重粒子線治療患者の生きた証し by imas

前立腺ガン患者の平凡な日々を綴ります

春の信州散策

2012-05-02 22:12:12 | 
ゴールデンウイークの谷間の5月1日に、同時期に重粒子線治療をした、信州・上田の住人さんを訪ねました。

北関東道の太田・桐生ICから、関越道経由上信越道上田菅平ICまで約140キロ、所用時間は2時間です。

群馬県側は曇り、長野側は薄日が差していて、絶好の行楽日和でした。



横川SAにてトイレ休憩



風を感じてのバイクでのツーリング、気分最高でしょうね。



東部湯の丸PAより上田市街を望む



晴れているとこちらの方向に富士山が見られます。



美ヶ原、穂高もみられるはずでした。いつか見たいものです。(秋にもう一度訪ねたい場所です)

ほどなく、上田菅平SAでおりてインターのそばのYさん宅へ

一時間ほど談笑して、Yさんと奥様と3人で善光寺に行くことになりました。

走ること一時間で善光寺に到着、





5月1日はメーデー、多くの労働者が参加していました。





Yさんと記念写真を1枚撮りました。



病気平癒で頭と下腹部にけむりをすりすりしました。



平日の為に、混雑はありませんでした。お宮参りの一コマ

山門に全国善光寺会の一覧があり、群馬を探すと、菩提寺の青蓮寺の名があり、縁を感じました。



昼食は門前のそば屋さんへ



天そばを食しました。

食後は古い家並みが残る、松代へ移動



松代象山地下壕を見物しました。



1944年11月11日、象山にて最初の発破が行われ、工事が開始された。ダイナマイトで発破して、崩した石屑をトロッコなどを使った人海戦術で運び出すという方法で行われた。総計で朝鮮人約7,000人と日本人約3,000人が当初8時間三交代、のち12時間二交替で工事に当たった。最盛期の1945年4月頃は日本人・朝鮮人1万人が作業に従事した。延べ人数では西松組鹿島組県土木部工事関係12万人、勤労奉仕隊7万9600人、西松組鹿島組関係15万7000人、朝鮮人労務者25万4000人、合計延べ61万0600人、総工費は6000万円[2]。当時の金額で2億円の工事費が投入されたとも伝わっている[要出典]。しかし、1945年8月15日の敗戦により、進捗度75%の段階で、工事は中止された。





ぶらぶら散策

山寺常山亭





手入れされた庭、桜が咲いていた時にはきれいでしょうね。

象山神社





幕末の先覚者佐久間象山を祀った神社、自身の記憶では読みかたは中学からしょうざんでしたが、今はぞうざんです。



トイレとは思えない造りですね。

松代の散策を終わりにして、地蔵峠を超えて、Yさんの生まれた場所に立ち寄りました。



ジャガイモを3月に植えたそうですが、今やっと土が盛り上がってきていましたので、いよいよ芽吹きですね。

やはり信州は少し春が遅いようです。


上田・真田の桜便り













今が見頃でした。桜も見ると何故か気持ちが華やぎます。


去年の6月に一緒に闘病して約一年、今同じ時間を共有できることに縁を感じます。

お互い、今できる事は、明日に向かって前を見て生きていきましょう。

次回会えるのは秋でしょうか。ゆっくり温泉で酒でも酌み交わしましょう。(少々ですが)

一日お付き合い有難うございました。奥様に宜しくお伝え下さい。