*松井周作・演出(1注:松井周演出担当,2)公式サイトはこちら こまばアゴラ劇場 5月6日まで
第55回岸田國士戯曲賞受賞作品が、名古屋の七ツ寺共同スタジオを皮切りに三重県文化会館小ホール、京都のアトリエ劇研、北九州芸術劇場小劇場、現在のこまばアゴラ劇場、最後は札幌のコンカリーニョまで6都市を巡演する。昨年のままごと『わが星』のときにも感じたが、劇団の柔軟で強靭なフットワークに岸田賞受賞が箔をつけた形で、小劇場界という括りが適切かどうかはさておいて、同年代の演劇人においてはなかなか実現しない大プロジェクトに発展した。注:青年団、青年団リンク、青年団から独立したカンパニーというカテゴライズがあり、サンプルは独立カンパニーであるとのこと→青年団ウェブサイトより
とはいったものの、みるがわとしてはどうしても平田オリザに影響を受けてその演劇観に共鳴し、その指導を受けた演劇人、「平田チルドレン」というあまりよくないニュアンスで捉えてしまうところがある。それは同時に平田オリザやその周辺の演劇人による活動が、いまや日本の演劇界において一大勢力を持っていることに対して、ことばにしがたい違和感をもつことにもつながる。
誰に影響を受けようと、どこに所属しようと、舞台そのものがどのようなものであるのかを見極めればいいのであって、よけいな先入観を持つのはやめよう、まして色眼鏡などもってのほか・・・と戒めるのであった。
これだけ長い前置きや言い訳があるのは、今回の『自慢の息子』に対して困惑と疲労が多くを占めたためである。これを「怒り」に転化しないために、本稿を記すものとする。
こちらの期待や予想をぴたりと受けとめる舞台を作ることに手腕を発揮する劇作家や演出家がいるいっぽうで、これらをことごとく裏切り、はぐらかし、場合によってはあざ笑うかのように観客を翻弄するものもある。観客は前者の予定調和的な作品を安心して楽しむことができる。それは往々にして娯楽に回収され、舞台の印象を言語化する作業につながらないことも多い。対して後者は自分の立ち位置すら危うくなり、ことばを失う。しかしそこから何かをつかみとろうと自分の心の奥底をさぐり、懸命にことばを探す行為がはじまることもある。
断るまでもなく、自分にとって『自慢の息子』は後者なのだが、さてそこから何かを探そうという気力がわいてこないのが正直なところであり、終演後は戯曲も新発売の雑誌サンプルも買わずに早々に退出した。把握や理解を超えたところに本作の魅力があり、それは文字化されたものを読むことによって多少の補いはできたとしても、みる人の感覚そのものを変えることはむずかしいのではないか。
選考委員による本作『自慢の息子』の選評は大変手厳しいものだ。自分の感覚は永井愛氏の評価に近い。その永井氏がこの回を限りに選考委員を辞めたのは、戯曲賞というものが現在の演劇界においてどのようなものであるかを示唆するできごとではなかろうか。
自分の好みでなかったと片づけるのはかんたんだが、そこまで放り出すのは残念であり、かといって本気で取り組みには現状において気力体力が出てこないのである。
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