因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

春カフェ『せんそういろいろ』

2014-04-20 | 舞台

劇団桃唄309+母子劇場+N.S.F.+東京オレンジによる短編劇集volume 6 公式サイトはこちら 東中野RAFT 20日で終了
 それぞれ個性豊かな活動をしている4つのカンパニーが、「せんそう」にまつわるさまざまな思いをA,B,C3つのプログラムにそれぞれ3本、合計9本の短編にして連続上演する試み。ひとつのプログラムが1時間弱で、終わったあとは5分程度のトークや紙芝居も行われる。本公演オリジナルの飲みものや軽食も用意されていて、お芝居をみながら飲食OKというゆるやかなものだ。千秋楽にようやくすべりこみ、以下のプログラムを観劇した。

★Bプロ N.S.F.+桃唄309
 1、『アントニーとクレオパトラ』
  シェイクスピア戯曲 伊藤馨企画・演出 村野玲子戯曲構成
 2、『宣戦布告』、『湊川』
  長谷基弘戯曲・演出
★Aプロ 母子劇場+桃唄309
 1、『とおくのせんそう』
  篠原久美子戯曲 西山水木演出
 2、『和解』、『刀を研ぐひと』
  長谷基弘戯曲・演出

 Aプロの母子劇場(ははこげきじょう)による『とおくのせんそう』に深い感銘を受けた。
 女手ひとつで息子(小山貴司/世の中と演劇するオフィスプロジェクトM)を育て上げた母親(西山水木)は、パレスチナの難民キャンプで暮らす少年アブドゥールの里親になった。月々5,000円の支援は少し家計がつらいが、彼と手紙のやりとりをするのが楽しみだ。家族の暮らしを守るために自爆テロすら厭わない若者がいる国で、アブドゥールは「豊かで平和な日本」への憧れを募らせる。しかし契約社員の息子は派遣切りにあって失業、「自衛隊に入ろうか」とつぶやく。日本はほんとうに豊かで平和なのだろうか。母の疑問と苦悩は深まっていく。

 篠原久美子の誠実な戯曲を、西山水木が丁寧に演出し、みずからが精魂込めて母親を演じた。息子役の小川貴司もさらりと自然ななかに、いっけん豊かで平和にみえるこの国の歪んだ様相や、いつ戦争が始まってもおかしくない将来への不安を滲ませる好演だ。

 たしかにいま日本の国内に戦争はなく、外国の戦争に参加しているわけではない。しかしビジネスというかたちで、あるいは遠い国のことだから関係ないと無関心でいることによって、間接的に戦争に加担しているのではないか。そしてそう遠くない将来、日本もまた堂々と戦争をする国になる可能性がある。戦争は遠くのよそ事ではない、自分たちもまた当事者になりうるのである。

 後半で、母親が赤ちゃんを抱くところにはじまり、お弁当を作り、学校に出かける息子を見送る様子をパントマイムでみせる場面がある。おにぎりを結んだり、お弁当を包むしぐさの優しいこと、だんだん息子の背丈が伸びて、たぶん「弁当いらない」と出ていったのか、成長を喜びながらも淋しさを覚える母親の気持ちが痛いほど伝わる場面であった。

 さまざまな問いを受けとり、「ならば自分はどうしよう?」と考え、何らかのアクションを起こそうと背中をひと押しをされた感覚を得た観客が多いのではないだろうか。喫茶店やギャラリーなど、いわゆる劇場でなくても上演できる演目なので、ぜひこれからもいろいろな場所で、ひとりでも多くの人がこの舞台に出会えることを祈っている。自分もまたあの母子にもう一度会いたい。

 シェイクスピアやお能をベースに書かれた作品について、現代のことばを使って親しみやすくしたいという願いは伝わる。とてもわかりやすい。しかし若干くだけすぎというか、けたたましく感じられるところもあり、なかでは『刀を研ぐひと』が折り目正しい空気を作りだしていて見ごたえがあった。研ぎ師を演じた國津篤志が肩の力を抜いた自然体の演技のなかに渋い味わいをみせる。劇作家、演出家は、こういう俳優さんを大切にしなければならないだろう。

 さて春カフェの名のとおり、劇場がロビーも客席もカフェ状態であることの長短はいろいろあるだろう。にぎやかで楽しく、親しみやすい。客席と作り手の垣根がなく、リラックスして楽しんでいらっしゃる方が多い印象であった。しかしひっきりなしに飲みものやパンやケーキやプリン(どれもおいしそうだった)を勧められたり、作り手が出ずっぱりで売り子さん状態であるのは、開演前は静かに心身のコンディションを整えたい者にとっては賑やか過ぎた。できればそっとしておいてほしいのです。

 上記は筆者の個人的な好みの問題なのでいいとしても、気になったことがひとつある。数本の演目において、カフェタイムの雰囲気が収まらないままで、上演が始まった印象があったことだ。暗転のない舞台進行であったからそのように感じたのだろうか。芝居だからと肩ひじ張らず、作り手も受け手もいっしょに楽しみましょうというコンセプトは構わないが、舞台とオフの緩急やめりはりは必要なのではないか。観客もさあはじまるぞと背筋を伸ばして舞台に臨みたいのである。

 融通が効かず、頑ななのは自分の悪い癖である。どうかお読み流しを。

 いくつものカンパニーが知恵を絞り、心を尽くして「せんそう」を考える今回の試みはとても清々しく、肌寒い春の夕暮れから夜にかけて豊かな心持ちになれた。これからもさまざまな場所で、戯曲と俳優が出会い、観客に届けられることを願っています。
 でもやっぱりプリンを食べればよかったかなあ。

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