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尾上菊之助がお岩、与茂七、小平の三役を、しかもすべて初役で演じるのが大きな話題であり、期待通りまさに大活躍であった。菊之助にはもともとの血筋のよさに加えて、日ごろから地道な稽古を積み重ね、先輩方の教えを謙虚に受けとめてひたすらに精進してきた成果が、舞台をみるたびに花開いている。自分が書くとこのように凡庸な表現のなってしまうのが歯がゆいが、菊之助にはあたりまえのことをあたりまえにやる、それもきちんとま
じめにやることの清々しさがあって、これまた凡庸な言い方だが、「立派だなあ」と頭が下がるのである。
『東海道四谷怪談』をみるのはこれで2度めだろうか。最初は10年以上も前、八月納涼歌舞伎ではなかったかと記憶する。お岩は中村勘三郎(当時勘九郎)であった。さらにその前後、劇団青年座による舞台もあった。民谷伊右衛門を山路和弘、お岩が増子倭文江である。
はっきり覚えているのは、歌舞伎よりも現代劇の四谷怪談のほうが重苦しい気持ちのまま劇場をあとにしたということだ。言いかえると、歌舞伎の四谷怪談は、
たしかにお岩の顔が変貌し、髪を梳く様子など非常におどろおどろしいのだが、妙な生々しさがなく、この気持ちをずばり言い表すのはむずかしいが、「安心し
て」みていられるのである。男の役者が女形をしていることはじめ、歌舞伎という特殊な演劇形式によって、物語の毒のありようが、現代劇のそれとは異なると
いうことであろうか。
さらに最後の最後は舞台も客席も明るくなり、役者が「まず本日はこれぎり」と観客に挨拶して幕がおりる。それまでの重苦し
さが嘘のように消え去り、場内を涼風が吹き抜けるごとく、まことに清々しい気持ちで劇場をあとにしたのである。
ああ、これが歌舞伎の味わいなんだな。そう
思った瞬間である。
今回は菊之助だけでなく、伊右衛門を演じた市川染五郎の熱演(これも単純な表現だ・・・)もあって、いっそう気持ちよく拍手をおくることができた。終演後おもては雨になっていたが、降っても晴れても芝居からこれほどの幸福を与えられたのだから、すべてが恵みである。
観劇前、「若手が初役というと、“清新な舞台に期待”となるが、フレッシュでさわやかな四谷怪談とはゆくまい」と懸念したが、まったくの杞憂であり、物語が陰惨であればあるほど、それに懸命に取り組む役者のすがたは清新で、新鮮な発見があることに気づかされた。
自分は十七代目中村勘三郎や六代目中村歌右衛門のお岩をみることができなかった。
円熟の役者が演じる女の怨念はいかばかりであったろうか。これから何度四谷怪談をみられるかはわからないが、今回の菊之助による再演、現・中村勘九郎のお岩は見のがしてしまい、七之助はまだだったろうか、加えて中村福助はじめ、彼らの先輩方のお岩もじっくりみたい。願わくば坂東玉三郎を!悲惨を極めた話であるのに、『東海道四谷怪談』は、自分にとってまさに希望の芝居なのである。
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