因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

JACROW#17『カルデッド』

2013-07-25 | 舞台

*中村暢明脚本・演出 公式サイトはこちら 下北沢OFF・OFFシアター 31日まで (1,2,3,4,5,6,7,8

 自殺をテーマにした短編4本のオムニバスである。一話ごとに短い暗転による場面転換をはさみながら、休憩なしの120分の作品だ。
【第1話・甘えない蟻 another ver.】東日本大震災から数カ月後の被災地、妻と娘は東京に避難し、故郷に残った夫はみずから命を絶つ。あるじのいない家にやってきた妻と娘、夫のきょうだいたちは、彼が遺したメッセージをみつける。2011年晩秋に『日本の問題』で上演された作品の改訂版だ。
【第2話・スーサイドキャット】ある中学の応接室で、ある女生徒の両親が教頭と担任教師と向き合っている。学校でいじめにあったために娘が自殺したと主張する両親と、いじめの事実はなかったと反論する学校側。
【第3話・リグラー2013】不動産会社の営業部で行われるいつもの朝会で、成績の振るわない社員を、熱血課長が罵倒する。2010年秋に上演された作品の改訂版である。
【第4話・鳥なき里に飛べ】富士山の樹海をさまよう男を、もうひとりの男が救おうとする。

 自分は第2話の『スーサイドキャット』をもっともおもしろく見た。いじめによる子どもの自殺は、不謹慎な言い方になるが話題性の高い題材だ。あふれるような情報や各方面の意見をどう盛り込むかと思ったが、落としどころはまったく予想のつかない、べつのところにあった。もっと書き膨らませて1本の長編にすることも可能ではなかろうか。

 7月から始まったテレビドラマNHK『七つの会議』とTBS『半沢直樹』、どちらも池井戸潤による小説のドラマ化であるが、これがめっぽうおもしろい。前者は大手電機メーカー下請けの中小企業における品質不良の隠蔽と内部告発がテーマだ。あの東山紀之が白髪混じりで業績の振るわない営業課長役を演じ、組織の巨悪に巻き込まれてゆくさまが痛々しく描かれている。さすがにNHKであるから人物の造形やストーリー展開、音楽や映像も地味なくつくりだが、それだけに重量感があり、現実により近い印象がある。
 後者は5億円の不正融資の汚名を着せられた大手銀行の融資課長が、あらゆる手段を使って回収に力を尽くし、内外の敵をなぎ倒してゆく。エンターテインメント性を力強く出しており、悪役はこれ以上ないほど憎々しく、表情や台詞まわしなどもいささか過剰気味だ。メインテーマがドラマの緊張感を高めてゆき、タイトルロールを演じる堺雅人が相手をぐっと睨み据えての決め台詞、「やられたらやりかえす。倍返しだ!」がぞくぞくするほど痛快である。

 JACROWは「演劇を(最近)観たことがない45歳男性サラリーマン」をターゲットにしているという。これまでの上演作品を思い返すと、建設会社における談合とパワーハラスメントを描いた『冬に舞う蚊』、テレビ会社とPR会社の軋轢を描いた『パブリック・リレーションズ』など、実社会で悩みながら働く人々へ届けたいという意欲が感じられる。舞台や人物の設定もおもしろい。
 しかし台詞のひとつひとつや人物の造形、あるいは服装や小道具など、細かいところのつまづきが、劇を集中してみる上での妨げになることが少なくない。
 たとえば第3話の『リグラー2013』の後半で、追いつめられた社員の妻が会議室に押しかけてくる。パジャマにスリッパすがただ。「切迫流産で入院している」という台詞があるから、病院からとるものもとりあえず必死でやってきたということなのだろうが、自分には違和感があった。入院患者が医師の許可もなしに外出しようとしたら、看護士も病院スタッフも止めようとするだろう。制止をふりきってきたのか、それにしてもスリッパのままとは。電車に乗ったのかタクシーを使ったのか。またそのような格好で会社に来た人間を、受付はじめ社員たちがそのまま通すとは考えにくい。何かもうひとつふたつ、劇の運びを自然にするための配慮が必要ではないか。

 テレビドラマ『半沢直樹』では、悪役の造形が非常に極端でえげつない。支店長の石丸幹二、副支店長の宮川一郎太はじめ、人事部長の緋田康人など、現代ドラマというより時代劇の悪代官や小役人を思わせる。いくらなんでもこれはなかろうと苦笑はするものの、「ぜったいにありえない」と全否定まではしないギリギリのラインで成立しているのだ。
 緋田の人事部長を、『七つの会議』に登場させるわけにはいかない。逆に『七つの会議』で不気味な係長を好演している吉田鋼太郎の迫力をもってしても、『半沢直樹』ではぶっとばされてしまうだろう。
『半沢直樹』と『七つの会議』はいずれもハードボイルド系企業ドラマの外見をとりながら、似て非なるものである。前者は「どうみせるか」であり、後者は「何をみせるか」に主眼が置かれているためだろう。
 

 JACROWの舞台に話をもどすと、何をみせるかという着眼点においては鋭いものがあり、毎回興味をそそられる。しかし「どうみせるか」というところが、どうしてもしっくりこないのである。
 再び第3話『リグラー2013』について。あれほど部下を追いつめ、苛めぬいていた営業課長が実は・・・という話なのだが、初演で課長を演じた今里真が乱れた服装や無精ひげ、うつろな表情で、最初から「この人はどうもおかしい」という雰囲気を出していたのにくらべ、今回の狩野和馬はこざっぱりした身なりで眼光鋭く、ややキレ気味の上司といった造形であった。この変容に、つくりてのどんな意図があるのだろうか。厳しく執拗な指導をしているが、彼もまた決して強い人間ではなく、親会社から出向させられた劣等感を抱えていたわけで、自殺した部下とその家族にとって加害者的立場にいた人間が、いわば自分で自分の首を絞めるかのように追いつめられてゆく。サスペンスとしてみせることも可能な題材であり、まだまだ劇作の余地があるのではないか。

 JACROWのメンバーは主宰の中村と俳優の蒻崎今日子(お名前訂正いたしました)、制作の黒田朋子の3人のみで、俳優、スタッフともにさまざまな所属のメンバーによって営まれてる舞台は、どこの所属かなどは関係なく、いいものにしたい、客席に届けたいという熱気があふれている。この熱さをもってすれば、テレビドラマでも映画でもない、演劇だからできることをもっと追究できると思うのである。  

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