因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

燐光群『ローゼ・ベルント』

2008-07-05 | 舞台
 ゲアハルト・ハウプトマン作 坂手洋二上演台本・演出 公式サイトはこちら 調布市せんかわ劇場 13日まで
「ドイツ自然主義悲劇の最高傑作」(公演パンフレットより)とされる本作が書かれたのは約100年前、日本語に翻訳されたのがおよそ50年前、そして坂手洋二による上演台本によって日本初演となったというから、何とも壮大である。番匠英一の訳による『枯葉』(角川文庫)を底本としているが、坂手洋二の上演台本は、食品加工工場での組織的な偽装や、スピリチュアル風の占いなど、現代の日本の事件や世相が盛り込まれている。
 ☆未見の方はこのあたりからご注意くださいませ☆

 俳優では、タイトルロールを演じる占部房子に精彩があり、彼女と不倫関係にある工場の社長役の大鷹明良、病弱な妻役の西山水木も力強い。100年前の物語を現代の日本の舞台に甦らせる、その心意気やよし。しかし休憩なしの2時間を越える舞台に、最後まで入り込めなかった。登場人物はかの国の人であるが、前述のように今、日本で多発している事柄がふんだんに折り込まれているため、「翻案」に近い印象を受ける。「翻案」も時代を現代に置き換えることも構わないと思う。ただ作り手がこの作品の、この世界のどこに視点を置いているのかがわかりにくい。冒頭、舞台全面に積み上げられた段ボール箱を社長(大鷹)が『ドナドナ』を歌いながら壊していく。奥にいるのは製品にラベルを張っているローゼ(占部)である。彼女が手にしているラベラーの色も形も音も、日常目にしているものとそっくりで、そこで早くも気が削がれてしまった。「カラオケボックス」「パソコン」等の台詞にも違和感を覚える。さらに舞台下手には和風の大太鼓がいくつか置かれていて、登場人物がときどきそれをドンドン叩く。オルガンもあった。その意図や効果がよくわからない。

 強力な客演陣、「翻案」の手法、抽象的な舞台装置など、舞台を構成しているものが、ひとつのしっかりした筋道として伝わらず、どこかちぐはぐな印象を受けた。燐光群の舞台をみるたび、自分の不勉強であること、燐光群の舞台を受け止める心身が脆弱なることを思い知らされる。その気持ちは情けなくもあり、同時にやる気を掻き立ててくれるものでもあるのだが、今回は、どのあたりをどう頑張ればよいのだろう。100年前の異国の物語が現代の日本にあっても昔話ではないこと、今を生きる自分たちの姿に重なることを、原作そのままでもっと強く鋭く感じたかった。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« TBS・ホリプロ『かもめ』 | トップ | 青年団『眠れない夜なんてない』 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

舞台」カテゴリの最新記事