いい女よりもいい男の数は少ない

男の恋愛ブログです。
過去の記事は随時掲載していきます。
以前読んで下さっていた方、ありがとうございます。

大きな目標

2008-08-17 02:26:28 | インポート

男性が、あたりを見回しながら店に入ってきた。すっと手を上げたオレに気付くと、まっすぐテーブルにやってきた。

「はじめまして。」

「はじめまして。何か飲みますか?」

「いえ・・・。」

「買ってきますよ(笑)」

「え~と、じゃあ、アイスコーヒーをお願いします。」

彼とは正式な用があって待ち合わせた。色々話していくうちに、笑ってくれたり、冗談を言ってくれたり、徐々に打ち解けていく2人の空間が、嬉しかった。

簡単な打ち合わせが終わり、店を出ると軽く雨が降っていた。

「もし他に用があったら、ここでいいですよ。」

「いや、何もないので帰ります。」

「じゃあ、一緒に駅まで行きましょうか?」

「はい(笑)。」

何かの本に、初対面の人のいい所を見つけなさい、と書いてあった。自分の第一印象を良く見せる作業にばかり没頭せず、相手のいい所を絶対に見つけるというノルマを自分に課すといいそう。彼のいい所は、どこだっただろうか。礼儀正しかった。ふざけて冗談を言って笑わせてくれた。席を立つ時、気遣ってくれた。考えながら、ちゃんと話してくれた。口調が優しかった。笑顔がまぶしかった。そしてなによりもカッコよかった。

ここ数年で出会った男の中で、彼は最高の男だと思う。顔・体ともに完璧なのに、まだ若くて仕事の事しか考えてなくて、休みの日にジムに通っていて、それでいて男らしくて優しかった。好きになることはできないが、こういう男性と知り合えたことを誇りに思う。ひとつの大きな目標に出会えてよかったと思っている。


存在意義

2008-08-15 01:08:05 | 男の生き様

休みだったので、いつも通りジムに行った。トレーニングが終わってラウンジでコーヒーを飲んでいると、業務用の携帯にメールが届いていた。

mixiでも仕事でも何でもいい。メッセージやメール、着信があった数だけ、自分の存在意義を確かめられる。ああ、オレは必要とされているんだと、ようやく確信できる。

「好きだよ。」

これからは自分から、言っていこう。誰かが存在意義を確かめられるように。

記事一覧


プレゼント

2008-08-13 00:05:26 | 男の生き様

体を鍛えれば鍛えるほど、恋愛は遠ざかっていった。

ノンケだったら、どんなにラクな人生だっただろう。男でも女でもよかった。ストレートの人間に生まれていれば、今ほどの苦労は恋愛においてはなかったように思える。それほどに、自分にとってゲイの恋愛は困難だった。

男が好き、という時点で破綻しているのは分かっている。男は女が好きなのが普通なのだ。女が好きな男を好きになってもしょうがない。男が好きな男を好きになるしかないのだから。では、その男が好きな男というのは、全人口のどれくらいいるのか。おそらく男性人口の10%もいないと思われるが、その中でさらにタイプの相手を探すとなると、どのような数値になるのだろうか。自分はそういうマーケットでの恋愛を強いられている。

ジムで本格的に鍛えるようになって、「いい男風」の男性を見破れるようになった。マッチョなんて言っても、ただの固太り、というのなんてザラ。雰囲気はよかったけど、ロッカールームで会ったらがっかり、なんてのもある。自分は自分のダメなところばかりを見つめて生きてきた。だから、その「ダメリスト」を1つずつ消していく作業に無性の喜びを感じる。そのリストの1つが「体」だった。

体を鍛えると、視界に入る男の数が減っていく。かつていいと思った男達が色褪せていくのが手に取るように分かる。嫌な人間になってしまったなと思うと同時に、世間もそうなのかと思ったりもする。体で男を選ぶつもりはない。最後の決め手は、やはり会話。いい人だなって思った瞬間に、この男と付き合っている自分を想像している。そういう興味を持つためには、やはり外見の魅力が最初だけ必要なのだ。開けたいと思わせてくれる包装紙で外側を包んでいて欲しい。ずっと、である必要はないと思っている。中身が一番大切なのだから。


選ばなかった道

2008-08-11 23:45:07 | 男の生き様

00004010

恋愛において、”好き”と”嫌い”は共存する。根本的に好きなのに、このまま付き合っていきたくはない、という決断ができる。好きなのか、嫌いなのか、と自問してしまうのは当然だが、結論を出そうとしない方がいい。どちらも真実なのだから。「好きだけど、嫌い。」ではなく、「嫌いを含めて好き。」なはず。その「含めた嫌い」の部分、部分が我慢できないレベルに達したと考えるべきだろう。好きならすべてがOKになるワケではない。好きだから知る「嫌い」もあったはずだから。そう考えると、好きな相手のすべてが愛おしい。だからこそ、膨れ上がった「嫌い」が耐え難い。

同僚の女性社員がラガーマンと付き合っていた。そして、2人は合わないと判断し別れた。彼のことは好きだった。好きじゃなければ付き合わない。そして、ずっと一緒にいたからこその彼の「嫌な部分」を知り、我慢できなくなったのだ。彼女は言う。今でも好きだと。あの時別れを切り出さなかったら、まだ一緒にいられたかな、とも。

「好きなまま別れたの。バカかもね、私。」

好きな男と付き合って、ゴールではない。それがスタートだとしたら、その先、どんな困難が待っているのだろう。結婚・出産というカタチが残せないゲイの恋愛は、儚く脆い気がするのは、自分が恋愛に自信がないからだろうか。

記事一覧


モノクローム

2008-08-07 00:29:36 | 男の生き様

Normal_si1_2

いい男かどうかは、他人が決めること。自分ではない。ならば、いい男を目指すというのはどういう事なのだろうか。20代の頃に描いた理想の自分になれたとしても、30代になったら違う夢をみる。いつ、どの瞬間で、自分はいい男になれるのか。他人の理想になれた時?だとしたら、いい男というのは自ら望むものではないのだなあと思う。

記事一覧