休みだったので、いつも通りジムに行った。トレーニングが終わってラウンジでコーヒーを飲んでいると、業務用の携帯にメールが届いていた。
mixiでも仕事でも何でもいい。メッセージやメール、着信があった数だけ、自分の存在意義を確かめられる。ああ、オレは必要とされているんだと、ようやく確信できる。
「好きだよ。」
これからは自分から、言っていこう。誰かが存在意義を確かめられるように。
休みだったので、いつも通りジムに行った。トレーニングが終わってラウンジでコーヒーを飲んでいると、業務用の携帯にメールが届いていた。
mixiでも仕事でも何でもいい。メッセージやメール、着信があった数だけ、自分の存在意義を確かめられる。ああ、オレは必要とされているんだと、ようやく確信できる。
「好きだよ。」
これからは自分から、言っていこう。誰かが存在意義を確かめられるように。
体を鍛えれば鍛えるほど、恋愛は遠ざかっていった。
ノンケだったら、どんなにラクな人生だっただろう。男でも女でもよかった。ストレートの人間に生まれていれば、今ほどの苦労は恋愛においてはなかったように思える。それほどに、自分にとってゲイの恋愛は困難だった。
男が好き、という時点で破綻しているのは分かっている。男は女が好きなのが普通なのだ。女が好きな男を好きになってもしょうがない。男が好きな男を好きになるしかないのだから。では、その男が好きな男というのは、全人口のどれくらいいるのか。おそらく男性人口の10%もいないと思われるが、その中でさらにタイプの相手を探すとなると、どのような数値になるのだろうか。自分はそういうマーケットでの恋愛を強いられている。
ジムで本格的に鍛えるようになって、「いい男風」の男性を見破れるようになった。マッチョなんて言っても、ただの固太り、というのなんてザラ。雰囲気はよかったけど、ロッカールームで会ったらがっかり、なんてのもある。自分は自分のダメなところばかりを見つめて生きてきた。だから、その「ダメリスト」を1つずつ消していく作業に無性の喜びを感じる。そのリストの1つが「体」だった。
体を鍛えると、視界に入る男の数が減っていく。かつていいと思った男達が色褪せていくのが手に取るように分かる。嫌な人間になってしまったなと思うと同時に、世間もそうなのかと思ったりもする。体で男を選ぶつもりはない。最後の決め手は、やはり会話。いい人だなって思った瞬間に、この男と付き合っている自分を想像している。そういう興味を持つためには、やはり外見の魅力が最初だけ必要なのだ。開けたいと思わせてくれる包装紙で外側を包んでいて欲しい。ずっと、である必要はないと思っている。中身が一番大切なのだから。
恋愛において、”好き”と”嫌い”は共存する。根本的に好きなのに、このまま付き合っていきたくはない、という決断ができる。好きなのか、嫌いなのか、と自問してしまうのは当然だが、結論を出そうとしない方がいい。どちらも真実なのだから。「好きだけど、嫌い。」ではなく、「嫌いを含めて好き。」なはず。その「含めた嫌い」の部分、部分が我慢できないレベルに達したと考えるべきだろう。好きならすべてがOKになるワケではない。好きだから知る「嫌い」もあったはずだから。そう考えると、好きな相手のすべてが愛おしい。だからこそ、膨れ上がった「嫌い」が耐え難い。
同僚の女性社員がラガーマンと付き合っていた。そして、2人は合わないと判断し別れた。彼のことは好きだった。好きじゃなければ付き合わない。そして、ずっと一緒にいたからこその彼の「嫌な部分」を知り、我慢できなくなったのだ。彼女は言う。今でも好きだと。あの時別れを切り出さなかったら、まだ一緒にいられたかな、とも。
「好きなまま別れたの。バカかもね、私。」
好きな男と付き合って、ゴールではない。それがスタートだとしたら、その先、どんな困難が待っているのだろう。結婚・出産というカタチが残せないゲイの恋愛は、儚く脆い気がするのは、自分が恋愛に自信がないからだろうか。
