*森本薫作 戌井市郎補綴 段田安則演出 公式サイトはこちら 26日まで
本作はこれまで文学座の公演を中心に、昨年はドナルカ・パッカーン公演も観劇してきたが、この度は大竹しのぶを主役の布引けいに据え、段田安則が演出を担い、シス・カンパニーに新派、東宝ミュージカルからジャニーズ事務所の俳優までが顔を揃える大商業演劇となってのお目見得となった。
本作はこれまで文学座の公演を中心に、昨年はドナルカ・パッカーン公演も観劇してきたが、この度は大竹しのぶを主役の布引けいに据え、段田安則が演出を担い、シス・カンパニーに新派、東宝ミュージカルからジャニーズ事務所の俳優までが顔を揃える大商業演劇となってのお目見得となった。
演出以前に、大竹しのぶの声の出し方は、あれでいいのだろうか。からだの深いところから出ている声なので、台詞はちゃんと聞き取れるのだが、たとえば第五幕一場、倒れた夫を支えながら、けいは大声で女中を呼ぶ。長年別居し、仲たがいしていた夫と再び一つ屋根の下に暮らせるかと希望が湧いていた矢先のことだけに、けいの心がどれほど激しく揺れ動いているか。あのようなとき、人がどんな声を出すのか。なりふり構わず、混乱の極みであるが、大竹しのぶの声は獣の咆哮のようで、確かに迫力はあるが、違和感は否めない。
劇のテンポを上げるためであろうか、俳優の台詞が総じて早口であり、やりとりの間合いも短い。かろうじて聞き取れるものの、その人の心の動き、相手との関係性や場面の空気の変容の表現が疎かになってはいまいか。特に堤家の総子、ふみ、けいの娘の知栄はじめ、若手俳優の台詞が全体的に高飛車に聞こえ、その言葉を発する人物の心情が伝わりにくかったのは残念であった。おてんばのお嬢さんだったふみが、姉の交際相手の野村精三と結婚し、落ち着いたいい奥さまになっている場など、声の調子やテンポをによっては、大喧嘩のあと、「帰りましょう、旦那さまのところへ」といういそいそとした台詞がもっと活きるのではないだろうか。
今回はけいの娘知栄の子役は出演しない。そのため、知栄が母親の帰りを待って、なかなか寝ようとしないなどの様子は大人が台詞で語る変則的なかたちとなっている。このような座組は初めてだが、時節柄、諸事情があるのだろう。煮え切らず「始終ぶつぶつ言っている」性質の総子が交際相手の野村よりも長身である点が「年上」らしき設定になっていたりなど、配役に合わせた変更にも苦労が見受けられる。
人物の性質の核をどう表現するか、台詞の言い方ひとつ、仕草のひとつでそれが変容する場合がある。堤家の女主人しずを演じたのは銀粉蝶、長男伸太郎(段田)と一緒になるよう説得する場面が大きな見せ場だ。
かねがね、しずは次男の栄二(高橋克実)とけいが互いに好き合っていることを知っていたのかどうかが気になっていた。知らないなら、働き者のけいを伸太郎の嫁にという話は自然である。しかしあの母が息子の恋心を察していないとは思いにくく、いや肉親だからといってわかるものでもない。伸太郎も薄々程度のことであったらしいし、叔父の章介(風間杜夫)も、けいが栄二にもらった櫛を折って捨てたところで気づくほどであるし…などなど結局のところ決め手がなく、それゆえ観劇のたびに、しずの心のほんとうのところを考えるのが楽しみのひとつであった。
栄二ではなく伸太郎との縁談と知って言葉を失うけいに、「お前はどうお考えだったの」とさらりと言うしずはどういう気持ちなのか。今回のしずは、はじめは脚の低い座椅子にかけているが、終いには座椅子から畳に降りて手を付き、「このことを承知しておくれ」とけいに頭を下げる。必死の形相だ。「お前はどうお考えだったの」という冷静な台詞から、この平伏への変容は大きい。
ひとつの作品を何度も観るのは、その世界をもっと知りたい、人物の心を理解したいからであるが、「わからなくなる」ことも魅力のひとつであるのかもしれない。前述の場、娘の知栄たちといっしょに伸太郎も戻ってくれないかと問いかける台詞を、大竹しのぶは淡々と、乾いたような口調で発した。この場は老夫婦が打ち解けて語り合う温かな場面であり、心の解けたけいが必死で夫に呼びかける言葉である。情感たっぷりに発すると想像されたところを、敢えて余白の感じられる言い方であったのは、どんな意図があり、どんな劇的効果を生んだのか、今の自分にはまだわからない。これから考えてゆきたいと思う。
主人公の役名が「堤けい」ではなく、「布引けい」であることを改めて考えた。観客は、堤けいとして必死に生きてきた彼女が再び「布引けい」として、堤家の居間に迷い込んでくるその日を待ち望んでいるのだと思う。
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