*公式サイトはこちら これまでの「劇読み!」公演記事→(1,2,3,4,5) スペース雑遊 28日まで
公演パンフレットにはAプロからSプロまですべての作品の内容や13人の作者からのメッセージなどが掲載され、写真のたぐいはいっさいないモノクロの地味なものだが、作り手の誠実な姿勢や意欲が力強く伝わってくる。
代表の篠原久美子の挨拶文には、劇作家だけで構成する劇団を立ち上げてから7年間、、これまでの「劇読み!」公演を経て何作かが他劇団で上演されたり、新作の依頼が舞い込んだり、大きなプロジェクトへ参加するようになったりなど、地道な活動が着実に実を結んでいることが記されている。劇作家ばかりの集団の特異性が活かされ、演出家や俳優やスタッフを巻き込んで「劇読み!」ならではのおもしろさが生まれ、それが次第に観客にも浸透していることの証左ではないだろうか。
毎年「何とか1本でも多く観劇したい」と思いながら、今回は3回足を運ぶ。最初のステージは大森匂子(おおもりわこ)作、関根信一(劇団フライングステージ)演出のDプロ『みすゞかる』である。
作者大森匂子のプロフィールがすごい。会社員を経て劇団青年座の文芸演出部に入団、演出と劇作を学ぶ。家庭をもって退団したが子育てを終えて座・高円寺劇場創造アカデミー第1期生となる。その後2010年劇団劇作家に入団と同時に自らの劇団「匂組」を旗揚げした。『まほろばのまつり』が、第3回宇野重吉演劇賞の最優秀賞を受賞したのは記憶に新しい。
信州・松代で大正から昭和にかけて養蚕業を営む一族に生を受けたひとりの娘が、もっとたくさん勉強がしたい、瑞々しい歌を詠みたい、あの人をずっと愛したいと願い、傷つきながらも決して諦めずに志を貫く物語である。上演時間は2時間近くあり、本式の上演をみるのと同じくらい、たっぷりの充実した手ごたえがあった。
登場人物や物語の詳細を記そうとすると、玉のように光る台詞や切なく胸が痛む場面がつぎつぎに浮かんでくる。
いつのまにかこれがリーディング公演であることを忘れ、物語のなかに没入していた。俳優はいずれも適材適所の好配役だ。できればこのまま稽古をしていただき、本格的な上演をみたいと思う。
本作の特色は、人物の性格や背景、それを踏まえた造形、物語の運びがたいへんわかりやすいことだ。美しくはかなげな姉むすめがいて、対照的な妹むすめは活発で好奇心旺盛だ。同級生の兄に恋をしていて、いつか打ち明けるつもりでいる。しかしうちを訪ねてきた彼は姉に一目ぼれしてしまい、妹は早々に失恋する。しかし実は姉には身分違いの恋に悩む使用人の男がいて・・・などなど書きつらねてゆくと、大時代的なメロドラマの様相なのである。
わかりやすい人物の設定に前述のように好配役、的確な演出も活きて、みるものを飽きさせない。しかしこれがリーディングでなく本式の上演となったら、あたかも先日みた劇団新派のごとく類型的な舞台になってしまうのではないかとの疑問がわく。
「わかりやすい」をべつの言い方にすると、どこかで何かの映画やドラマ、舞台でみたことがある、目新しいところや斬新なところがないということでもある。
だが劇中で自分はしばしば涙が出そうになったり、しみじみと考えさせられ、幕が下りることが惜しいような気持ちにすらなり、終演後はいい作品に出会えた手ごたえに幸せな気持ちで劇場をあとにしたのである。なぜだろうか。
突拍子もない人物や理解不能の展開がまったくないという安心感はたしかにある。
それだけではなくて、この『みすゞかる』の魅力は、作者がどれだけの愛情を注ぎこんでいるか、そのように書かれた戯曲が俳優によって命を得て観客の目の前に存在するという、まさに演劇という芸術の王道をまっすぐに突き進んでいるところではないか。作品から感じられる劇作家の姿勢は、「精魂込めて」ということばがぴったりくる。
世の中がどう変わろうと昨今の演劇事情が何だろうと、自分はこの作品を書く。ぶれない志はまちがいなく、みる者の心を打つのだ。
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