いい男かどうかは、他人が決めること。自分ではない。ならば、いい男を目指すというのはどういう事なのだろうか。20代の頃に描いた理想の自分になれたとしても、30代になったら違う夢をみる。いつ、どの瞬間で、自分はいい男になれるのか。他人の理想になれた時?だとしたら、いい男というのは自ら望むものではないのだなあと思う。
大江戸線の駅の改札を出ると、人待ち顔の男性が壁にもたれかかっていた。ラフな服装だが、顔に見覚えがある。手を上げると、「ああ、」といった風に壁から離れた。
「はじめまして。」
マッチョが多いので有名なジムの会員である彼は、まだ若いのにガッチリしていた。あまり会話がないまま並んで歩いているのもナンだし、ずばり質問した。
「緊張してませんw?」
「してますよーw。めちゃめちゃしてます!」
「なんでw?オレなんか、普通でいいじゃん。」
「こういうの苦手なんですもん。」
田舎からやって来て、今は都心で一人暮らししているそう。ラフなカッコした彼からは、いい香りがしている。
「いい香りがするね。」
「シャワー浴びてきたんです。」
かなり鍛えている彼は、どMだった。ケツを掘られて、体を好きに使われたい。そんな男性だった。上半身を見せて、と、何の脈絡もなく言うと、恥ずかしがりながらも脱いでくれた。うっすら脂肪が乗って、腹筋がゆるい感じだった。
「お前、デブってんじゃんw」
「デブってねえしw そんなこと初めて言われたよ。」
下も脱がせると、ローライズのボクサーだった。それも脱がせて全裸にすると、剥けたチ〇コにふさふさした毛、ぱんぱんに膨らんだぶっとい脚がエロかった。キスをしながら乳首をつまみ、ベッドに押し倒すと、自ら両手で脚を広げてケツ穴を突き出してきた。アンダーアーマーを着て鍛えているこのゴツイ男が、こんな姿で今からヤラれる。最高だな、と、ふと思った。
「一生懸命鍛えて、タチに掘ってもらいたい。」
そんなことを彼は言っていた。
「ジムでは真剣にやっているから、Hは全然知らない人がいい。」
そうか。
「彼氏がいないから、今はね。やりまくってるってワケでもないけどw。」
それでいいと思う。仕事が忙しくてもジムには行く。そして、タチと出会う。恋愛とかはそんなに考えてないと言っていたが、いつか訪れると思う。こういうウケがタチは好きだと思うから。
「また、今度やるか?」
「はい。」
こうしてオレ達は何回か会って、SEXをしている。
恋愛は、いつも近くて遠かった。
街中でカップルを見ると、目を逸らしていた。ああいう幸せは、自分には訪れない。
ゲイというのは、とても孤独だ。だから、誰かに寄りかかりたくなるのだと思う。
恋愛がしたいワケではない。誰かとずっと一緒にいたいだけ。最後の一秒まで、ずっと一緒にいて。こんなにキレイな服を着て外を歩いていても、部屋で一人、服を脱ぐ時がどうしようもなくさみしい。誰かの為でもない休日が、耐えられないことがあるのはなぜか。
誰かとずっと一緒にいたい。それが恋なのかもしれないと思った。
モテる事が、最重要項目だった。モテたい。いい男と付き合いたい。でも、叶わなかった。では、どうしたらいいの?と、絶望の淵にいた自分を思い出す。どうにかしたかった。1mmでいい。前にさえ進めれば、今とは違う景色が見える。ただ前へ。それが、合言葉だった。
誰かを好きになる為には、自分を好きにならなければならない事を知った。自分が好き。あなたの事も好き。それで、幸せになれるのだということを。いい男と出会う為には、自分がいい男になる必要がある事を知った。同じステージにいない男は視界にすら入っていないのだということを。好きになるのは自由だが、好きになる資格がない場合が多かった。それはそれで、絶望した。
仕事が忙しいので、休日の大半はトレーニングに充てている。自分は、仕事とトレーニングでできている。そんな自分が、とても好きになった。自分が好き。思えば長い道のりだったが、ようやく1mm進めた気がする。ただ前へ。今もそう思っている。
「好きな人は、いますか?」
好きな人を追う。越えたいと願う。憧れたら、負けだと思っている。
