心の中に光がスっと差し込んで、オレンジの香りがふわっと広がる感じを「希望」と呼んでいる。小さい頃からいつもこの感覚が先にきて幸せが訪れた。頭がおかしくなったのではない。1年にそうあるものではないが、「希望」がやってくると近い将来必ず幸せが待っていた。いい出会いであったり、いい仕事であったり、何かは分からないが自分にとって素晴らしい出来事が待っていた。幸せの予感と言ってもいいかもしれない。
フリーランスで仕事をして長いが、いつだったか昼間の時間に別の仕事をしようと思い面接を受けた事があった。その時の事を思い出す。
「あなたの人生は今まで運が良かったですか?」
そのような質問を途中で受けた時の事だ。もちろん運が良かったと答えたのだが、その根拠は?と聞かれて笑いそうになった。
根拠だって?自分が運が良かったと感じる事に根拠など必要なのだろうか?幸せと同義であればいくらでも答えられると思い、上手に同義のように持っていき、そこから自分がいかに幸せだったかを説明した。エピソードなどは必要はない。今ここでこうして元気に面接を受けられている事が運の良さの絶頂期だろう。この会社を受ける事自体に人生で大した意味などない。天文学的な数値の繰り返しの中で生き延びて来られたのだ。億万長者になることでも好きな人と一緒になる事でもない。生きている事自体が幸運なのだ。
自分は恵まれていると思う。幸せだと毎日感じて生きている。もしかしたら30代になってから頭がおかしくなったのかもしれないが、20代の頃の悩み多き毎日が嘘のように、30を過ぎて全てがシンプルになっていったのだ。自分を幸せだと心から思えない人間が本当に幸せになれるだろうかと思う。
フリーランスで仕事をして長いが、いつだったか昼間の時間に別の仕事をしようと思い面接を受けた事があった。その時の事を思い出す。
「あなたの人生は今まで運が良かったですか?」
そのような質問を途中で受けた時の事だ。もちろん運が良かったと答えたのだが、その根拠は?と聞かれて笑いそうになった。
根拠だって?自分が運が良かったと感じる事に根拠など必要なのだろうか?幸せと同義であればいくらでも答えられると思い、上手に同義のように持っていき、そこから自分がいかに幸せだったかを説明した。エピソードなどは必要はない。今ここでこうして元気に面接を受けられている事が運の良さの絶頂期だろう。この会社を受ける事自体に人生で大した意味などない。天文学的な数値の繰り返しの中で生き延びて来られたのだ。億万長者になることでも好きな人と一緒になる事でもない。生きている事自体が幸運なのだ。
自分は恵まれていると思う。幸せだと毎日感じて生きている。もしかしたら30代になってから頭がおかしくなったのかもしれないが、20代の頃の悩み多き毎日が嘘のように、30を過ぎて全てがシンプルになっていったのだ。自分を幸せだと心から思えない人間が本当に幸せになれるだろうかと思う。
もうかなり前から更新は止まっていたし、最近では非公開になってしまっているのも知っていました。それでも、まだ存在していることの確認のためにだけ、たまに訪れていて、昨日も、いつもと同じように、検索をかけて探しました。
『いい女よりもいい男の数は少ない』。
一度聞けば、忘れることのほうが難しいような、印象的なブログの名前。かつてどこかで、「フランス映画の題名のよう」と評されていたっけ。
アクセスできなくなった事を惜しむ記事がヒットした。
もう一つは、かなり前の、「ウマイ。そしてちょっとだけ切ない。」というおススメ記事。
そして、本ブログへのリンク…
サービス自体が終わっていた。
その他いろいろあって、昔の記事が張り付けてあるブログに辿り着いた。この貼り付けブログ自体は前から知っていて、これが最近作られたものではなく、当時の本人による備忘録的なものなのであろう事は、読者によるコメントの日付からも、推測された。
久しぶりに読む、軽妙な筆運びにクスクス笑いながら、身につまされる鋭い言葉の一つ一つが、心に突き刺さり、痛かった。そして、そこがじわっと滲む。そして温かくなる…
夜中に半ば朦朧としつつ、ブラウザバックで検索結果から直接他の記事を読み進めるうち、内容にtwitterだとかfacebookだとかいう言葉が出てき始めた。
…どうもおかしい。あの頃はmixiとかだったはずでは?
自分の中の時間観念が狂い始め、違和感で目が覚め始める。
日付は…?
15/05/21 00:34(スマホではこう表示される)
ん?え?
ここから、どう書いたものやら、言葉が思い浮かびませんが、又、ブログを再開してくれて、本当にうれしいです。
次、貴方がこのブログをやめる時があるなら、それを、心の底から喜べるような人になっていたいと、そう思います。ありがとう。