「問題点、矛盾、限界」もまた、拡大し続けてきた。けれども重要なのは、それが露出し実害をもたらすに至るのかどうかです。

議論を思いっきり単純化してしまいますが、AKBGという巨大組織には、誰でもわかりやすいような政治的な意味での権力機構が、少なくとも表立っては見えません。秋元氏が、あるいは「運営」が、権力者だと考える向きもあるのでしょうが、少なくとも私は、必ずしもそのようには考えていないというのは、既述の通りです。

このあたり、かつての高橋総監督時代がむしろわかりやすかったのですが、AKBGとは自律的な運動体なんであり、自己組織化共同体だった。高橋さんはインサイダーにしてある種の触媒、あるいは多次元の結節点として機能していたのであって、そこに「権力」はなかったと考えます。それでも「自治」は成立してた。

けれどもAKBGの拡大に伴って、自己組織化共同体の成立要件としての散逸構造というアスペクトが決定的になっていく。未知の外部性の侵入と、組織としての再構成の連続が必須となる。インサイダーによるコントロール(自治)から、アウトサイダーによるコントロール(外乱)の顕在化という過程をたどる。そこを見事にグラスプして見せたのが、指原さんなんだと考えられます。

議論が雑なのをご容赦いただきたいのですが、かくして、外部性という決定的要素をあたかも把持してるかのように、比喩としてはサーフィンしてみせる指原さんが、AKBGという巨大組織の、擬似的ではあっても「権力」として機能するようになってしまった。

それが前回の選抜総選挙までの大枠の流れとして、捉えられることができるかと考えます。総選挙は、そんな「構造」の表面的な現れ、誤解を恐れつつ書いてしまいますが、ある種のマウンティングの場として機能することになってしまった。実態とはまったく異なる、けれども指原さんは、疑似「権力」を獲得するに至ってしまったと考えます。

もちろんここで言う「権力」とは、ポリティカルパワーなんかではありません。むしろ「権威」という比喩の方が、より実態に近いのかも知れない。けれども、それが行使されなくても、実効性を持つことは自明なんであり、やはりそれは「権力」として機能したと考えても、あながち間違いとは言えないと思います。

その指原さんの総選挙における不在が、「権力」の不在を惹起せざるを得なかった。いや、ここでは現実世界の抑止力の比喩がより有効でしょう。抑止力という「力」の空白は、権力闘争を、紛争を、軍事衝突を、必然的に引き起こしてしまう。その上で、次なる支配者を、権力者を悪魔のように希求してしまう。当人達にその意思がなくても、そうなってしまう。ならざるを得ない。

「AKBの人気が下降線を辿る」という要素もあったかも知れませんが、それは「問題点、矛盾、限界」の露出のハードルを下げる働きをしたかも知れませんが、今回の「事態」に際しては、必ずしも決定的とはならなかったようにも思います。