「カッコいいですね。」
死んでもそんなこと、口にはしない。降伏したみたいだから。
「好きです。」
言うとしたら、それだけでいい。
「好きな人は、いますか?」
聞くとしても、それだけでいいと思う。
スーツに袖を通す。冷蔵庫からアイス・コーヒーを取り出して、バッグのポケットに挿し、駅へと向かった。
安室の曲を聴きながら、コーヒーを飲んでいると、窓の外には桜が舞っていた。いつもの通勤電車が、特別な感じがした。
週に4日通っていたジムを週2に減らした。仕事に専念したいから。誰かと会うよりも、自分は仕事を優先する。休日も、大したことはしていないかもしれない。だから、好きな人ができたら、理解がある人がいい。大切にするから、分かって。
日曜日の今日、自分は出勤した。電車の窓からは晴れた空がよく見える。いつか、誰かとこうして出かけられたら、と思った。
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「いい人、いた?」
「ううん、別に(笑)」
「出会いとか、ない?」
「なくはないけど、何かね・・・。」
「何(笑)?」
「何もないよ(笑)。」
出会いは、ある。でも、心に残る出会いはあっただろうか。
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(mixi日記2008年02月12日より抜粋)
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(mixi日記2008年01月14日より抜粋)
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(mixi日記2007年12月24日より抜粋)
ゲイとしてスタートラインにも立っていなかった、かつての自分。掲示板やエロDVDを見ていると、20代前半という若さで顔も体も完璧な男が多くて、どうしても当時の自分と比べてしまい哀しい。何でもできるよ、それだけ揃っていれば。
就職しても、しなくても。できれば就職して普通の人生を歩んで欲しいけど、お父さんくらいの男性に愛されて何でも買ってもらえる人生だっていい。就職しても週末だけGO-GOをやったり、アフター5にウリ専で働いてもいい。いつか好きな人ができて自然と平凡な生活を望むようになるまで。
そんな人生の選択肢もなく、普通、といっても悪い意味だが、そんな人生を送ってきた自分が情けなく思う。スポーツばかりの人生でもよかった。
そんな、男として貧しいスタートを切ったからこそ、全てに対して貪欲なのかもしれない。顔も体も男としての魅力も、全てが欲しい。では、どうしたら手に入るの?そんな事を自問自答している人生だった。そして、自分を決して受け入れられない人生でもあった。かつては誰かいい人と付き合う為にいい男を目指していたはずだが、もはやそういう事は人生のGOALではなくなってしまった。自分の理想の相手など探してはいない。自分が自分の理想になりたいだけ。あ、いい男がいる、そう街中で思った5秒後には自分に目が向いている。「もっとオレも脚を鍛えなきゃ。」こんな人生だけは誰にも送ってほしくないと思う。
ファッションも結構どうでもよくなってしまった。他人によく映る格好をしようという姿勢がなくなってしまったから。そういう意味では自然体になれた。ジャージやスウェットでいつもいるから。誰かを好きになることが急激に減ったのもそう。凄いタイプの男がいたら一瞬夢中になるが、自分のお手本になってしまうので恋愛には至らない。コピーしたい対象として、心に焼きつけられるだけ。いつから自分はこんな人間になってしまったのだろう。
仕事が忙しくなって、少しほっとした。会社とジムしか行ってないんだけど、それがなぜか心地いい。出会いなし、恋愛なし、ゲイ友とのお茶もなし。これでいいと思う。鍛えて鍛えて、自分を変えていく作業に没頭できる。そして、いつか誰かに好きだと言われる。そんな人生を心の奥底では望んでいるのかもしれない。