因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

青年団『眠れない夜なんてない』

2008-07-06 | 舞台
*平田オリザ作・演出 公式サイトはこちら 吉祥寺シアター 公演は6日で終了
 大学時代のことだ。日本演劇史の講義中、教授がこう言われた。「二十年経ったら、諸君たち(先生はいつもこういう言い方でした)だって四十になるんですよ」世界の主要都市で近代演劇運動が起こった時期と、日本でのそれには二十数年の開きがあったというのが前後の文脈であった。はたちの若者も二十年後には四十代になる。当たり前のことだが、当時は実感がもてず、実は困ったことに今でもピンと来ないところがある。自分が初めて青年団の舞台をみたのは、確か93年秋の『暗愚小伝』だったと記憶する。それからでも結構な年月だ。そのころからのメンバーが、いつのまにかいいおじさん、おばさんになっているし、以前は「可愛い新人さんだな」と思っていた若い女優さんに、いささかトウが立った感じを受けたりする。歳月は確実に人の外見を変えていくのである。

 開幕してからやっと予約した席は、最前列の端であった。舞台はマレーシアにある日本人保養地だからか、客席は少し蒸し暑い温度設定である。広々としたロビーに三々五々集まってくる居住者や、訪ねてくるその家族、見学者やDVDの配達をする青年など。これまでは開演前から登場人物が舞台にいたり、同時多発会話や客席に背中を向けて話すなどの手法に気を取られることが多かったが、青年団や主宰の平田オリザが支配人をつとめるこまばアゴラ劇場から育っていった若い演劇人の舞台をいくつかみているせいか、あまり気にならなくなっていた。それよりも住み慣れた(はずの)日本から離れた異国に暮らし、年をとったり病いを得ても日本に帰りたくないと主張する年配者に寂寥感を覚えたり、特に山村崇子演じる心の通い合わない夫との暮らしにほとんど無感覚になっている妻が出入りの青年と、平田オリザの作品にしてはどきっとするような場面があって、しかしこれも将来のみえない関係で、寒々とした気持ちになったりした。自分の席からは山村は背中しか見えないが、向かい合っている青年に吸い込まれそうになる。この人は相手の心の隙間を見抜く目をしている。彼より随分年上で、落ち着いた印象の山村でも、ぐらっとしてしまうのは無理もない。こういう設定の役柄は、どうかするといかにもそれらしい雰囲気を「作っている」ことが多いが、大竹直という俳優の造形はとても自然であった。彼女を救うことはできないし、その気もない。彼女もそこまで望んでいない。しかし彼女は彼になら(彼にしか、というべきか)本音が言えるのだ。

 創作にあたり、平田オリザは夥しい量の資料を読み、綿密な取材を重ねたそうだが、目の前で起こる出来事にはそれらが逐一反映されている感じはしない。多くを取り込んだのちに、それらを削ぎ落としたもの。海外で暮らす日本人について新しい知識や情報を得るというより、どこでどのように暮らしていても、どうしようもなく人の心は揺らぎ、乱れることの悲しみや、それでも生きていく姿が端然と提示されている。

 吉祥寺シアターには何度か通ったが、劇場の雰囲気になかなか馴染めないでいた。この感覚はどう表現すればいいのだろう。ロビーも客席も居心地が悪く、落ち着けないのである。しかし今回の観劇で、劇場に対する感覚が確実に変った。新宿でも下北沢でもない、新しい劇空間で、これまで過ごした二十年と、これから生きる二十年を考えた。

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