因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

G.com『闘争か、逃走か』

2008-07-08 | 舞台
*三浦剛作・演出 公式サイトはこちら アトリエフォンテーヌ 公演は6月29日で終了
 演劇の表現方法は自由自在だ。いろいろなことができる。作り込んだ舞台装置がなくても、俳優の台詞によってどんな設定でも表現できる。時間も空間も自在に行き来が可能だ。そこに敢えてSF的な設定で物語を作ることにはどんな意味があるか。

 取引先に向かっていたはずの浄水器販売員の男性が、どうしたはずみか携帯電話もつながらない村に迷い込んでしまう。次々に現れる奇妙な村人たち、バスは来ない。村には隕石が落下して道路は寸断された。前半は困惑し、混乱する男性の様子が描かれ、彼を救出するためにやってきたと思われた美人上司も村の人々に同化したかのような言動で、男性は混乱を極める。ここに留まって村人や隕石などの異常現象と闘争するか、村から脱出しておかしな世界から逃走するか。

 上演時間のあいだずっと、言葉にしがたい違和感を覚えた。普通の人がひょんなことから異次元空間に迷い込んでしまい、そこで出会う人々と巻き起こす騒動という外枠はわりあいわかりやすい。価値観の違う人とのトラブルが両者の対立を生むが、そこから不思議な連帯感が生まれて、共存できるかと思われたがやがて別れのときはやってくる…という構図も然り。最近なら『となり町戦争』だろうか。先が読める物語であっても、単純にSFと括れない。今を生きる自分の心を捕らえ、確かな手応えが得られた舞台だ。残念ながら今回の観劇は手応えを得られなかった。なぜなのか。その理由を的確に表現する言葉をいまだに模索している。

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