さて、67歳になった現在、ビル管理業界に席をおいており、前回までビル管理業界について新参者として見たこと、感じたことをブログに書いてきました。ビル管理業界に入ったのはわずか8年前です。それまでは、ハードディスク業界、半導体業界でエンジニア、マーケティング、営業および経営を担ってきました。たまたまそうなったのではなく、自分なりにスキルアップを図り、自分で進路を選択して今に至ったのです。そのベースになったのは、1978年に立てた「ライフプラン」です。
サラリーマン2年目の1978年、最初のライフプランを作成しました。『経営学教科書~学生から企業人への人間革命』(坂本藤良著、1965年)に触発されて作成しました。グラフ用紙の縦に西暦と自分の年齢を記入。その横に仕事、自己啓発および私生活の三分野に分けて目標やイベントを記入しました。
仕事ではなりたい役職、自己啓発には英語検定や取りたい資格、私生活では(まだ、結婚はしていませんでしたが)結婚やマンション購入、子供の養育などを記入しました。25歳から50歳までの25年間の計画でした。
同じ項目を使って年次計画を立案。覚えるべき業務や習得すべき技術領域、海外赴任に必要な自動車免許の取得、英会話学校への通学、電気主任技術者の資格取得のための電気工学の学習、マンション購入の頭金を貯めるための計画を列挙。
「ライフプラン」という言葉を使ったのは、恐らく上記の『経営学教科書』に使われていたからだと思います。「ライフプラン」は、直訳すれば「人生の計画」。一般的には人生の中で想定されるイベントを考え、お金が必要になるタイミングやその金額を把握して貯蓄(資金)計画を立てることをいいます。
私の場合は、お金にまつわる計画よりも、自分の価値観に基づいた働き方の実現を目指した計画なので「ライフデザイン」の方が適切かと思います。
この「ライフデザイン」を1978年に作成し、それを毎年、年末に見直し改定し、翌年の年次計画を立案するという「習慣」を42年間続けてきました。最初の「ライフデザイン」は、願望の羅列でしたが、習慣として続け、改良・改善を図ることにより、計画の精度もあがり、努力の甲斐のある、有意義な人生を送ることができていると思います。
人生100年時代、「ライフデザイン」の作成は50歳を過ぎてからでも遅すぎることはありません。次回は、私の最新の「ライフデザイン」を紹介します。「プランなどなしに気楽に生きるべきだ」「年金生活で十分」などと言った意見が聞こえそうですが、それほど気楽に残りの人生を送れるとは思っていません。その辺りも話しながら進めていきます。
サラリーマン2年目の1978年、最初のライフプランを作成しました。『経営学教科書~学生から企業人への人間革命』(坂本藤良著、1965年)に触発されて作成しました。グラフ用紙の縦に西暦と自分の年齢を記入。その横に仕事、自己啓発および私生活の三分野に分けて目標やイベントを記入しました。
仕事ではなりたい役職、自己啓発には英語検定や取りたい資格、私生活では(まだ、結婚はしていませんでしたが)結婚やマンション購入、子供の養育などを記入しました。25歳から50歳までの25年間の計画でした。
同じ項目を使って年次計画を立案。覚えるべき業務や習得すべき技術領域、海外赴任に必要な自動車免許の取得、英会話学校への通学、電気主任技術者の資格取得のための電気工学の学習、マンション購入の頭金を貯めるための計画を列挙。
「ライフプラン」という言葉を使ったのは、恐らく上記の『経営学教科書』に使われていたからだと思います。「ライフプラン」は、直訳すれば「人生の計画」。一般的には人生の中で想定されるイベントを考え、お金が必要になるタイミングやその金額を把握して貯蓄(資金)計画を立てることをいいます。
私の場合は、お金にまつわる計画よりも、自分の価値観に基づいた働き方の実現を目指した計画なので「ライフデザイン」の方が適切かと思います。
この「ライフデザイン」を1978年に作成し、それを毎年、年末に見直し改定し、翌年の年次計画を立案するという「習慣」を42年間続けてきました。最初の「ライフデザイン」は、願望の羅列でしたが、習慣として続け、改良・改善を図ることにより、計画の精度もあがり、努力の甲斐のある、有意義な人生を送ることができていると思います。
人生100年時代、「ライフデザイン」の作成は50歳を過ぎてからでも遅すぎることはありません。次回は、私の最新の「ライフデザイン」を紹介します。「プランなどなしに気楽に生きるべきだ」「年金生活で十分」などと言った意見が聞こえそうですが、それほど気楽に残りの人生を送れるとは思っていません。その辺りも話しながら進めていきます。